第59話 まのん
二人の間には、まだ雨が降っていた。
窓を叩く音だけが、やけに大きい。
誰も、さっきのことを話さない。
それでも――
空気だけが、確かに変わっていた。
「……ポテチ、美味しい♪」
いつも通りのはずの一言が、
ほんの少しだけ、遠い。
たったそれだけで、
全部が違って見えた。
――そのとき。
『まのん』
心に聞こえてきたぽんの声は、やけに静かだった。
『ほんまに、これでええんか?』
少しの沈黙。
『……いいよ』
間。
『本音とちゃうやろ』
『トイレに行ってくる』
まのんは、逃げるように部屋を出ようとする。
『……お願い』
かすれた声。
『それ以上、言わないで』
ぽんは、言葉を止めた。
だが、視線だけは逸らさない。
『……悠斗くんのこと、ほんまに好きなんやな』
『違う』
即答。
けれど――
その先が、続かない。
沈黙。
雨音が、やけに近い。
『……悠斗はさ』
ぽつり、と落ちた声。
『わたしと同じ場所に、いちゃいけない人なの』
『なんや、それ……』
『……いいの』
小さく、笑う。
笑っているのに、どこか歪だった。
『わたしは、ここでいい』
ぽんは、何も言えなかった。
言葉にすれば、全部壊れてしまいそうで。
――雨の音だけが、続く。
『……それで、ええわけないやろ』
低く、押し殺した声。
『まのん』
『お前、自分で自分を切り捨てとるだけや』
『……違う』
『違わへん』
一歩も引かない声音だった。
『悠斗くんを遠ざける理由に、自分を使うなや』
『……っ』
言い返せない。
その沈黙が、答えだった。
ぽんは、歯を食いしばる。
『……ほんまに、好きなんやな』
今度は、否定はなかった。
ただ――
目を伏せたまま、まのんは黙っていた。
その代わりに、ぽつりと呟く。
『……巻き込みたく、ないの』
『わたしなんかといたら……
あの人は幸せになれない』
『だから――』
言葉が、途切れる。
『離れてほしかった。それだけ』
ぽんは、顔を上げた。
『……アホか』
小さく吐き捨てる。
『そんなもん、優しさやない』
一拍。
『ただの独りよがりや』
『……それでもいい』
まのんは、笑った。
壊れそうなほど、静かに。
『それで、悠斗が幸せになるなら』
ぽんの中で、何かが切れた。
『――黙れ、まのん!!』
声が、震えていた。
怒りか、悲しみか、分からないまま。
『わしは、願叶え神や!!』
一歩、踏み出す。
『お前の願いも、逃げも――』
『まとめて全部、ひっくり返したる!!』
まのんが、目を見開く。
『まのんは――』
喉が詰まる。
『……絶対、幸せにする』
『わしは一回受けたもんは、絶対叶える』
静寂。
雨音だけが、戻ってくる。
その中で。
まのんは、ふっと笑った。
涙を、こらえながら。
『……約束だよ』
かすかな声。
『ほんとうに、約束だよ』
ぽんは、力強く頷いた。
言葉は、もういらなかった。
――雨は、まだ止まない。
けれど。
(……まのん)
(お主を選んだことは――)
(間違ってなかったな)
『……なんでだろ』
涙声のまま、まのんが呟く。
『今……ぽんちゃんが、
悠斗に見える』
まのんは、零れた涙を見せないように、
そっと背を向けた。
肩だけが、小さく震えていた。
ぽんは、一瞬だけ目を伏せて――
『……そら、そうやろな』
悠斗は、まのんの寂しげな表情が、
少しだけ緩んだことに気づいた。
「まのん」
「さあ、みんな!
伊勢の夜は長いぞ!」
「守のん、厳ちゃんが帰って来たし、
宴会再開しようぜ!!」
何も知らないまま笑っている悠斗が、
少しだけ、眩しかった。
――明日になれば。
きっとまた、いつもの二人に戻る。
「さあ、ポテチ、ポテチ!!!
守のんに食べられちゃったから
キープしなきゃ!」
「まのん先輩、いっぱい買って来たから大丈夫ですよ」
小声で。
「……厳ちゃんのお金で」




