傾国の鉄宰 第三話 【黎明の盾】〜ロストジェネレーションって何だ!
帝都を発ってから十日。
あと二日でサクヤの街に到着する予定だ。今朝アルマの街を出て三時間ほどが経った。今日の宿泊地セブルスの街まではあと三時間ほどで到着するはずだ。旅は順調で、この世界の馬は速く、持久力も桁違いだと実感する。
車窓から日本では中々見ることの出来ない地平線を眺める。ケイン自身も領都ハイデルベルグから出たのは帝都に行く時が初めてで、不安に駆られて軍用の馬車に閉じこもり、息を潜めるようにして移動した為、辺りの景色など観る余裕はなかった。数ヶ月前のことだが精神的には少し余裕ができてきたようだ。
どこまでも続く緑の絨毯。遥か彼方の雄大な山々を背景に、風に揺らめく黄金色の草花が波の様に広がり大海原のようだ。海を見たことがない自分が海を連想するとは。異世界の記憶というものは、おかしなものだ。自分の変化に思わず顔が綻ぶ。ところどころ白や紫の可憐な花々が点々と彩りを添え、空は深く、高く、無限の解放感が全身を包み込む。
帝都中央平原に比べれば大小の丘や林、岩山等は点在するが概ね平原と呼んで差し支えのない風景が続いていた。
ただそこには日本では当たり前に存在する人々の営みの気配だけが欠落していた。真っ直ぐに延びる街道以外に見渡す限り家屋は勿論、人工物が存在しない。そのことが、この楽園の様な風景で生きることが、如何に困難かを物語っている。
裕翔が持つ日本の景色や動植物の常識とは、掛け離れた強力な魔物がこの世界には跋扈している。冒険者や国軍や領軍等が討伐を行ってはいるが万全とは言えない。万全でない事が起これば、人など風の前の芥の如く死に絶える。そのため単独で家が存在することはまず無い。
人間の中にも魔物に抗し得る者達は存在する。強力な魔法を行使する者、魔力により強靭な肉体を得た者、武神が与えたとされる武技を修める者など様々だ。彼等彼女等はどこへ行っても優遇されるため、異能を持つ者達は必然的に大都市や重要な街へと流れていく。
それでも普通の人々は辺鄙な場所にあって肩を寄せ合い、集落をつくり、命を繋ぐ。
人間の絶対数が少ないこの世界においても人々の可能性を感じさせてくれる辺境をケインは好ましく思っていた。
「何を見ておいでですか。若様」
その声に、一瞬の間を置いてケインは視線を客車内に向ける。
声の主ヴォルターは今年で四十四歳、大柄な人間が多いハイデル家においても長身の部類に入るが、引き締まった体つきのため、圧迫感は無い。
ただダークネイビーの官吏服を着ており威圧感はやや強めだ。
髪色はアッシュブラウンで少し長めの髪をすべて後に流している。
常に眉間に皺を寄せてライトブラウンの瞳の眼光は鋭い。
鼻下と顎にアッシュブラウンの髭を蓄えており、裕翔が持つ異世界の知識だとアンカーというスタイルだそうだ。
いかにも仕事がデキる男といった風貌のヴォルターだが、期待を裏切らない仕事ぶりで、父タリムの政務官の一人として堅実で慎重、死角のない執務をこなしてきた。華々しい実績は無いが信頼できる人間である。
元は父の副官として、先の大戦にも随伴していたが大戦末期の撤退戦で左脚を負傷して退官。現在の政務官の職を得た当初は武官崩れの政務官吏と揶揄されたそうだ。今ではヴォルターの経歴を知らない若い官吏や武官も増え始めている。誠実な人柄と堅実な仕事振りで若輩の者達の信頼も厚い。しかし、ヴォルターの本質はそこでは無いことをケインは知っている。
客車の席に姿勢良く座るその姿はよく均整が取れている。揺れる客車内にあっても微動だにせず、背の高さと相まって精悍さを醸し出している。今尚、鍛錬を続けているのであろう肉体は、階段などの段差があれば少し脚が不自由そうだがそれ以外では左脚の怪我に気付く者は僅かだろう。ヴォルターの根幹は騎士なのだ。
「特別には何も、ただ原野を見ています」
ケインの言葉にヴォルターは何かを感じとったのだろう、微かに頷いた。客車の窓から見える平原は、黄金色の草が風に揺れ、穏やかな陽光が広がっていた。しかし、その美しさの裏に危険の気配が漂いはじめた。
この世界の原野には無限の可能性を感じる。異世界の知識を得た今、サクヤの街に到着する前に地質や地形など詳しく調べたり、ヴォルターにも色々相談したかったのだが、それどころではなさそうだ。思ったことを声に出来ないというのは存外に疲れるようで、無意識に漏れそうになるため息を飲み込んだ。
しばらくすると客車が静かに止まり、護衛の騎士から声が掛かった。
「ヴォルター様。前方に冒険者風の者達が六名、街道を避けて待機しております。武装も解いておりますのでこのまま通過しても宜しいでしょうか」
冒険者は戦闘に特化した装備をしている者が多い。盗賊の類とも見分けが付かない。その為、他者から警戒されることがしばしばある。
簡素とはいえ貴族のみが保有できる客車に気付いて、無用の揉め事を避ける為に道を譲ることは旅慣れた冒険者ならばよくあることだが。
「敵襲の可能性もある。念の為パーティー名と移動の目的を確認しつつ、不審な点がないか、それとなく検分せよ」
「了解いたしました」
ヴォルターが指示した直後、少し離れた場所から馬の駆ける音が響いた。
客車から見聞きする騎士達の行動は、熟達しており無駄がない。役割分担も周到にされているようで士気も高い。たった四名での護衛であるが決して左遷の為の人選でないことがはっきりと判る。
十二歳の子供では気付けない事は多い。突然に融合することになった異世界の記憶や冷徹な別人格に驚きや戸惑もあるが、父の思いに気付くことが出来る、気持ちに余裕が生まれ周りが見えるようになった。今は、この特殊な経験に感謝していた。
遠ざかる甲高い蹄音は一度止み、しばらくするとこちらに近付いてくる。客車の少し手前で蹄音は止み、僅かに声音が聞こえる。程なくして車内に声が掛けられる。
「ヴォルター様。先で待機する者達ですが、Bランクの冒険者でパーティー名は『黎明の盾』だそうで、護衛依頼からの帰りで、ついでに預かった手紙を帝都に持って戻る途中とのことです」
「『黎明の盾』か…彼らとは相識です。有望な冒険者パーティーで、数年後にはA級昇格もあり得ます。ケイン様も代官として知己を得ておいて損はないでしょう」
「そうですか」
ケインが頷くとヴォルターは外の騎士に声を掛ける。
「馬車を『黎明の盾』の者達の前で止めよ。ケイン様がお会いになる」
「承知致しました」
騎士の声を合図に馬車が進み始める。
途端に馬車と騎馬の音が重なり、辺りは賑やかになる。
「はぁ、ご当主様の悪い予感は本当によく当たりますねぇ。たまには良い予感を当ててもらいたいものですね」
ケインの対面に座り一時間ほど客車の後部の壁一点を見続けて、沈黙を貫いていたマイヤーがため息まじりにつぶやく。
出立時に、事のあらましを聞いていたマイヤーの感想とメイド長ならざる口調に、少し緊張ぎみだったケインの表情が和らぐ。ヴォルターも穏やかな声で話し掛ける。
「まあ、そう言うな。旦那様も大変なのだ。今は…」
中途半端なタイミングで言葉を切り、ヴォルターが辺りを伺う。
「離れたわね。凄腕の冒険者に気付かれるリスクは負わないって、ところかしら」
「ああ、そのようだな」
とヴォルターは同調した。
間もなく客車はゆっくりと『黎明の盾』と名乗る冒険者たちの前で停止した。
騎士によって扉が開かれ、ヴォルターが客車から降り立つ。
「久しいな。ガルド、リュカ、ミレイユ、グラント、エル、ノア。先ずは主を紹介しよう。ケイン様」
ヴォルターの声に応じて、ケインが街道に降り立つ。まだ十二歳ながら、同年代の者達より背が高く、成長期特有のシャープな体型ながらも、父タリム譲りの筋肉質な骨格は、年齢以上の風格を漂わせている。
身に着けているのは地味ではあるが上質な生地で仕立てられた外套。貴族であることを示すための最低限の装いだ。
続いて馬車から降り立つマイヤーは『ハーフエルフ』である。
プラチナブロンドの髪は人の目を一気に引きつける。整い過ぎた顔立ちの中、ターコイズブルーの瞳は神秘的で、自身の美貌に集まる耳目から身を守るように、冷気を放っているようだ。
客車内とは別人のように寸分の乱れもない、ベテランメイド然とした仕草をやってのけるマイヤーにヴォルターが口の端を上げている。
冒険者たちは六名。全員が街道から少し離れた場所で立っていた。
ヴォルターが一歩進み出て、冒険者たちに声を掛ける。
「こちらのお方はケイン・ハイデル様である。タリム・エレ・ハイデル子爵閣下の御子息であられる。無礼なきように」
五名はその場で膝をつく。がっしりとした体躯の男だけが一歩前に出てから膝をついて、ケインに対して礼を取った。
「お初にお目にかかります。私はガルドと申します。冒険者パーティー『黎明の盾』のリーダーを務めております」
典型的な戦士の風貌のガルドだが、言葉遣いは丁寧で、立ち振る舞いも洗練されており、経験豊かな者である事が窺える。ケインは穏やかに微笑み、言葉を返した。
「ガルド殿、『黎明の盾』の皆様、ご丁寧な挨拶恐れ入ります。私はケイン・ハイデルと申します。この度サクヤの代官を仰せつかり、任地に赴く途中です」
その後パーティーメンバーの紹介も終わり、本来なら互いが本来の旅程に戻るところをケインが声を掛ける。
「皆さんが前途有望冒険者であるとヴォルターからは聴いています。お時間を三十分ほど頂けませんか?まだ昼前ですし、互いに向かう街まではあと三時間もあれば到着する距離でしょう。冒険のことを色々訊きたいのです。」
ケインはそう切り出した。
ガルドは一瞬、他のメンバーと視線を交わし、最後にヴォルターを見やる。
この状況で皆を足止めする発言に戸惑っているのだろうとケインは察した。
しかし逡巡は一瞬の事で、事情を知らない者であれば気付きもしないだろう。
さすがは父が手配した冒険者だ。
「もちろんでございます。ケイン様のご用であれば喜んでお話致しましょう」
ケインは嬉しそうに頷き、ヴォルターに目配せをした。ヴォルターはそれを確認し、馬車から少し離れた場所に待機している護衛の騎士に指示を出す。
「ケイン様は、しばしガルド殿達と歓談される。あたりの警戒を怠るな」
騎士は無言で頷き、周辺の警戒に戻った。騎士達と入れ違いでマイヤーがメイド二名を伴い荷馬車から簡易型のテーブルと日傘を持ち出し設営を始める。
瞬く間に準備は進み、最後に白地にアイボリーの刺繍があしらわれたテーブルクロスが掛けられテラス席が出来上がる。
「あいにく椅子が四脚しかないので。三人の方には誠に申し訳ない。ティーセットは人数分ございますので、作法は気になさらずにお楽しみ下さい」
ケインはガルド達に席を勧め、今までに討伐した一番強かった魔獣の事やダンジョンのこと等を矢継ぎ早に質問して、ガルド達の話に目を輝かせる。その様は十二歳の少年そのもので好ましい。
席に着いたリーダーで戦士のガルド、斥候のリュカ、魔法使いのミレイユの分のお茶の準備はマイヤーが歓談を始めて間もなく終える。
同時に後方に立つ守衛士のグラント、双子で弓士のエルと治療士のノアのためのお茶を、二人のメイドが準備して、ソーサーに乗せて手渡す。
立席のままの三人だったがお茶を受け取り佇むその姿は、気負いがなく、洗練されており、彼らがランク以上に様々な経験をしている事を伺わせる。
「ケイン様、大丈夫です。声が聴こえる距離には居りません」
皆にお茶が行き渡るとマイヤーが口を動かすことなく、ケインに知らせる。
「念の為にマイヤー、二人もお願いね」
ティーカップを口元に当てながら、ケインは静かに指示を出す。
ヴォルターと共にケインの後方に控えていたマイヤーがメイド二人のいる方に歩み寄る。
「二人は冒険者の方々にお会いするのは初めてかしら」
「はい。私達は共に領都生まれで、王都と領都以外で生活した事もなく、今回が初めてです」
「―――」
「そうなのですね。冒険者というのも大変なお仕事なのですね」
「―――」
「フフフ、七頭は大変ですね」
マイヤーとメイド達が世間話を始める。
時折、着席していない三人とも言葉を交わしているように言葉を継ぐが、勿論三人とは話などしていない。
さすがはマイヤーだな、何だか楽しそうで、そちらの会話に参加したくなるほどだ。ケインは気持ちを切り替え、表情は十二歳の少年のまま話し始めた。




