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第三話 死の支度:前編〜傾国の鉄宰〜

 あと2時間もすれば夜が明ける。

雨は一向に止む気配はない。


 明け方間近の皇宮内。

典礼司執務室で3人の人間が各々の職務をこなしている。

ペンを走らせる音、封筒を開く音、本や書物をめくる音。

静寂が満ちた室内に僅かに漂う気配。

だが職務に没頭する3人には執務室内の些細な物音が膨大な熱を帯びているように感じられた。 


 黙々と仕事を熟す補佐官2人。


この日の為に。

これから続く厳しい戦いの日々の為に。

ありとあらゆる準備を重ねてきた。

これから長く厳しい戦いが始まる。

厳しい現状に身が竦む。

それと同時にいよいよ時流が動く、動かせる事への感慨が熱流となって渦を巻いていた。


 気合入ってるなぁ、2人とも。

いよいよ面倒事待ったなしかぁ。

まさか自分がこんな立場になるなんてな。

異世界の記憶の中にも腹立たしく正したい不条理や不正、不平不満が色々あった。

 状況改善や現状打破のアイデアの10や20枚挙にいとまがない程あったが…

異世界(サラリーマン)の俺はその他大勢に埋没して結局楽な立場のまま何も行動を起こさなかった。


 それが今では立場を得て行動を起している。 出自(さいしょ)からサラリーマンの俺とは立場が大きく違っていた事、周りの人間の能力と情熱が圧倒的だった事、様々な状況やプレッシャーも作用して現状がある。

目の前で作業している2人の補佐官なぞ熱血ハラスメントの最たるものだ。

まぁ最終的には俺自身覚悟を決めて行動したつもりだが。


「ケイン様少しおやすみ下さい」


いつの間にか他事を考えていたようだ。

執務室の中央に置かれた机で書類の校正を行っていた小柄な女性から声を掛けられた。

うちに秘めた情熱、熱血補佐官の一人、リーナ・エト・バングルだ。


「少し考え事をしていた。大丈夫だよ。あと少しで目処がつくし」


「ケイン様の仕事はこの後、休み無くございます。今は少しでもお休みください」


二人で話しているともう一人の情熱ダダ漏れ、熱血補佐官マイル・ザッカーからも声が掛る。


「ここまで来れば書類関係の目処は2人でつけられますよ」


熱血補佐官2人に言われては仕方ない、お言葉に甘えさせて貰おう。


「ありがとう。少し休ませてもらうよ」


 執務室の応接用のソファーに横になり、浅い眠りについて暫し。

2人の補佐官の熱意と明け方の静寂を隔てる執務室の扉が規則正しいリズムで4度叩かれた。

 

 俺は身体を起こしてソファーに腰掛けた。

懐かしい夢を見る程度には仮眠が取れたようだ。

殊の外リフレッシュできて気分がいい。2人には感謝だな。


「はい。何用ですか」


扉に一番近い机で書類、手紙の宛名書きと封入作業をしていたマイルが扉越しに誰何の声を掛けた。


「ナーツェルです。三尚書会議の内容の報告に参りました」


扉の向こうから聞こえる回答にマイルは慌てて扉を開いた。


「これは侍従長様。大変失礼致しました」


「気にする事はありません。突然訪問した私が悪いのです」


マイルの謝罪に穏やかな笑顔で回答するのはナーツェル・エレ・トリエル伯爵。


 突出した才能はなく穏やかだけが取り柄の小肥り爺さんと陰で囁かれる人物だ。 年齢は60代初めで中級貴族であり役職は侍従長、れっきとした高位官吏である。先触れも無くの来訪など普通は有り得ない。

 

 マイルの来訪者への対応は通常であれば何の問題もない。だが今回のように高位官吏それも帝国貴族相手となれば平民出の下級官吏であるマイルでは叱責を受けても文句は言えない。

 夜明け前の典礼執務室に高位官吏がまさかの訪問、油断したのは間違いない。

今までとは状況が変わる。

これからは起こり得る出来事だ。

侍従長様は気になさらないだろうが他の人間がそうとは限らない。

自分も含めて今後は充分注意するとしよう。


 応接用のソファーに浅く座るナーツェル侍従長に俺から話を振る。


「このような時間に侍従長様自らお越しになるとは如何されました。()()()()()()()とのご忠告でしょうか」


急な訪問へのお返しとばかりに俺は軽い揺さぶりをかけてみたが侍従長は穏やかな笑顔のままこちらへ視線を向けた。


「そのような大げさなことではありませんよ。現状は非常事態ですので気を引き締めることは勿論重要ですが。

今回伺ったのは先程申しました通り三尚書会議の内容の報告に参りました」


「侍従長様自らですか?下の者にお命じになれば済む話では?」


「私は少々粗忽者でして大事な会議の場所や時間を()()()()補佐の者に伝える可能性がありますので直接伝えに参りました」


「・・・なるほど。それでは補佐殿は今回はお見えにならないのですね。」


「補佐は来ないでしょうな。侍従省付きの小姓が朝方、連絡に来るとはおもいますが・・・」


侍従長の雰囲気が僅かに固くなった。


「如何されました?」


俺の問いに侍従長は僅かに視線を左右にふった。


「私共は仕事が有りますので別室に」

ごく自然なタイミングと口調でリーナが申し出た。


リーナ・エト・バングルは男爵家の生まれだけあり貴族間の遣り取りに敏感だ。

俺と同じく侍従長の僅かなためらいを感じ取ったのだろう。


「まあ、お待ちなさい」


リーナの提案を聞いた侍従長は穏やかな表情はそのままに威厳漂う声音で補佐官2人を引き止めた。


「気遣いは無用です。いい機会です。2人にも話を聴いてもらいましょう」


 今まで一度も踏み込んだ会話をしたことが無かった侍従長が自分達に話しかけてくる。

雰囲気の変化と相まってマイルとリーナが困惑している。

そんな2人を他所に俺は話を進める。


「宜しいので」


「構いません」


「・・・分かりました2人とも近くに」


マイルとリーナの2人は戸惑いながらも俺の言葉に従い身を寄せる。


「もっと近くに来て下さい」


侍従長の発言に身を硬くする二人。


 侍従長は帝国の要職であり関係の薄い人間が近付き過ぎれば害意を疑われかねない。

俺を含めた3人が近くに身を寄せることを侍従長が認める。

この事自体が俺と侍従長ナーツェルとの関係が極めて親密であることを表している。


 緊張気味の2人が応接用のソファー近くに来たことを確認して侍従長がやおら話始めた。


「三尚書会議の内容ですが本日、明けの九の刻より神前会議を取り行います。場所は聖殿の間です。参加者は()()()()、マハート皇嗣殿下、皇弟ゼビル殿下、レイサイド公爵閣下、軍務尚書アキレム様、内務尚書イマエスタ様、外務尚書シルキ様、典礼司ハイデル殿、聖火教大司教ラカミム様 聖火教巡検使シモンズ殿、そして私の11名で執り行う事が決定しました」


 崩御した皇帝が会議に臨席する。

通常の感覚からするとなんとも奇怪な話だ。これには帝国ならではの事情がある。


 帝国での皇帝の権力は絶大である。

その為、長い帝国の歴史の中には至尊の地位の簒奪を狙う者や反帝国を掲げる思想者によって皇帝暗殺が確認出来るもので3回、暗殺未遂に至っては数十回確認されている。

皇帝位の簒奪や空位は多くの混乱を招き。粛清、内乱、果ては他国からの侵攻を受けるまでに至った。


 帝国前期の混乱を納める為に12代皇帝ラムサス2世が大規模な法整備と帝室典範の改正を行った。これを期に帝国は黎明期に向い諸外国を圧倒し始める。


後に法帝と讃えられるラムサス2世が定めた帝室典範では国政の混乱を防ぐ為、皇帝の退位・禅譲が認められていない。


また皇帝の傀儡化、皇帝の権威の低下を防ぐ為に皇帝は死の当日まで政務を熟し、崩御当日に新皇帝が即位する事が明記されいる。


 他には外戚や有力貴族の専横を防ぐ為に摂政、宰相を置くことも禁止されている。

皇帝の相談役として侍従長が高位官吏の常任職として存在するが権力の集中を防ぐ為に公爵と侯爵の貴族位を持つ者の侍従長への就任は禁止されている。


この他にも皇帝位の権威と権力を保つために色々な法律改正が行われている。

 ()()()()でも皇帝は人間であり暗殺以外でも病死や事故死と色々な原因で突然死というものは起こり得る。

その全てに対応するなど不可能だ。

この不可能な即位を可能としているのが国教・聖火教である。

 聖火教において皇帝は神の治世の地上代行者とされている。

 聖火教の総主教が神託において次期皇帝の即位を認める事が皇帝の神秘性を高め代替わりで弱まる権威を補完するのである。


 俺自身は上司が神様だけに存在に疑問を待つ隙間もないが神に会った事がない一般人でも魔法が使える者は数多くいる。   

 神の遺物(アーティファクト)なる強力な効果を持つアイテムも世界各地に点在している。


 この世界では神の存在は極めてリアルで宗教が生活に根差している。

 皇帝は権威と実利を得る為、聖火教は金銭的援助と布教の保護を受ける為、比翼の鳥の如く関係は親密になった。

お互いの立場を強固にする為に帝国と聖火教団はある創話を世に広めた。

目立たぬように、それでいて意識下に染み込むように時間をかけてゆっくりと。


〜皇帝は次期皇帝が決まるまで精神体として聖殿に留まる事が出来るらしい。

全ての政務や後継者の選定等が終わり即位式と自らの大喪の礼が終わるのを見届けて皇帝の魂は昇華され天界に旅立つらしい〜


 この創話は聖火教のもっとも有名で基本的な教えである

『輪廻転生、肉体は滅んでも魂は不滅』

と合致し何時の間にか臣民に受け入れられた。

 帝国の拡大期が終わり過渡期から成熟期に向かう100年をかけて根付いた創話は何時の間にか()()となった。


 三尚書による神前会議の招集は臣民の間では【死の支度】とも呼ばれている。

 皇帝招集の御前会議の場合、参加資格は中位官吏以上もしくは子爵以上の受領貴族、帝都常駐の法衣貴族である男爵、地方官吏のトップでる男爵まで。

通常200人から350人程度が参加する。

それに対して神前会議の出席者は皇帝(崩御)、皇太子もしくは皇嗣(立太子の儀を経ていない皇位継承順一位)、三尚書(内務・外務・軍務の3人)、典礼司、侍従長、聖火教の代表者、それに皇后、皇族などで通常15名程度である。

今回はさらに少なく11名だがこの極限られた人間によって新皇帝の決定がなされるのだ。

 

 新皇帝が幼少の場合は前皇帝(崩御)が後見者となり御前会議の内容や各省庁の重要議案を決済する。崩御された皇帝が議案を決済する。

もちろんこれは表向きの話だ。

実際には皇帝を除く神前会議の参加者による合議によって新皇帝の初期の政策は1年から長い場合は10年以上補佐される。


 民主的な手続きが一切されない合議制は新たな独裁や上層部の軋轢を生む可能性を孕むが、ここで聖火教が存在感を発揮する。

 神の存在がはっきり認識されたこの世界では聖火教の神託は勿論、信任や承認も権力の暴走を防ぐ要となっている。


 清貧清廉を旨とする聖火教の代表が入る事、神託が行なわれる事で場が引き締まり今までの神前会議は円滑に進められてきた。合議制によって公平でバランスの取れた指針を定め、皇帝による強権で政策を押し進める。不思議なバランスで帝国は発展し専制君主制に有りがちな覇権主義は抑えられ豊穣な時代を享受して来た…今までは。


 だからと言って今回も円滑に話が進むとはかぎらないし面倒事の気配がするんだよなぁ。


「皇后様は参加されないのですか?」


「心労で体調芳しからず、養生を優先したいとの典医の進言があったそうです」


「侍従長殿が典医殿よりお聞きにならなかったので?」


「私が離席中に典医より連絡があったそうです。本来なら直接私に話を通すべきですが今は非常時にて可及的速やかに話を進めるべしと。()()在席されていた内務尚書殿と軍務尚書殿が話を受けられたそうです。

 臣下最上位の五侯の内の御二人にそう言われては異議など有るはずも無く」


「外務尚書様は在席されて居なかったのですか?」


「外務省からお見えになる少し前の話だそうです」


「そうですか…」


胡散臭いな。


「何か御懸念でもございますかな?」


俺が気付く程度の事なら既に確認済みだろうに今気付いた如く問いかけてくる侍従長。食えないお人だ。


「軍務省、 内務省、 外務省、三大省の省舎は皇宮からほぼ同じ距離にあります。外務尚書様のみが遅れて到着されるとは…」


「私もそう思い事実確認をさせましたが軍務尚書様と内務尚書様の御二人だけに先んじて登城連絡がされていた形跡はございません。ただ…」


やはり確認済みか。侍従長は穏やか表情のまま話を続ける。


「外務尚書様が東門より入宮される際、近衛に外務尚書様参内の通達がされていなかったそうで、四半刻程足止めを受けたそうです」


「まさか、その様なことが……失礼致しました」


リーナが思わず驚きの声をあげる。


「構いません。当然の感想です。国家の中枢たる皇宮で有ってはならない失態です」


「平和ボケが中央にまで及んだか、あるいは…」


俺の言葉を侍従長が穏やかな笑顔のままに引継いだ。


「何者かの思惑ですかな」


マイルとリーナの緊張が一層増すのを感じる。

2人の代わりに俺が問う。


「侍従長殿自らお越しになられたのも…」


「多少の道化を演じる位は気にもなりませんが今回のやり様は余りに恣意的です。覚悟も信念も感じられません。そんな愚か者の思惑に踊らされるのは御免被りたい。人命が掛かるならば尚更です」


「同感です」


「外務尚書様は穏健で敏いお方です。今回の件は不問、他言無用と東門の近衛とその上官には直接話をされたそうです」


「流石は外務尚書様。今回の件が公になれば近衛師団長の性格を考えれば担当者は良くて退団クビきり下手をすれば物理的に首が飛びかねませんからね」


「この話は私と典礼司殿までに留め置く様にと外務尚書様からのご指示です」


「皇后様の件は了解致しました。侍従長殿自らおいでになった理由はそれですか」


「この話だけであれば後日、外務尚書様から直接お話頂けるのでは?」


 侍従長殿が相変わらずの穏やかな笑顔で問うてきた。

外務尚書様とは御前会議、役職会議以外話す事など皆無、三尚書の方々とは総じて犬猿の仲を通して来たつもりだが…何か掴んでいるのか。やはり油断できない御仁である。


「では本題は?」


「難しい話ではありません。明けの九の刻より神前会議が開かれる。ただただ刻限の案内です」


「それだけですか?」


「それだけです。ただ…明け方に侍従省付きの小姓が万が一時刻を伝え間違えましても確認や詰問はされませんように」


相変わらず穏やかな笑顔を浮かべる侍従長の言葉に俺は面倒事の気配を感じた。


 はぁ聞きたくないなぁ。でも聞かないとかなり拙いんだろうなぁ。

観念して侍従長に問い質す。


「小姓が間違えた時刻を報告すると言うことですか」


「小姓本人は時刻が間違っているなど夢にも思っていないでしょう。生真面目過ぎる程に職務に忠実な者なので」


「となると…誰が」


「神前会議の時刻は私から副侍従長へ話をしました。副侍従長から補佐官へ話が降り、補佐官の指示で小姓が此方に伺うはずです」


「トラウス副侍従長ですか」


何かありそうだな。

トラウス・エレ・ビューゲル子爵

50代半ばで元は法衣貴族(男爵)であり皇宮内の資材、食材等の管理をする中位官吏であった。

食材、資材調達の関係で皇后様にすり寄り皇后様のお声掛かりで侍従庁付きの補佐官となったのが5年程前。

皇后様の子飼として限定的ではあるが力をつけていたが皇帝陛下が体調を崩すとあっさり貴族派にすり寄った。

 軍務尚書と内務尚書による曖昧な功績のゴリ押しで去年子爵に陞爵され領地を得ると新たなポストである副侍従長に任命された。

 最近では軍務尚書と内務尚書の後ろ盾を得て色々暗躍している男だ。

 気が弱く高位官吏には媚びへつらう。

低位官吏、一般職には口調は変わらず低姿勢だが仕事押し付けたり、功績だけを奪い取ったり、 良い所取りだけをして責任を一切取らない男だ。

何処の組織にもいる皆が嫌う人柄だが軍務尚書や内務尚書と対立してまで問題視するほどの人間ではないというが周りの認識である。

 だが俺は前世の経験でこのタイプが幅を利かせる組織がいづれ瓦解する事を知っている。水に紛れた一粒の塩は日に日に土を蝕みいずれは大樹さえも枯らしてしまう。


「旧来ならば私が補佐官と小姓に直接会議の時刻を伝えるのですが内務尚書様がトラウス副侍従長に任せよと仰せで…」


「内務尚書様がですか」


「侍従長はこれから多忙を極めるのだから少しでも身体を休めよと…」


「それはもっともな話で有りますが」


「せっかく新たに副侍従長の役職を設けたのだから少しは下の者に仕事を回してはどうかとも」


「至極もっともなお話ですね。そうまで言われては断るなど出来ませんな。

侍従長殿は何か気になることがございましたか?」


「お心遣いに感謝すべきなのですがトラウス副侍従長を呼んだ際、三尚書様全てが席を外されたのです」


「他に人は?」


「おりません。

三尚書会議直後に副侍従長を呼んだので三尚書様が席を外された後は私と副侍従長だけでの申し送りとなりました。

典礼司殿もご存知の通り三尚書会議は秘匿事項が多いですからな」


 帝国行政府に会議は数多あれど議事内容の記録は補佐官若しくは書記が行うのが原則であった。 異中の異、例外の中の例外として秘匿事項が多い三尚書会議と神聖視される神前会議だけは補佐官や書記を置かない事が慣例だった。

 三尚書会議は官吏最上位の三尚書の意向に抗う事が出来、公正で独立した()()を持つ侍従長が第三者の立場で参加する事が原則でもあった。


「三尚書様方はどちらに」


「外務尚書様にお聞きしたところ別室にて軍務、内務、外務の直近の基本方針の照らし合わせを行なおうと内務尚書様から声が掛かったそうです」


「話としてはわかりますが…ただ何故そのタイミングだったのでしょう」


「まさにそこなのです私が違和感を抱いたのは。トラウス副侍従長との申し送りなど5分も掛かりません。態々部屋を移動せずとも申し送りが終わり我等が退室するのを待てば済む話なのです」


「軍務尚書様が皇族方、公爵閣下、3尚書を含む五侯の方以外に部屋を譲るのも違和感がありますね」


「まさに」


侍従長殿が深く頷く。


 軍務尚書様は権威主義の塊のようなお方だ。自らの爵位である侯爵以下の階位の者に部屋を譲るなど考えられない。

 流石に同格の官吏である侍従長を部屋から追い出すことは無いと思うが自らが部屋を譲るなど考えられない。


「お茶をどうぞ」


リーナが俺のお気に入りの紅茶を淹れてくれたようだ。侍従長と俺の近くに身を置きながら何時の間にか良い香りの紅茶を淹れるんだから、器用なものだ。


俺は紅茶を飲みながら考えを口にする。


「席を外す目的か…。三尚書様だけで火急且つ秘密裏に話をする必要があったか、それとも…」


 厳しい視線をローテーブルの先に向けると侍従長がゆっくり紅茶を飲んでから茶請まで食べていた。


「この柔らかいクッキーは何とも不思議な食感ですな。歯の衰えた老人には誠にありがたい。旨いのぅ」


図太い。誰だよ穏やかなだけとか言ったのは。


「バングル女史申し訳ないがこの絶品のクッキーを後で一包いただけませんかな」


 高位官吏の威厳は見事に消え去りただの好々爺然とした侍従長が馴れ馴れしくリーナにお土産の要求をしている。

 …ただ皇宮内にいる官吏の顔と名前を全て覚えているという噂は本当のようだ。

何処が衰えた老人なのやら。


「分かりました。準備致します」


リーナも侍従長の雰囲気につられてか緊張が解れたようだな。


 俺に向き直った侍従長は穏やかな笑顔で話し始めた。


「今この時間も侍従庁に詰めて今後の準備をしくれている者の中に年若い小姓が2人居りましてな」


「明日此方を訪れる者達ですか」


「左様。将来的には侍従官吏として働く予定です。下級貴族の出身ですが帝都の学校を首席と3席で卒業した優秀な子等です。15歳、一応官吏付き職士(小姓)の扱いですがまだまだ子供でしてな」


「それでは侍従長様。クッキーのお土産はその子達用なのですね」


リーナが少し驚いたような声を上げる。


「そうじゃよ」


「お優しいんですね」


「いやいや。あ奴らはまだまだ子供故、栄養を取らねば後々仕事にも不都合がでるからの」


「ふふふ」


侍従長とリーナが急激に打ち解けている。なぜだろう。


 侍従長は再び俺を真っ直ぐ見て話し出した。


「外務尚書様にお聞きした限りでは我等に聞かれて不味い話はされていないそうです」


 急に高位官吏の雰囲気に戻したな。

侍従長の事を侮ったつもりは無いが此の方はやはり一流の政治家なのだな。


「となると席を外す目的は如何なるところにございましょう」


「俊英と名高い典礼司殿はならお解りでは」


侍従長が穏やかな笑顔のまま此方の心底を探る様に問いかける。


 ここはもう一歩踏み込むか


「これから多忙を極める我等二人が時間の浪費は如何なものでしょう。帝都の()()で会って話すが如く率直に話をしませんか」


「…確かに仰る通りですな。此方に伺った時点で虚飾は排してお話すべきでした。大変失礼致しました。

内務尚書様と軍務尚書様は恐らく我らの話を聞きたく無かったのではないかと」


「侍従長殿と副侍従長殿の申し送りを聞きたくなかった。若しくは聞いてしまうと不都合があると…」


黙り込む2人の間に湯気を上げた新たな紅茶が差し出された。


「不都合ですか」


リーナが自然なタイミングと口調の一言で俺に先を促す。

本当にリーナは場を読む能力に長けているな。

しょうが無い面倒事の扉を開けるとしよう。


「侍従長殿が副侍従長殿に神前会議の開始時刻を明けの九の刻と告げるのを外務尚書様に聞かれたくなかったのだろう」


「それと内務尚書様も軍務尚書様も自らが儂が()()()()()を副侍従長に告げるのを聞きたくなかったのでしょうな」


「そんなところでしょう」


期せずして互いから溜め息がもれる。


「私にはお話が掴みかねるのですが」


リーナながクッキーを渡しながら侍従長に問いかける。

このタイミングでお土産。

凄い距離感だなぁ。


「これはこれはありがとう。ん?クッキーがもう1つありますな」


「ラリー酒を聞かせたクッキーです。そちらは侍従長様に。お口に合えばいいのですが」


そういえばリーナはかなり祖父を敬愛していたな。孫娘スイッチでも入ったのか。


「おぉこれは有り難い。仕事が一段落したら頂こう。御礼にバングル女史には今度トリエル領特産の紅茶葉を届けさせよう」

侍従長がまたまた好々爺に戻ってる。

実は此方がデフォルトか?


「典礼司殿には良い補佐官がおられるのぅ。己の役割に生命を賭ける若者に2名も出会えて重畳重畳。良い機会です。

()()()()()を聴いてもらういましょう」


「いいのですか。()()()()()さん」


「構いませんよ。()()()さん」


「「!!」」


リーナとマイルが唖然とする中、ナーツェルさんが楽しげな笑顔を浮かべて立ち上がった。


 時代の変化そのものを体現するかの様に侍従長が俺達に向かって(こちらへと)歩み寄る。


窓の外では風はいつの間にか吹き弱り、明け方の雨は帝都の地面を叩くように真っ直ぐに降り続いている。


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