goodmorning・world
医者である彼のもとに、一人の患者が訪れた。
素晴らしい美人ではあるが、どこか神経質そうな心もとない表情を浮かべている。
「眠れないのです」
彼女はそう言った。
「なるほど。なにか眠りにつけない理由など思い付きませんか?」
「そうですね…おそらく、ここ数日みている夢のせいだと思います」
「夢、ですか。差し支えなければ内容など伺えませんか」
「はい。夢と言いましてもとりとめの無いものです。毎回内容も変わります。しかし、唯一変わらないことは、私がその夢を、これは夢なんだと自覚できているということでしょうか」
医者は軽く頷き、続きを促した。
「夢だと自覚していると申しましたが、だからと言って自由に内容を操作できるわけでもございません。そのせいでしょうか、毎朝目覚める度に、疲労感が溜まっていくのです。さすがにもう限界でして」
彼女は深くため息をついた。
「そしてきっとこれも私の夢のひとつなのでしょう」
医者はメモを取る手をびたりと止めた。口元に柔らかな笑みを浮かべる。
「ご安心を。僕は現実の医者ですから」
「その台詞も何度か聞いたことがございます。相手は違いますが」
「なんなら僕のこれまでの半生でもお聞かせしましょうか?あなたには知り得ないことを僕が語れば、僕があなたの夢の世界の住人でないことがお分かりいただけると思いますが」
「私、本やドラマをよく見ますの。それらを継ぎはぎすれば、大抵の方の人生を勝手に造り上げることも可能でしょう」
「ひどいな、人の人生を継ぎはぎだなんて」
「気を悪くしたのなら謝罪いたしますわ。でも、おかしなものです。自分の妄想に謝罪するなんて」
医者は分厚い本を手に取り、彼女に手渡した。
「それは医学の専門書です。あなたは僕の同業者ではありませんよね?」
「ええ」彼女は表情ひとつ変えずにうなずいた。
「その中から適当に問題を出してごらんなさい。それに答えてみせましょう」
彼女はふっと笑みをこぼした。どこか諦念の色がある。
「この中から、でございますか?」
そう言って開かれた本は白紙だった。ぱらぱらとめくってみるがどこにも文字はない。
医者が思わず腰をあげ、本を奪い取る。しかし、いくら凝視してもやはり空白は埋まらない。
「やはり、これも夢なのですね」
「そんな馬鹿な!?だが、僕は確かに僕だ。○大学を卒業し、○病院の○科に配属されて…」
「あぁ、お止めになって」彼女は憂いを隠そうともせずいう。「先生にも経験がおありでしょう、夜、眠る前にベッドで横になっていると色々と、とりとめのない妄想が広がることが。今がまさにそれなのです」
「僕はあなたの妄想や空想の類いではない。失礼」
医者は彼女の肩を鷲掴みにした。しかし、彼女は顔色ひとつ動かさない。
「夢の中で殴られたこと、さらには殺されたこともございます。肩を触られた程度ではどうとも感じません」
彼女は医者の胸ポケットに刺さっていた万年筆を抜き取った。そして、医者が止める間もなくそれを自身の手の甲に振り下ろした。
万年筆は確かに彼女の手を貫いた。だが、血の一滴も流れない。彼女も平然としている。
「これは、正気の沙汰じゃない。看護士を呼ぶからそのままで!」
医者が診察室の仕切りを押し開ける。
背の低い草がさわさわと風に揺れる。空には果てない青空が…。そこは草原だった。
医者はその場に崩れ落ちる。
「そんな。お、落ち着け。…僕は、199×年×月×日、うまれ。△小学校出身で、△中学の3年生の時に、マキと付き合って…」
「マキは私の姪の名前ですわ。あの子はいま一歳なので先生とお付き合いするのは厳しいと存じますわ」
その時、けたたましい音が鳴り響いた。
「この音は、火災警報器か?!」
「いえ、先生。これは目覚まし時計の音です。そろそろ起きませんと、私も仕事にいかねばなりませんので」
医者は彼女の足元にすがりついた。
「待ってくれ!信じてくれ!僕は現実だ!」
彼女は医者を覚めた目で見下ろす。同情は欠片もない、冷淡な瞳。
「あなたでも私を治すことはできないのですね」
「きみこそ幻想だ!僕の創った夢なんだ」
世界に亀裂が入る。ひび割れのような不規則なものではなく、まるでパズルのピースのように決まった形の線が縦横無尽に走る。
「さようなら、先生」
ベッドから起きる。目覚めたのは果たして…。




