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午前九時三十分
午前九時三十分〇秒
美容室。
鏡の前。
美容師が、
前髪を一ミリだけ切る。
客は、
その違いに気づかない。
美容師は、
鏡越しに、
小さくうなずく。
変化は、
大きいほど伝わるとは限らない。
午前九時三十分十五秒
パン屋。
焼きたての食パンが、
棚に並ぶ。
店いっぱいに、
香りが広がる。
一番に入ってきた客が、
深く息を吸う。
その日の朝は、
まだ何も始まっていないのに、
少しだけ満たされていた。
午前九時三十分三十一秒
消防署。
車庫。
消防士が、
ホースを丁寧に巻き直す。
今日は、
まだ一度も出動していない。
手は、
いつもと同じ速さで動く。
平穏とは、
願うものでも、
待つものでもなく、
守られているものなのかもしれない。
午前九時三十分四十七秒
駅。
ホーム。
清掃員が、
ベンチを一つ拭く。
次に座る人が、
誰なのかは知らない。
名前も、
行き先も、
知らない。
それでも、
今日も布を動かす。
誰にも覚えられない仕事が、
誰かの一日を、
静かに支えている。
午前九時三十分五十九秒
世界中で、
時計の針が、
また一つ進む。
髪は整い、
パンは焼き上がり、
備えは続き、
ベンチは磨かれる。
目立たないことは、
何も起きていないことではない。
今日という日は、
誰かの見えない手によって、
何度も優しく整えられている。




