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一分間  作者: はるたま
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午前九時二十二分

午前九時二十二分一秒


高校三年の教室。


数学の授業。


最後列の窓際で、一人の男子生徒が消しゴムを落とす。


転がる。


カラン。


コロ、コロ、コロ。


前の席の女子生徒が拾う。


「はい。」


それだけ。


二人は卒業まで、一度も話さない。


二十五年後。


男は娘に言う。


「人生で一番きれいな『はい』だった。」


娘は笑う。


「お父さん、それ恋じゃない?」


男は答えない。


答えは二十五年前に落としたままだ。


午前九時二十二分九秒


町工場。


旋盤が回る。


六十五歳の職人は、今日で退職だった。


最後の部品を削る。


ほんの〇・一ミリ。


誰にも分からない違い。


本人だけが分かる。


部品は新幹線に使われる。


十年後。


その新幹線に、


初恋の二人が偶然乗り合わせる。


職人は知らない。


人は、会ったこともない人の人生を支えている。


午前九時二十二分十七秒


病室。


高校一年の少女が、


点滴を見つめている。


窓の外では、


同じ高校の入学式。


風に乗って校歌が聞こえる。


少女は笑う。


「来年でいいや。」


来年が来る保証はない。


それでも、


希望は未来ではなく、


言葉から生まれる。


午前九時二十二分二十九秒


駅前。


信号待ち。


七歳の男の子が、


父親の手を離す。


ほんの一歩だけ前へ出る。


父親は静かに手を握り直す。


叱らない。


その温度だけが、


男の子の記憶に残る。


大人になって、


自分の息子の手を握る日まで。


午前九時二十二分四十二秒


市役所。


生活福祉課。


一人の職員が、


相談票を前に深呼吸をする。


今日初めて来る相談者。


何を話すか分からない。


どんな人かも分からない。


職員は名札をまっすぐに直す。


「お待たせしました。」


その一言で、


相談者は泣き出す。


理由は、


名前ではなく、


「待たせたことを謝られた」のが何年ぶりだったから。


午前九時二十二分五十三秒


桜並木。


花びらが一枚落ちる。


地面には着かない。


高校生の自転車の前かごへ入る。


本人は気づかない。


家に帰って見つける。


「なんだ、これ。」


捨てる。


四十年後。


庭の桜を見上げて、


なぜかその日のことを思い出す。


人の記憶は、


意味ではなく、


季節でできている。


午前九時二十二分五十九秒


世界中で、


一分が終わる。


誰も拍手しない。


誰も気づかない。


だが、


世界は毎分、


誰かの人生の最初の一分になり、


誰かの人生の最後の一分になっている。


そのことを知っているのは、


時計ではない。


時間だけである。

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