虫潰しの少年はコンピューターを憎む
広大な畑には太陽に届けとばかりに背を伸ばす植物が広がっている。上層では有機栽培が流行しており、この畑もその流れを汲んで農薬を一切使用していない。農薬を使わなければ虫がわく。犯罪者の息子は畑のなかで、たったひとり、青々と繁る植物に埋もれながら虫を潰していた。
ぶちゅぶぢゅ。くちゅり、ドロリぶちゃり。素手で一匹ずつ。手袋を着けることは許されない。彼が、犯罪者の息子だから。
上層の社会は完全にオートメーション化を完了している。あらゆる作業は機械が代行可能だ。犯罪者の息子が行っている虫潰しすら、専用の機械がある。だから、犯罪者の息子が行っている作業は、合理化を尊ぶ上層の人間から言わせれば水に水を掛けるような無意味な行動なのだ。無意味で残酷な刑罰。
監視カメラが犯罪者の息子の行動を逐一捉え、全世界に生中継する。最近、上層の若者の間では、犯罪者たちの刑罰の様子を映した動画が流行っている。いわく、さいこーのヒマツブシ。
ところで、犯罪者の息子の名前だが、それはすばり「犯罪者の息子」だ。彼はこの先、気が遠くなるような金額を払って自分の名前を買わなくてはならない。殺人者や強姦魔、強盗、露出狂。実在する名前だ。なにも自身が犯した犯罪名がつくわけではない。犯罪歴のある親の子は、自動的に犯罪者の息子(あるいは娘)という名前になる。
犯罪者の息子は流れ落ちる汗も拭わず、黙々と虫を殺し続ける。照りつける人工太陽は容赦なく犯罪者の息子を刺す。畑にわくのは無毒な虫だけではない。なかには得体の知れない毒を持つものもいる。色鮮やかな毛虫を親指と人差し指の腹で潰したとき、鈍い痛みが走り、じんじんと指先が熱を持ちはじめた。犯罪者の息子はふと、自分の手を見つめる。監視カメラが警告するように機械音を立てる。
犯罪者の息子はズボンで虫の体液を拭うと、作業に戻った。手を動かしながらも、犯罪者の息子の耳は、緑を掻き分けて近づいてくる存在を捉えていた。ちょうど50匹目の虫を潰したところで、モーゼのように緑の海を分けて、白い清潔な作業服をまとった人物が姿を表した。若い女性だ。上層の住民であることは、白い服を纏っている時点で明らかだ。犯罪者の息子は赤色のツナギ以外、身に付けることは禁じられている。
犯罪者の息子は手を止め、両手をももの横にぴったりとつけて、頭を下げた。言葉は出さない。自分から言葉をかけてよいのは上層の人間からと決まっている。
「休憩よ。さあ、畑から出て」
「お心遣い誠にありがとうございます。しかし、まだ作業が残っております」
「この広さの畑を一人で回るなど、土台無理なこと。二度は言わない。畑から出なさい」
犯罪者の息子は深々と頭を下げ続ける。顔をあげてよいとの許可が出ていないからだ。犯罪者の息子は考える。これは、服従心を試されているのではないだろうかと。ここで素直に従えば、刑期が延長されるのではないか。反省の色がないからと。
「何故指事に従わない!出なさい!」
女が声高に叫ぶ。しかし、犯罪者の息子は黙ったまま、顔を地に伏せる。彼の心にはぐるぐると迷いの渦が巻いている。上層の人間の言葉に従わないなど許されざる行為だ。しかし、彼女の言葉に従えば、自分は犯罪者の息子としての刑を勤められない。日が上ってから暮れるまでの間、休みなく作業を続けなければ刑にならない。
ふいに犯罪者の息子の肩に手が置かれる。初め、何が起きているのか理解できなかった。皮膚病に犯された犬に触れるものがいないように、犯罪者の息子に触れるものなどいないから。
「わたしはこの農園の主任だ。少なくともここではわたしの言葉こそが絶対で、真実だ。あなたを傷つける気はない。安心なさい」
犯罪者の息子の頬を汗が流れる。それは人工太陽のせいだけではなかった。
透明な水が、パステルカラーの桶のなかでゆれる。犯罪者の息子は桶のなかに手をいれる。指先の熱が引いて行くのを感じる。女はその様子を満足げに眺めていた。
「飲みなさい」
ガラスのコップが差し出される。澄んだ水がなみなみと入っている。
「ありがとうございます」
女の手に触れないよう、コップを受け取り、口に運ぶ。口内を潤いが満たし、微かに塩気を感じた。
「汗をかいたときは水分だけでなく、塩分も必要だ。遠慮せず全て飲みなさい」
「はい」
一気にコップを干す。女は犯罪者の息子からコップを取り、持参していたバックに納めた。
犯罪者の息子が腰をあげる。
「なにをしている?」
「作業に戻ります」
「まだ5分もたっていない。何故そう自身をイジメルような真似をするのだ」
イジメル、という言葉に犯罪者の息子はたじろぎ、眉をひそめる。しかし、すぐに表情を正す。
「犯罪者の息子は、犯罪者の息子です」
犯罪者の息子に、「わたし」などの代名詞の使用は認められていない。
「刑を全うし、犯罪遺伝子を消し去らなければなりません」
「犯罪遺伝子など、存在しない」
女は歯軋りをするように、言葉を絞り出した。犯罪者の息子は表情こそ変えなかったが、内心驚愕していた。
犯罪遺伝子。親の特徴が子に受け継がれることは周知の事実で、近年の研究で、遺伝されるのは、外見などの特徴だけではなく犯罪を犯させる性質、つまり犯罪遺伝子なるものも遺伝するとの発表がなされたのだ。
女は上層の人間で、主任という社会的地位も得ている。そんな雲上人が犯罪遺伝子などない、と言ったのだ。人間にはエラがある、という言葉の方がまだ信じられる。
犯罪者の息子ははたと気づいた。これはテストだ。試されている。自分が犯罪者の息子であることを心の奥底まで刻み込んでいるかを。犯罪者の息子は感情を消し、ピンっと背筋を伸ばした。顔をやや上に向け、天に誓うように声高に宣誓する。
「犯罪者の息子は、犯罪者の息子であります。犯罪者の息子の父は、上層の方々の政治の方針に疑を向けた忌むべき犯罪者です。このまったき球体のごとく傷のない現体制に逆らおうとしたテロリストです」
犯罪者の息子は一息ついた。ふと、今日もどこかで父は自身の罪を大衆の前で告白し、叱責を受けているのだろう。毎日帰宅する度に傷を増やす、父の顔が浮かんだ。
「犯罪者の息子には、そのテロリストの血が流れております。この汚れた血は消えぬことと存じます。しかしながら、犯罪者の息子は誓います。一生をかけて、この穢れを少しでも落とすことを。」
犯罪者の息子は深々と頭を下げ、再び緑の海の中に消えた。
女は彼の姿を見送るしかできなかった。社会は円熟期を迎えている。文明の発展は留まるところをしらない。
パステルカラーの桶には汚れきった水が揺れる。彼がほんの少し浸しただけだというのに。
桶に指を浸したときに微かに彼の顔に浮かんだ、少年らしい笑みが脳裏に焼き付いてる。女は自分の手に視線を落とす。白くほっそりした、汚れのない手。彼とはなんと違うのだろう。
人工太陽が、監視カメラを照らす。




