傾国の鉄宰 第四十話 【街歩:三番手】 〜
「ケイン様。外套をお預かりします」
串焼きを食べて以来、無言でシモーヌや黎明の盾とのやり取りを聞いていたオーケンから声が掛かる。
「あれ?スラムに行く時に脱ぐんじゃなかったの?」
「申し訳ございません。今の状況から念の為です」
朝の警護から今まで、変わらず穏やかで慌てることも無いオーケンだったが、わずかに視線が鋭さを増したことにケインは気が付いた。
「どういうこと?」
「この街の大通りと中通りは、街並みも綺麗で治安も良好です。街中全てがそうであれば問題ないのですが…。私がセブルスの街で聞いた話では、そうではないようなのです。貿易都市として領政主導で治安維持をしているならば素晴らしいことですが…」
「何か気になることでもあったの?」
「これだけよく管理されているのに、騎士や衛士をほとんど見かけませんでした。今日見かけた兵士の数でこの治安維持は不可能です。ケイン様の仰った『偏り』とは違いますが、私もこの街には『偏り』があると考えております」
ある程度予測が出来ているような口振りだが、果たしてオーケンの言う『偏り』とは何なのか。シモーヌの意見を聞くべくケインが視線を向けると、彼女はオーケンの考えを肯定するように口を開いた。
「治安維持を担う兵士は、ルールや法に縛られます。ですが、この街の秩序が法ではなく、監視や粛清によって維持されているのだとすれば、今までの気配にも納得がいきます。オーケン様の判断に従い、速やかに外套を脱ぐべきだと私も思います」
(あれ?シモーヌさんのオーケンさんへの評価が上がってるよね。なんで?)
シモーヌとオーケンは面識が浅い。
きちんと話をしたのは今朝、「スラムに行きたい」と言い出したケインの護衛として「日雇いの用心棒」の服装で挨拶したのが初めてだった。簡単な警護の打ち合わせの際、ケインのスラム行きに猛烈に反対するヴォルターとマイヤーの間に挟まれ、二人して右往左往する羽目になった。その際にお互いの苦労を愚痴り合った、ただそれだけの仲である。
〈有能な者は、有能な者を知る〉
(オーケンさんもシモーヌさんも有能ってことか。ケイン君の安全に繋がるんだから、オーケンさんを部下に迎えて正解だったね)
『はい。オーケンさんは優しくて、笑顔が温かくて、安心するんです』
〈……〉
(そっかぁ…良かったね)
ケインの周りの人間は皆、ケインを大切に思ってはいるがクセが強いために、愛情表現が複雑だったり、無感情に見えることも多々ある。
(ケイン君の自己肯定感を上げるためにも、オーケンさんの加入は良かったんだね)
〈そのようだ〉
「ケイン様。例の『香水』も付けて下さいよ。ほんの少し、くれぐれもほんの少しでお願げぇしますよ」
リュカの声が風の魔道具の向こうから聞こえる。
「わ、わかりました」
ケインは顔を強張らせながらポケットから瓶を取り出した。
――サクヤの街、裏通り。下町――
そこが、サクヤの街における「光」と「陰」の境界線だった。
下町に一歩足を踏み入れた途端、それまで肌を包んでいた街の空気が一変する。
綺麗に飾られ、華やかな絹の服が躍っていた大通りの繁華街。
ある種の秩序のなかに活気が落ち着いて存在していた中通りの商店街。
それらに比べ、目の前に広がる下町は、まるで剥き出しになった生き物の内臓のようだった。
爛れたような熱気。安酒と饐えた油の臭い。そして、何よりも異常だったのは――「視線」だ。
(……っ!?)
ケインは思わず、身震いした。
繁華街や商店街を歩いていた時から、シモーヌやリュカが鋭く察知していたもの。あの時、横丁の暗がりや辻の奥に巧妙に隠され、抑え込まれていた「探るような、値踏みするような視線」が、この下町では何一つ隠されることなく開放されていた。
路地裏から、崩れかけた家々の窓から、濁った眼光が容赦なく突き刺さる。
ガルドたち黎明の盾のメンバーは中通りで待機となり、ケインのすぐ側にいるのは、シモーヌとオーケン、それとリュカである。外套を脱ぎ、スラムの人間の服装を真似たケインとリュカは目立たなくなったが、旅装であるシモーヌの衣服の仕立てと佇まい。そのすべてを貪るように見つめ、剥ぎ取れる価値を計算するような、濃厚な気配が纏わりついていた。
オーケンの『日雇いの用心棒』然とした、装備の価値を見積もり、オーケンの実力を測ろうとする視線。リュカの素性と実力を探るような視線さえも感じられる。
オーケン達の実力と利益の天秤が利益へと傾けば、たちまち襲い来るであろう者たちの気配。まだ気配探知の訓練を始めたばかりのケインでさえ、肌がチクチクと痛むほどに生々しい「欲望」が、渦を巻いて一行の周りを拒絶するように取り囲んでいた。
「ケイン様、私の側を離れないでください。リュカ殿、後方への警戒を厳に」
「……分かってやす。こいつら、飢えてるな。獲物を狙う獣の目だ」
オーケンとリュカのやり取りを耳にしながら、シモーヌがそっとケインを庇うように位置を取る。通信魔導具越しにリュカの低く緊迫した声が響く。中通りで待機する護衛のガルドたちも、いつでも武器を抜いて駆けつけられるよう、ケインの位置の確認を密にしている。
ケインはシモーヌの陰から、努めて冷静に下町の住人たちを観察した。
そして、サクヤの街の『偏り』の確認をしていく。
(やはり、老人は……いないか)
あれほど大通りを埋め尽くしていた、絹を纏った老人たちの姿が、この下町にはただの一人も見当たらなかった。
代わりに街を埋め尽くしていたのは、十代から二十代とおぼしき膨大な数の「若者たち」だった。彼らは一様に薄汚れた襤褸の服を纏い、ある者は虚ろな目で壁に背を預け、ある者は生きるためにギラギラとした目をぎらつかせて、狭い通りを行き交っている。
その異様な光景にケインが困惑していると、前方から激しい怒号と、肉体が泥土に叩きつけられる鈍い音が響いた。
そちらを見ると、こちらに背を向けて立つ男が五人、そのうちの四人は簡単な武装をしており旅装束にも見えるが、まともな旅人が持ち得ない雰囲気を纏っている。立ち姿には隙がなく、何かしらの戦闘技術を持つ者であることが窺える。
「お願いです。お願いですから見捨てないでください! どんな仕事でも、飯だって今の半分でいいんです。 だから、家に……うちに帰らせてください!」
泥に塗れながら、必死に男の足元にすがりついているのは、成人(十五歳)にはまだ数年は掛かりそうな一人の少年だった。その衣服は着古されてはいるが清潔で、つい先ほどまでは『綺麗な街』の住人であったことを物語っていたが、引きずり回されたせいで無惨に破れている。
武装した男たちが周りを警戒する中、一人だけが少年を冷酷な表情で見下ろしている。大通りの商家の紋章をつけた、身なりの良い中年の男だった。男は少年の手を容赦なく踏みつけると、虫ケラを見るような目で唾を吐き捨てた。
「見苦しいぞ。お前も十二歳を越えたんだ。大人しく『間引き』を受け入れろ。これ以上サクヤの街の秩序を乱す気か。お前をこのまま家に置いておけば、お前の上の兄たちの労働枠まで剥奪され、一族全員が定住権を失うんだぞ!父や母にまで苦労をかけたいのか?!」
「そんな……! くっ…」
「お前は『三番手』だ。この街に、三人目の子供の居場所などない。それが掟だ。お前を匿い続けた両親など、定住権を剥奪して、この肥溜めに打ち捨てれば良いモノを、不問にしてやると言っているんだ。大人しく、ここの虫けらの仲間に加わることだな」
中年の男は吐き捨てるように言うと、少年の腹を容赦なく蹴り飛ばした。
「ゴフッ」と鈍い音が響き、少年が泥水の中を惨めに転がる。男は忌々しげに上着の汚れを払い、周りを警戒していた男たちと共に、足早に中通りへと引き返していった。
残された少年は、絶望に身を震わせながら地面を叩いて号泣した。しかし、周囲の襤褸を纏った若者たちは、彼を助けようとするどころか、「また新入りか」「まだいい服を着てやがる」と、冷え切った、あるいは獲物を値踏みするような視線を向けるだけだった。
あまりの衝撃に皆が押し黙る中、痛ましげに目を伏せていたシモーヌがポツリと疑問を呟いた。
「……っ、今のは、どういうことでしょうか? 間引きとか……十二歳とか……」
「シモーヌ。これがこの街の『偏り(現実)』みたいだね。そして、この街を支配するのは、さっき君が言った通り『法』ではないようだ」
ケインの脳裏には、帝都を発つ前に執事経由で父タリムから渡されたサクヤの街の資料が浮かんでいた。ここ十年、この街の人口は不気味なほど「綺麗に横這い」だったのだ。
戸籍がある訳でもないこの世界で、人口の増減の判断は、食料や雑貨の消費量や、入街税の増減等で判断されている。
若干の誤差はあるものの、ある程度は当てになる数字だ。その数字が毎年、数十人の増減で収まっており十年前の人口と変わりがないのだ。片田舎の農村であれば万が一にもあり得なくはないが、人の出入りの激しい貿易都市で、この変動の無さは異常だ。
その理由が、目の前の光景――十二歳を超えた『三番手』の排除――によって、最悪の形で繋がってしまった。
隣街であるセブルスで、長年衛士を務めていたオーケンが知り得た情報を裏付けるものにもなる。そこにリュカの低く緊迫した声が響きケインを新たな現実に引き戻した。
「ケイン様、あの子供はどうしやす?数人のハイエナどもに目をつけられたようですが…」
地面に倒れ伏したままの少年の周りをギラギラとハイエナの目をした若者がゆっくりと取り囲んで行くのがわかる。




