よし子は犬神
「よし子さん、洗濯してくれてありがとう。でも干すのは自分でやるからいいよ」
よし子が洗濯かごを手に縁側にたつ。小柄だが、シャンと延びた背筋のせいか、堂々たる風格がある。切れ長の瞳が彼女の気の強さを表すように、きらりと光る。
「お気遣いありがとうございます。しかし、これはわたしの仕事です。どうぞお任せください」
「いや、任せてって言われても…」
まごつく彼に、よし子はずいっと詰め寄る。
「それとも、貴方さまはわたしの下着に興味がおありなのですか?」
彼がちらと洗濯かごの中身に視線を落とす。そこにはタオル、枕カバー、そして白色の…。彼はさっと視線をよし子に戻した。耳が赤い。よし子はにっとからかうように笑った。
「大変恥ずかしいことですが、他ならぬ貴方さまの頼みです。どうぞ」
「さま付けするくせに、態度はまったくそうじゃないな」
「わたしは貴方さまの忠実な僕です」
「洗濯は任せるよ」
「はい。お任せください」
「代わりに、なにか食べたいものあります?」
「肉で」
「チキンステーキにしよう。買い物に行ってくるよ」
「あっ、それでしたら10分ほどお待ちください。ご一緒いたします」
「いや、いいよ。おつかいくらいひとりでいけるから」
「失礼ながら、鶏のむね肉ともも肉の違いをお分かりですか?ステーキにはどちらが適しているかご存じでしょうか?」
「…すなずりにしようと思ってたんだけど」
「やはり少々お待ちください」
よし子が目を細め、ふっと息をついた。
夕暮れ時、制服姿の学生たちが楽しそうにくっちゃべりながら
よし子と彼の脇を過ぎて行く。
「よし子さん、付いてきてくれてありがとう。でも買い物袋くらい自分で持つよ」
「お気遣いありがとうございます」
よし子の細い腕の先には、ぱんぱんに膨らんだ袋がふたつ。よし子はそれを綿でも扱うようにひょうとあげて見せた。
「わたしの方が力持ちですから」
「いいからいいから。かして」
彼がよし子から袋をとる。よし子もあえて逆らいはしなかった。よいしょよいしょと重さを見せないように歩く彼を見て、よし子は思わず笑みをこぼした。彼はそんな彼女に目を止め、不満そうに口をとがらせる。
「僕ももう子供じゃないんですよ」
「もちろん存じ上げております。ただ、おしめまで替えてあげていた貴方が、ここまで大きくなったことが嬉しいのです」
「…そう」彼はふいと顔をそむける。
「おや?なぜ照れているのですか?」
「別に」
「恥ずかしいことをしているわけではないのですから、照れる必要などありませんよ。そもそも同じお風呂に入ったこともあるのですから、これで赤くなる理由がありません」
「昔!昔のことね」
慌てて周囲に目を配り、彼はあわあわと早口にまくしたてた。
よし子はくつくつとのどを鳴らす。彼女の見た目はせいぜい20代前半。彼とお風呂に一緒に入っているなどと言われれば、周囲は眉をひそめるだろう。
よし子は軽い足取りで彼とならんで歩く。
「貴方も、貴方のお母さん、そのお父さん、そのまたお母さん。…。すべてわたしの可愛い子供のような存在です」
「子供、か」
彼はふと夕焼けの空を見上げ、過去に思いをはせた。
物心ついたときから側にいたよし子。幼い彼には姉のような存在だった。ただ、いくら年月が経ってもよし子の見た目が変わらないことを不思議がっていた。両親にそれを尋ね、初めてよし子が犬神という人外の存在だと知った。
それが彼の人生を変えた。
「よし子さん」
「はい?」
「いつか必ず自由にしてあげるから」
「…はい」
「今は無理だけど、いつか、絶対、よし子さんを縛る呪いを解くから」
「わたしは、犬神になったことを後悔はしていません。辛くないと言えば嘘になりますが、楽しくなかったとは口が裂けても言えませんから」
よし子は夕日を背に、にこっと笑った。彼が小さいときから変わらない笑顔。犬歯がにゅっとのぞき、目を細める。いつまでも変わらない。恐らく、何百年も昔から。
家に囚われ、家を護る。それが犬神の役目。よし子の運命。例え死んでも蘇り、その魂が朽ちることは永遠にない。
家のあるじが、犬神を解放しない限りは。
夕方の朱色から、夜の黒色へ時は移る。
「帰りましょう。家へ」
よし子がそっと彼の腕に手を添える。彼はうなずき、よいしょっと買い物袋をしょいあげた。
ふたりはゆったりとした足取りで帰路についた。




