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しけもくを吸う女

 駅前の隅にベンチがある。汚ならしいベンチ。しかし、いつも盛況だ。なぜか?灰皿があるからだ。

 私はそこでしけもくを拾う。しけもくとは、まぁ、要するにタバコの吸い殻だ。

 はじめのうち、しけもくに口をつける度に腹にパンチでも食らったかのような吐き気が襲ってきたものだ。

 今?…べつに。吸えればいい、ニコチンを肺に入れられればいい、あの煙を吐くときの感覚だけが私を現実から引き剥がしてくれる。新品のタバコすら手に届かないという現実から。

 ここ数日の雨のせいでしけもくが拾えず、何日もお預けをくらった。針でつつかれるような苛立ちが募る。くそっ。くそっ。くそっ!

 晴れた。何をおいてもまずあのベンチに向かう。

 すると、そこには同世代くらいの若い男。手には箒をもち、淡々とごみを、私にとっては空気よりも大切なしけもくをごみ袋にかき集めていく。

 ちなみに私は基本常識的なニンゲンだ。

 だが、その時はマトモじゃなかった。砂漠で遭難の末にやっと見つけたオアシスに、小便をひっかけられたら誰だって怒るでしょ?

 そういうこと。

「あのっ!」

 男が顔をあげ、私を見る。なかなか見れた顔だが、感情が読めない無機質な印象。

「なにか?」手は止めず、男は口を開く。

「止めてくれません?そこを掃除するの」

「そういうわけにはいきません。最近、苦情が来てましてね。ここの吸い殻がヒドイって」

「じゃあ後はやっとくんで、とにかくやめて」

「加えて、その吸い殻を拾ってる人がいて、それも止めさせて欲しいとの依頼でね」

 男の口ぶりから、それが私だとわかった。

 見られてた。羞恥がほんの僅か。しかし、恥ずかしいなんて気に病んでいたら、しけもくなんて吸えない。そんな感情はとうに捨てた。

 さらに私を苛立たせたのは、男の腕に巻かれた時計だ。有名なブランドのロゴが覗く。身なりも清潔で、しっかりしていそう。

 光と闇。ダイヤモンドと硝子片。人間とそれ以下。

「やめろっつってんの!」

 ようやく男は手を止めた。しかしその目は冷たく色がない。

 ちくしょう!見下してやがる!

「私があなたを馬鹿にしてると思いますか」

 問いかけというより呟き。男はじっとあたしを見る。

 あたしが黙っていると男は視線を落とし、ごみ拾いを再開した。

「馬鹿にはしていません。加えていうなら、何の感情もありません。仮に、あなたが僕の目の前で車に轢き殺されても、一瞬手を合わせるだけです。夜になれば友人と馬鹿話に花を咲かせるでしょう。私があなたに持つ感情はそんなもんです」

「そう」

 あたしは平静を装ってなんと言い返した。それ以上は何も言えない。突然の氷のような冷たさに、芯の芯から寒気が昇ってきた。

「だから私は私の仕事を続けます。邪魔をするなら、正当で合法的な手段でしかるべき処置をします。いかがです?まだ邪魔をしますか」

 あたしには何のすべもない。ただ、ただ悔しかった。男とあたし、同じ国に生まれ、同じような教育を受けたはずなのに、いったい何がここまで明暗を分けたというのか。

 男はてきぱきと掃除を済ませ、ごみ袋をさっと縛った。

「これ」

 差し出されたのは封のついたタバコの箱。

「差し上げます。今日から禁煙するので」

 それだけ言い残し、サイアクの後味を残して男は去った。

 あたしは、惨めで悔しくて、何かわからない、妙な空しさだけを抱え、立ち尽くした。

 ぐしゃり。タバコの箱が悲鳴をあげ、つぶれる。

 捨てよう。


 果たして、女はタバコを捨てたのか。

「一本、いっぼんだけ、、、」

 そんな独り言をぶつぶつ。ヒドイ身なりの女がくしゃくしゃのタバコの箱を握り締めながらさ迷う姿を、目撃した人がいたというが…。

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