月に放火す
神社へ続く階段に、彼女は座り込んでいた。ぐったりと首をさげ、ひざを抱える弱々しい姿に、話しかけずにはいられなかった。
「大丈夫ですか」
「え、はい。だいじょうぶです。はい」
「そうですか、それならいいんですけど」
「うそです。すみません。お水、いただけますか」
切り返しの早さに苦笑し、待っててくださいと言い残してコンビニに向かう。
異常に暑い日だった。外を出歩くだけで汗が吹き出すような天気だから、彼女がダウンするのもわかる。
よく冷えた水を、どうぞと差し出すと、彼女はぺこぺこと何度も頭を下げながら、こちらが恐縮するほどの低姿勢で受け取った。
「では、僕はこれで。気をつけてくださいね」
「まってください。おぼえてませんか、わたしを」
「どこかでお会いしましたか」
「はい。わたしはあのとき、あなたにたすけてもらった蛙です」
記憶の糸をたどる。蛙。僕があの時助けた蛙。
やがて思い出した。あれは僕が学生の時、ちょうど今日のように暑い日だった。日陰を求めてさまよい歩いていた時、隅でごそごそと何かやっている子ども達を見つけた。興味をひかれて覗き込むと、なんと彼らは棒切れで一匹の雨蛙を小突き回しているのだった。鮮やかな若草色のその蛙は、散々たる虐待に、もはや抵抗する気力もない様子だった。
「おい!」
自然にその言葉が飛び出し、事態はあっさりと片付いた。後ろ暗さもあったのだろう、彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
残された僕と蛙。僕はもう蛙は助からないと思った。ぐったりと横たわる蛙を土ごと掬い上げ、人目につかない溝に運んだ。ちろちろと水が流れていたからだ。そして、僕はそっと蛙を置き、その場をあとにした。
回想終了。
確かに僕は蛙を助けたことがある。だからと言って彼女があの時の蛙の化身だということにはならないし、信じることもできない。とっさに返す言葉が見つからず、僕が黙り込む。しかし、彼女はまるで異にかえしたふうもなく、熱っぽく語り始めた。
「あのあと、わたしはしんでしまいました。いたいとか、つらいとか、にくいとか、そんな真っ黒なきもちでいっぱいでした。でも、さいごにあなたがわたしを水のところにつれていってくれました。わたしたち蛙は、水にみちびかれて天国にいけるのです。あのまま、からからのすなのうえでしんでいたら、きっとわたしはさばくの地獄で、悪い蛙になっていたでしょう。あなたはわたしの恩人さまなのです」
僕はただ頷いた。恩人と言われて悪い気はしないが、あまりに突拍子の無い話だ。
「君が蛙だとして、いや、信じてないこともないことは無いんだけど、えぇと、つまり、お礼を言いに来たってことでいいかな」
「はい。ただ、あのたいようのねつのせいで、あやうく干物にな
るところでした。たいよう、そうたいよう。おもいだしました。これをどうぞ。わたしたち、蛙の神様のものです。ちゃんとおゆるしをもらってきたので、えんりょなくつかってください」
手渡されたのはつるりとした、一見なんの変哲もない石のようなものだった。滑らかな手触りで、握るとひんやりと肌に心地いい。
「これは※※※っていいます。つかいかたはかんたんです。※※※をにぎって、つよくこころのなかで♪♪♪となえるだけ。そうすればお月さまがものすごく輝きます。つよくなります」
「月が強くなったらどうなるの」
「わたしたち蛙がつよくなります。つよくなったら、いろいろできます。ごめんなさい、もっとちゃんとせつめいしたいのですが、たいようのしたではこれいじょういられません。干物になってしまいます」
彼女は不意に立ち上がった。そしてぼんやりと立ち尽くす僕に、にっこりと笑いかける。
「こんやは満月です。ぜひ※※※をつかってみてください。このおはなしのつづきはそのときに」




