午前九時二十八分
午前九時二十八分〇秒
結婚式場。
誰もいないチャペル。
祭壇の花を、
一人のスタッフが整えている。
白い花が一輪だけ、
少し傾いていた。
指先で、
そっと向きを直す。
花嫁は、
まだ来ない。
花婿も、
まだ来ない。
椅子は静かに並び、
朝の光が、
バージンロードをゆっくり渡っていく。
誰より先に、
この場所だけが、
今日という日を知っている。
幸せは、
「おめでとう」の前から、
もう始まっている。
午前九時二十八分十五秒
高校。
美術室。
乾きかけた絵の具から、
少しだけ青い匂いがする。
昨日、
描きかけのまま帰った風景画。
窓の外の空は、
もう昨日とは違う青だった。
景色は、
描き終わるのを待ってはくれない。
だから人は、
何度でも筆を持つ。
午前九時二十八分二十七秒
川辺。
一羽の白鷺が、
水面を見つめている。
動かない。
風だけが流れる。
十分後に飛び立つのか。
一時間後なのか。
白鷺は、
時計ではなく、
川を見ていた。
午前九時二十八分四十秒
刑務所。
面会室。
ガラス越しに、
母親が息子を見ている。
言葉より先に、
笑顔を作る。
息子も、
少し遅れて笑う。
会えなかった時間は、
消えない。
それでも、
会えた時間は、
確かに増えていく。
午前九時二十八分五十九秒
世界中で、
時計の針が、
また一つ進む。
結婚式場では、
花が整えられ。
高校では、
絵の具が乾き。
川では、
白鷺が風を待ち。
刑務所では、
親子が笑う。
同じ一分でも、
人生は、
同じ音を立てない。
だから世界は、
静かなまま、
こんなにも豊かである。




