弥吉のカタナ
とある時代、まだ魑魅魍魎が駆け回っていた時代。一人の珠のような姫がいた。その美しさは人のみならず鬼すら魅了した。しかし姫は、鬼から求婚を断り続けた。
ある日、鬼は姫に呪いをかけた。我が物にならないならいっそ、と。
床に伏せる姫。両親や兵士たちが見守るなか、突如鬼のせせら笑いが響いた。
「たかが小娘ふぜいで鬼の誘いを断るなど生意気にも程がある。精々この世で苦しむがいい。地獄に堕ちた後に可愛がってやろう」
姿なき鬼に兵士たちはおろおろするばかり。
しかし、その場にいた年老いた和尚だけは冷静であった。
「鬼と言えば高位の妖異。それほどのモノが、たかが人間風情に大層な呪いをかけたものだな。儚き人にせめて希望を持たせてはくれぬか。もがき、あがく姿をみるのは楽しかろう」
しばし沈黙。
「ならばあがいて見せよ。我を含めた鬼100体を討ち取れば、姫の呪いも解けよう」
その声を最後に不気味な気配は消えた。
静寂が辺りを覆う。誰も声を発しなかった。鬼はまさに一騎当千の妖異。人が勝てる存在ではない。それが100体となれば山を動かすようなものだ。
その時、一匹の、いや一人の影がさっと現れた。
名を弥吉と云い、仔鼠のように痩せていた。しかし、その目にはその場の誰もが持ち得ない光が宿っていた。
弥吉は親代わりの和尚の前に膝をついた。
「和尚様!オレがやります」
兵士たちから失笑が漏れる。犬にすら負けそうな小僧になにが…という響きがあった。
だが、和尚だけはじっと弥吉を見ていた。そしてまた弥吉も和尚のみを見据えていた。
数年前の冬。凍え、死の淵にいた弥吉を和尚のもとに連れてきたのは姫だった。自らの高価な着物を、泥にまみれた弥吉に惜しむことなく掛け、助けて欲しいと懇願してきたのだった。
その後、弥吉と姫は身分の差を越えて、姉弟のような絆で結ばれた。
そして今、弥吉は一生の恩に報いようとしているのであった。それは育ての親である和尚にすら止めることのできないものだ。
和尚は姫の枕元にあった魔除けの刀をとり、弥吉に渡した。
弥吉の身体ほどのある刀身。弥吉はそれを背負い、和尚に頭を垂れた。そして、姫の枕元で畳にめり込むほど額を付けた。
そして、弥吉は風のように飛び出した。
一年後の晩。姫の症状はいよいよ末期を迎えていた。もはや夜明けは迎えられぬ。和尚は姫の両親にそう告げた。
もはやこれまで。誰もが天を仰いだそのとき、突如として、台風が飛び込んできたかのような轟音がとどろいた。
いつの間にか、半裸の男が立っていた。腰巻きひとつ、手にはぎらりと光る刀を持っている。筋骨隆々な身体には綺麗な箇所が無いほど傷だらけ。だが、なにより目を引くのは、その瞳。赤黒い瞳は尋常な人のそれではない。
兵士たちが槍を手に男に斬りかかる。だが、男がひらりと手を振ると、まるで縫い付けられたかのように動けなくなった。
震え上がる姫の両親を尻目に、男は和尚の前に膝をついた。
「弥吉か」和尚が短く呟く。
「…和尚様、鬼は全て討ちました。なのになぜ姫の呪いは解けませぬ」
「鬼は、まだおる」
和尚は二の句を継がなかった。弥吉も言葉なく、ただ和尚をみるのみであった。
夜明けは近く。もはや姫の命の灯火も少ない。
弥吉は和尚から離れ、姫の枕元にたった。そして深々と頭を下げた。下げ続けた。
やがて弥吉は決意を固めたようにすっくと立ち上がった。そしてただ一言。「姫には、弥吉は死んだと伝えよ」そう言い残し、再び突風を残して消えた。
夜が明け、朝日が柔らかく辺りを包む頃、姫は一年ぶりにその眼を開いた。
歓喜する両親そして周囲の人々。きょとんとする姫。
呪いは解け、鬼の消えた世に静穏が訪れた。
和尚の寺には弥吉の墓がある。墓前で手を合わせる姫の目には涙が浮かぶ。
その後、姫は生涯を弱き人々の救済に捧げたという。




