SideA 怨嗟は斯くして連鎖して08
「これは……足跡? 妙だな……」
その場にしゃがみ込み、シーアはそっと奇妙な足跡をのぞき込む。そう、それまで歩いていた岩の足場から堆積した泥であったであろう乾いた土の足場へと変わる境界。そこから続く足跡はずいぶんと深くその痕跡を残していた。
「サイズは人族の男性ぐらいだが……どうしてこんなにも深くくぼんで……もしかして人族の血液を飲みすぎて体重が重くでもなったのか?」
かろうじて光が差し込み先は見えるが……それでも暗闇がいたるところに潜んでいる。あるいは化け物が潜んでいるのかもしれない。ただただ面倒この上ない状況に大きく息を漏らすシーアだがそれでも歩みは止めてはいない。
それまで痛めていたのが嘘であるかのようにその歩みは軽快で、同じく負傷していた左腕もまだぎこちなさはあるが動かせるようになっていた。
「"アミティ"」
シーアの詠唱とともに掲げた手のひらの上でふわふわと黒い球体が浮かび上がり、辺りを照らしていく。灯りはシーアの足元から逃げるように続く足跡を浮かび上がらせる。深さもあってか漆黒の足跡にも見えるそれは転々と奥へと続いていく。
「"ブラッディ"のおかげでだいぶ楽にもなった。だが……お腹がすいたな……」
痛みではなく空腹を抑えるべく空いた手で腹部を抑え、なおも歩き続ける。歩いているうちに差し込んでいた微かな光も消え、陽が落ちたことをシーアに知らせる。そして消えた光がまた闇にその光を浮かび上がらせた。
歩みを止めたシーアの見つめる先。岩壁のくぼみから漏れるように伸びた光。それは明らかに日ではなく火の光。シーアはそっと腰に差した剣の柄に手を添え、足音を忍ばせて徐々に近づいていく。
壁に背を向け、くぼみの先に続く小さな空間へとゆっくりと顔をのぞかせる。
「……人族? いや……はは、なるほど化け物か」
壁に背を預け座り込むそれはシーアよりも明らかに大柄で男性のような体つきをしていた。ぼろぼろの衣服に身をまとい、ろくに手入れもされていないであろう長い白髪が俯く顔を隠していたが……シーアの呼びかけに答えるように上げたその頭に"顔"はなかった。
シーアが顔を隠すのに用いる仮面のような無表情とも違う。ただのっぺらとした黒い面に目と口がわりのような3つの穴が開いただけのそれは顔とはいいがたかった。
「クロ……エラ……」
「は? しゃべれるの!? その顔で!?」
もごもごとその黒い面が動いたと思ったらくぐもってはいるが聞こえたのは確かに声。思わずシーアはぎょっとした表情を浮かべてしまう。
「クロエ……ラ」
「"クロエラ"? 人の名前か? よくわからないがこちらの言っていることはわかるのか?」
シーアの問いに化け物は答える様子もなく、ゆっくりと壁にもたれかかりながら立ち上がる。そしてすぐさま両手をゆっくりと、まるで何かを持つように上げたことで一気にシーアの警戒心は高まる。
「言葉がわかるなら動くな。それ以上動かすと悪いが容赦は……は、はぁ!?」
化け物は依然何も持っている様子はない。だが、気が付けばその足元から勢いよく何かが現れ、全身を覆い隠すように包み込む。いや、飲み込んだというほうが正しいのかもしれない。
「い、石の壁? いや、陶器……水瓶か?」
決して広くはない空間ではあったが、そのほとんどを占めるほどの大きな水瓶の登場にシーアは呆気にとられていた。だがすぐさまはっと我に返ると目の前に現れた自身の身の丈を優に超える水瓶に向け剣を構える。
「え、ええっとたしか人が乾いて死ぬとか血を吸うとか……でもそれと水瓶にどんな因果が? てかあいつ飲み込まれたよな? え? 自滅?」
シーアがそうこう言っている間に水瓶はゆっくりと傾き始め、シーアの方へとその口を向ける。いろいろと矢継ぎ早に続く異様な状況に理解が追い付かずシーアはいったん大きく後ずさる。
シーアの前に口を広げた水瓶。その中身はまるで無限に続く洞穴のようにも見える暗闇。「どうなっているのか?」と不覚にも覗き込みたい衝動があふれたが、それを許さぬ更なる異常が水瓶の中からあふれ出す……轟音とともに。
「ば、馬鹿じゃないの! 馬鹿でしょ! ねえ!?」
シーアは素早く剣を鞘に戻すと一目散にその場を後にする。その後ろから迫る振動。そう、水瓶からあふれだしたのは"水"。ただしその量と放出される勢いが尋常ではない。まるで大きな滝を真横に倒したような水流にシーアはすぐに追いつかれ、飲み込まれていく。
「ぷはっ! ど、どうなって……うげっ!?」
水流に翻弄されるように流されるシーアの目にもと来た通路が映る。そこには来るときには避けた道……いや、道の無い、地下に落ちるだけの断崖も含まれる。
シーアの嫌な予感通り、水の進路は吸い込まれるようにシーアを奈落の底へと運んでいく。決してあらがえぬ水の力に翻弄されるまま、シーアの視界に移るのは迫る断崖……ではなくその上。天井に蠢く黒い影。
「なるほど、その手があったか」
シーアが水面から天に向かい手をかざすと不思議な紋章が浮かび、そこから勢いよく飛び出したのは輝く極大剣。その武骨ながらも鋭い刀身は弓矢のごとき速さで天井にぶら下がっていた"グルースパイダー"を貫通し、深々と天井に突き刺さった。
そしてシーアはすかさず紋章をかざした腕を通過するようにくぐらせる。その手に握られたのは長く伸びた鞭。腕をぶんぶんと回すと円状に伸びる鞭の先を天井に刺さる剣へと放つ。
鞭は極大剣の柄に絡みつくように巻き付き、それと同時に断崖へと水流から放り出されたシーアの体を宙に支えた。彼女の狙い通り、貫かれたグルースパイダーの体液が濡れた刀身を天井に、そして、柄に絡みついた鞭を強固に固定した。
「水糸様様だな、はは」
なおも激しく滝のように流れていく水流を見下ろし、シーアはほっと一息つく。天井から伸びたロープにぶら下がるような態勢のまま、しばらく様子を見ているとそこに飛び込んできたのは……。
「は、はぁ!?」
水面に浮かぶ巨大な影に刹那、シーアは自分の目を疑った。だがその目をこする間もなく"大きな水瓶"は水に流され、そのまま飲み込まれるように深い奈落の底へと落ちていった。
「……えっと? 今度こそ自滅……したのか?」
しばらく呆けていたシーアはぽつりと呟き、すっと天を仰ぐ。その視線の先にはシーアによって無理やり身を挺せられ亡骸となったグルースパイダー。そしてその天井の先、まっすぐと線状に差し込む月灯り。
「うーん、どうやら地上まで続く縦穴にでもなってるのかな? はは、落ちたらもれなく奈落の底まで直結って……えげつない落とし穴ね。でも、うまくあそこを昇れないかな。いや、でも落ちたら死ぬからなぁ……うーん」
振り子のようにゆらゆらと揺れながら悩ましい表情で地上へと続くであろう天の穴と元居た足場を交互に何度も見比べる。
「うーん、どうせならあの馬鹿みたいな水で上まで運んでくれたらいいのに。まったく、希源種は気が利かないのが多い……ん?」
足音に広がる底が見えぬ暗闇。その中から聞こえる地響きのような音は徐々に大きくなり、それに伴いシーアの表情が驚きと怒りに変わっていった。
「り、リクエストしたわけじゃないからぁ!」
先ほどの水流は強烈な噴水のように重力に逆らい、天へと向かい流れていった……怒りに喚く一人の女性を巻き込みながら。
拙作をお読みいただきありがとうございました^^




