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嗚呼、空が見てぇなぁ

 「嗚呼、空が見てぇなぁ」

 やけに大人びた口調で、女の子が呟く。彼女の白い手を、さらに幼い男の子が命綱だと言わんばかりに握りしめている。

男の子は小動物みたくぷるぷると震えながら、おっかなびっくり空を見上げる。

「ねえちゃん、はやくにげようよ」

「おうよ。行くか」

男の子の手を引き、女の子は最寄りの防空シェルターの場所を頭の引き出しから引っ張り出す。

「…嗚呼、でもやっぱり空が見てぇなぁ」

 二人の頭上には煙と汚れた雲で覆われ灰色一色の空。その中を空軍の戦闘機が飛び回る。相手はQと呼ばれる謎の生命体。

 人々は空を飛ぶQを恐れ、青空を忘れていた。


 「空!空!空!空はQのものだ。Qこそ空で、空こそQ。空を汚した人間に空は、Qは罰を下しているのだ。みろ!みろ!みろ!証拠はあるぞ。我が神殿と、信徒の家々は傷ひとつない!空を、Qを崇めているからだ!」

 スカイブルーの法衣をびらびらと。Qの下僕を名乗る男が熱弁を振るう。その周りには人だかり。

「くっだらねぇ」やけに大人びた口調で少女が吐き捨てる。

 男と、その取り巻きが少女に視線を向ける。

 構わず、少女は続ける。

「空はQのもの?そんな世迷い言聞くぐらいなら、家で「イジってる」方が有意義な時間の使い方ってもんだぜ」

「なんだ貴様」

周囲の雰囲気が冷たく鋭利になる。

「名乗る価値もねぇ小娘さ。だけど、道理は分かるつもりだ。空は誰のモンでもねぇ。所有者なし。でもまぁ、強いて言うならみんなのモンさ」

少女を取り囲む人々の視線は濁り、まるで悪霊にとりつかれているかのように暗い。

それでも少女は怯まない。

「そのみんなのモンを好き勝手に汚してるQを、あたしは許せねぇ。クソ食らえだ」

「貴様、空軍の雌犬か」

「空の番人気取る前に、レディーへの口のきき方を覚えろよ。短小野郎」

 怒りの熱が、可視できそうな程膨れ上がる。

「おい!何やってる!」

 深緑の制服駆け寄ってくる。

 それを見たQの下僕たちが蜘蛛の子を散らすように逃げる。

 制服の青年は負う気はないらしい。ピタリと少女の傍らにたち、睨みを効かす。

 きっかり3秒後、空き地が少女と青年だけになった時、突如笑い声が響いた。主は、少女。

「似合ってねぇぜ。お下がりのぶかぶかシャツを着せられた弟みてぇだ」

「下ろし立てなんだ、勘弁してよ」

 青年はどこか小動物を思わせる弱気な声をもらす。少女は腕を組み、ふっと笑みをこぼす。

「いよいよ明日か」

「うん」

「死ぬ気で頑張れ」

「うん」

「なーんてな」少女はこつんと青年をこづく。自分より背の高い青年を。

「行くな、とは言わねぇ。でも死ぬな」

「…」

 青年は黙って頷いた。彼の目は、不安で染まっていた。だが、どこまでも澄んでいる。

「空を見せてあげるよ」

 静かに、透明な声で青年が断ずる。彼にしては珍しい、まさに青天の霹靂、力強い一言。

「おうよ。待ってるぜ」

 少女は曇天の空の下、満面の笑みで応じた。

 

 翌日。戦闘機の一団が空を裂いた。

 泥をぶち撒けたような曇天のなか、迎えるのはQの大群。

 街はサイレンの音が響き渡り、人々は防空シェルターに避難した。…一部を除き。

 スカイブルーの法衣が揺れる。取り巻きたちと共に、地に膝をつき、一心不乱に祈る。Qに。

 少女もそこにいた。ただひとり、腕を組み、空を、Qを、そして空軍の戦闘機を、見つめる。言葉はなく、ただ青色の情熱を持って見上げていた。

「不遜な娘よ」Qの下僕が、少女に気づいた。

「見よ、空軍どもが墜ちる様を。Qが空を支配する様を。これが現実だ」

 下僕が指し示す先、墜落した戦闘機が市街地で黒煙をあげている。空軍は劣勢を強いられているのは明白。

 それでも少女は揺るがない。

「あたしは諦めねぇよ。何度負けようが、最後に勝ったモン勝ちだ。…あんたらは、折れちまったのさ。一度負けて、もうこいつらには、Qには勝てねぇって勝手に悟った気になってんのさ」

「諦めた、だと」

轟音響くなか、街が燃えるなか、少女はぶれずに空を見上げる。

「おうよ。諦めだ。Qの腰巾着は楽だろう?つえぇやつに頭下げんのは楽だろう?逆らうよりはさ」

「逆らうからこそ打たれるのだ。人間が歯向かうのをやめれば、Qとて無為に手を出すまい!」

 Qが初めて人類の前に姿を表したとき、人類は一丸となって歯向かった。

 結果、地上のほとんどは灰となり果てた。

 人類の傲慢がQを産んだのだ。誰かがいった。

 ふざけるな。少女は思う。誰が、何の権利があって、命を奪うことを正当化できるというのか。命を奪われてもしょうがないと諦められるというのか。

 

 一条の光が空を駆ける。生き馬の目を射ぬくが如く、針の穴を通すが如く、Qに攻撃を加える。

 その戦闘機はまさに空から生まれたかのように、縦横無尽に駆ける。

「いけ!」少女が短く、鋭く声を飛ばす。

 Qが次々に堕ちていく。

 空軍も勢いを盛り返す。そして、さらに地上からも砲火がQに放たれる。

密かに建設されていた、対空砲が地上で火を噴く。

 互いの血を肉を削るような戦いは、勢いをます。

 Qの下僕たちがおろおろと辺りを見回す。すでに周囲は、墜落した戦闘機やQの残骸で、荒廃していた。


「嗚呼、空が見てぇなぁ」

 すでに、Qの下僕は姿を消していた。逃げたのだろう。

 少女の願いは、人間の願いはやがて実を結んだ。

 Qは駆逐された。人間は空を取り返したのだ。

 少女は変わらず空を見上げていた。彼女の視線はある一機に向けられていた。例の、鷹が如く空を駆けたあの機体だ。

 その機体はぐんぐん速度を増していく。誰も追い付けない。

 やがて、トップスピードに達したとき、機体は雲を裂いた。

 曇天の、泥色の雲が割れ、久方ぶりに満開の光が地上に降り注ぐ。少女を祝福するように。

 そして現れたのは…。


 蒼。碧。青。


 少女は荒れた地上にしっかりと足をつけ、その青を見つめる。眼球に焼き付けるかのように、瞬きすらわずらわしいと言わんばかりに。

「嗚呼、これが空か」ぽつりと、やわらかで穏やかな口調。

「一人占めするにゃあもったいないぜ。だから」

少女は、雲を裂き、青空を取り返した戦闘機を見る。

「はやく帰ってこいよ」


 澄んだ空が、どこまでも広がる青が、人々の頭上をおおう。



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