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星渡りのアゲハチョウ

 揚羽さんは星からやってきた。

 

 揚羽さん。学校一の有名人。なぜなら揚羽さんが星渡りだからだ。

「おはようございます。今日はとてもいい天気ですね」

 少し目を細め、揚羽さんが微笑む。言い回しが固苦しいのは彼女がまだ勉強中だからだそうだ。

「おはよう」僕は軽く頭を下げて応じる。「…揚羽さん」

 揚羽さんの瞳がきらきらと輝く。比喩ではなく、本当にビーズを散らしたように光っているのだ。

「名前、覚えて下さったのですね。嬉しいです!」

「クラスメートだし、二日目だし、それに…ちょっと変わった名前だから」

 口にしたあとで、はっとする。今の言い方は失礼だったかも。

 しかし、揚羽さんは気にすることなく、満面の笑みを浮かべた。

「ありがとうございます。揚羽というこの名前、わたしが自分で創ったものなので、とても気に入っているのです」

「自分で自分の名前を考えたの?」星渡り独特の風習だろうか。

「はい」

 チャイムが鳴る。先生が教室に入ってくる。

 揚羽さんはぐっと身を乗りだし、僕の目をまっすぐに見つめる。

「先生が来られたので、お話は後ほど」

 ひらりと蝶々の羽のように手をふり、揚羽さんは前に向きなおった。


 星渡り。昔でいう宇宙人。人類はついに未知の世界の住人との邂逅を果たした。

しかし、嬉しいかな、SFの世界とは成らず、至ってことは平穏に進んだ。

 こうして星渡りたちは留学生として世界のあらゆる場所で人類と交流している。

 ○学校は星渡りの少女の受け入れ先のひとつに選ばれた。

 

 昼休み。ここは屋上。普段は立ち入り禁止だが、特別に開放してもらった。

 「屋上でお昼ご飯を食べる。あこがれのシチュエーションです」

 感極まった揚羽さんがむねの前で手を合わせ、声高にいう。

 なんてベタな…、と僕は思ったが、揚羽さんがあんまりにも嬉しそうなのでつい笑みがこぼれる。

「さあ、ご一緒にお昼を食べましょう」

「うん。…けど、ちょっと待って。なんか敷くものもってくるよ」

 ずっと使われてなかったせいだろう。屋上はかなり汚れていて、正直腰を下ろすのは気がひける。

 揚羽さんがスカートをおさえてしゃがみこむ。そして塵やら苔やらで黒ずんだ床に、やさしくふうっ…と息を吹き掛けた。

 僕の目がおかしくなった。そんな錯覚すら疑う。

 床は、まるで何時間もかけて掃除したあとのようにぴかぴかと光沢を放っている。

 揚羽さんの弁当は、思いの外シンプルなものだった。白ご飯に卵焼き、唐揚げにプチトマト。

「そう、それで名前を自分で考えたって話だけど、みんなそうなの?その…星渡りのひとたちは」

「はい。わたしたちの星の言葉は、地球の方には発音ができません。ですから、地球で過ごすうえでの名前が必要だったのです」

「そうなんだ。ちなみに、揚羽さんの「本当の」名前ってなんていうの?」

「         、です」

 きょとんとする僕に揚羽さんはくすりと笑う。揚羽さんが口を動かしたのは確かに見えた。しかしそこから音は発せられなかった。少なくとも僕の耳ではとらえられなかった。

「初めは苦労しました。なにせ言葉を交わせないのですから」

「じゃあどうやってファーストコンタクトをとったの?テレパシーとか?」

「いいえ。わたしたち、星渡りが地球の言葉を勉強したのです」

「大変じゃなかった?」

 僕の問いに、揚羽は太陽のような笑顔で答える。

「ちっとも!だって、一刻も早く、地球の人たちと仲良くなりたかったのですから!そして、今もこうしてお話することができています。それを思えば、苦労もどこかへ飛んでいきます!」

すーっと手を空中で泳がせる揚羽さん。

 ぴたり。とその手が止まる。揚羽さんが、視線を向けるその先には一匹のアゲハチョウ。ひらり、ひらりと優雅に舞っている。

 揚羽さんの瞳のきらきらが最高潮に達する。見ていて眩しいほどだ。

 ふと、合点がいった。

「もしかして揚羽さん、アゲハチョウが名前の由来なの?」

「…はい」うっとりと悩ましげに息をつき、揚羽さんが頷く。

「こんなにも美しい生物がいるなんて、想像すらしませんでした」

 美しい。あまり口にしない言葉だ。確かにきれいだとは思うが。 

 まるで宝石を眺めるように、アゲハチョウに釘付けの揚羽さん。その横顔を見ながら、僕は思う。

 揚羽さんの「本当の」姿はどうなっているのだろうか、と。

 しかし、尋ねるのはためらわれた。それは綺麗に包装された包みを、びりびりにやぶるように野暮なことに思えたからだ。


 揚羽さんはすっかり周りに溶け込んだ。素直で明るく、雪解け水より純粋な揚羽さん。そんな彼女だからこそみんなと仲良くやっていけたのだろう。

 僕は揚羽さんと付き合いのあるその他大勢のクラスメートのひとりに成りさがった。

 そんな軽いヤキモチに近い感情を抱く。そもそも揚羽さんと僕が会話をするようになった切っ掛けは、席が隣だったというその一点だったというのに。

 春も半ば過ぎたある日の放課後、揚羽さんに屋上に呼ばれた。

 揚羽さん笑ってはいたが、どこか困惑しているような、そんなまぜこぜの表情で腰を下ろしていた。

「わざわざ来て頂いてありがとうございます」

「どしたの?急に」

「告白されました」

 どくん。心臓が跳ねあがり、汗が流れ落ちる。

 不思議なことではない。

 揚羽さんはスマホをくるくるともてあそびながら続ける。

「このような体験は初めてです」

「そうなんだ、おめでとう」言葉に詰まった挙げ句、心にもない台詞が飛び出す。

「わたしの星ではお付き合いする、という考えがありません」

揚羽さんはぽつぽつと言葉を紡ぐ。

「産まれた時から結婚する相手が決まっていますので。それが合理的な方法ですから」

「合理的?」僕には馴染みのない考えだ。

「わたしの星では合理的であることが最上なのです。食事も睡眠も、そして、恋愛も」

 揚羽さんはポケットからピルケースを取り出した。なかには赤と白のカプセル。

「赤のカプセルを1錠で一日分の栄養がとれます。白のカプセルを1錠で8時間きっちり睡眠がとれます。郷に入っては郷に従え、と言いますので、地球に来てからは使用しておりませんが」

 揚羽さんからカプセルを受け取り、手のひらで転がす。なんてことはないものに見える。

「わたしは、どうしたらいいのでしょうか」

 それを僕に聞くのか。

「その人のことが好きなら付き合ったらいいんじゃない?」

 揚羽さんを見ずに、カプセルに視線を落とす。

「地球の好きは、家族に対して抱くそれとは違うのですか?」

「ちがうねー。きっと、たぶん」

「具体的にどこがどう異なるのでしょうか?」

「うーん…。一緒にご飯食べたり」

「家族とも食事は取ります」

「映画みたり」

「昨日、地球の映画を家族で観ました。とても面白かったです」

 僕の乏しい知識ではこの程度の答えしか言えない。

 揚羽さんは益々困惑を深めたようだ。首をかしげる。

「では、わたしに告白してこられた方は、わたしとお食事したり、映画を観たいということなのでしょうか。それでしたらわざわざ「好きです」などと言わなくとも、オツキアイしますのに」

「そうじゃないと思うよ、その彼が揚羽さんに求めてることは」

「何を求めているのでしょうか?好きの、お付き合いのその先に、地球の方は何を求めているのですか?」

 じぃっと、まっすぐに矢のような視線が僕に当てられる。

 僕は、逃げの手を打つことにした。

「どうして、僕に聞くのさ」

「貴方のことが「好き」だからです」

 揚羽さんはまったくブレなく、言い切った。思いがけない言葉に息がとまる。

「この学校に来たとき、遠巻きに観察されているような感覚を覚えました。当然です。わたしは星渡りですから」

 雑味を含んだ笑み。揚羽さんのそんな複雑な表情をはじめてみた。

 しかし、曇り空から光が射すように、いつもの純度100%の笑顔が咲く。

「そんなときに最初に話し掛けてくださったのは貴方でした」

 それは席が「たまたま」隣だったから。

「「名前、何て言うの?」。貴方のその言葉がどれだけ嬉しかったか…。それはきっと貴方が考えている以上に、わたしの心を打ったのですよ」

 揚羽さんの率直な感情の吐露に、僕はただただ狼狽えた。そんな僕を、きらきらと輝く瞳で見つめる。

「星渡りのわたしが、地球で生きていくための道筋を作ってくださった恩人なのです、貴方は」

 地球人と、クラスメートと上手くやっているのは揚羽さんの力だ。

 僕に恩を感じる必要などまったくない。

 揚羽さんはすっと僕の正面にたった。

「貴方を信頼しています。だから教えてください。わたしはどうすればいいのでしょう」

 巡る思考。黙りこむ僕。答えを忠犬よろしく待つ揚羽さん。

 

 ひらり。


 雑多な考えでこんがらがった僕の視界に、1羽のアゲハチョウが飛び込んできた。黒と黄色の鮮やかな斑模様をひらひらと揺らし、夕方の空を飛んでいく。

 そうだ。僕に好きの定義や、人の恋愛云々を語ることはできない。そんな力も経験もない。

 僕にできることは…。

「揚羽さんが他の人と付き合ったら、いやだ」

 揚羽さんが目を丸くする。

「それは、なぜ?」

「なぜって…。……、わからない?」

 ここまで言えば判りそうなモンだけど。

「すみません。わからないです」

 本当に分からないのだろう。揚羽さんは申し訳なさそうにしゅんとする。 

 合理的。という言葉が浮かぶ。今僕がやっていることは合理的ではなく、ひどく遠回りしたやり方じゃないか。

 清水…ではなく校舎から飛び降りる勢いでいくしかない。

「揚羽さんのことが好きだから」 

 水を打ったように静まり返る。

 数秒か、数分か。沈黙の帳をやぶったのは揚羽さんだった。

「そうだったのですね!では、わたしたちリョウオモイだったのですね!」

僕の手をとり、ぶんぶんと上下にふる。弾ける笑顔、は嬉しいのだがボタンをかけ違えている感は否めない。おそらく、両想いの意味も勘違いしている。

 夕暮れの中、屋上でぴょんぴょんと子やぎのように跳び跳ねる揚羽さん。そして僕。

 勘違いのワルツは、先生に見つかって怒られるまで続いた。


 後日談を少し。

 結局揚羽さんは例の告白を断ったらしい。曰く、「リョウオモイの方がいるから」と。揚羽さんの女友達はくすくすとからかうような笑みで、僕に教えてくれた。

 そして夏、僕は揚羽さんを美術館に誘った。

「はぁ…なんて美しいのでしょう。この多彩な色使い、素敵です」

 揚羽さんは鮮やかな色が好きらしい。それを見越して誘ったのは、取り合えず成功した。

「さあ、次へ行きましょう!」

 僕の手をとり、楽しそうな揚羽さん。

 僕の想いは伝わったのだろうか。それを直に尋ねない僕のやり方はきっと合理的ではない、かもしれない。

 まあ、でも、僕は僕のやり方で想いを伝えよう。例えそれが石橋を叩いて渡るようなものであっても。

 星渡りの揚羽さんにとって僕が、本当の意味で「好き」だと言ってもらえるその日を願って。

 

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