SideA 怨嗟は斯くして連鎖して06
暗く湿った深い谷底には苔の匂いが充満していた。ときどき生き物が逃げるかさかさという音が両側にそびえる断崖を駆け上るように響き渡る。そんな静寂が支配する空間を足を引きずりつつ歩くシーア。
右足と左腕に怪我を負ったようで、左腕は力なく垂れさがっており、なんとか壁に伸ばした右腕と左足でうまく重力をそらし歩いている。
「くそっ……なんか暗くなってきたけど、これは日が落ちたせいじゃなく、どこか洞窟にでも入ったのか? あの橋で見た谷の先に山があったが……そうかサグニヴァス水洞とつながっているんだっけか?」
痛みと疲労で汗まみれの顔を拭い、シーアはなおも歩き続ける。グルースパイダーを追い払ってからというもの他の襲撃はないが、徐々に暗くなっていく視界と湿度が増していくことに一抹の不安を覚える。
「最悪……"ディヴァイニティ"を使えばなんとかなる。はは、そうなったらあの村、村人全殺し程度じゃすまないな」
呆れともとれる笑みを浮かべ、シーアはなおも暗闇を灯りもつけず進んでいく。あたりは徐々に落ちた谷底とは異なる様相へと変化していた。
あたりの壁や足元の岩盤は濡れており、ときおり苔に覆われ歩く者の足元をすくわんとしている。実際シーアも何度か滑りそうになり、こらえようと負傷した右足も含め両足で踏ん張るたびに顔を苦痛でゆがめていた。
「村の北にあった山の山頂近くにあるアガツマ湖……それにこの水洞の抜けた先、辺境都市パルラの南方にあるブラドロ湖。この2つが流れ込んでできたのがサグニヴァス水洞だったか。はは、どうせならこの谷を水で埋め尽くしてくれれば楽に出れたんだがな」
徐々に視界がボヤついてきたのか、前を向くシーアの焦点が合わなくなってきていた。足も徐々に止まりがちになり、やがてそのまま壁に背を預けるようにしてへたりこむ。
限界は近づいてきた。いや、ここまで歩いてきたこと。そしてそれ以前にグルースパイダーを追い払えたこと自体がすでに人間離れしていた……あの高さから落ちたにもかかわらずだ。
あのとき、谷底へと飛び降りたシーアは空中にて落ちていく共鳴石目掛け急降下。そして無事にキャッチするとすぐさま"ブラッディ"を発動していた。
赤く血走ったような紋章をその身に走らせ、シーアは"着地"を試みた。下に行くほどに壁から伸びた歪な岩々を蹴るようにして落下の勢いを殺し、衝突しそうになると左腕を盾になんとかしながらどうにか生きたまま無理やり"落ちた"のだ。
そのせいで左腕は度重なる無理で出血と骨折。右足もまた奇跡的に折れてはいないものの鈍い痛みと岩肌に削られて出来た傷で赤く染まっている。
「……昔はこんな傷、一晩寝ればどうってことなかっただろうに。はは、私も人族らしくなったものだな。いや……人族のふりがうまくなったのか」
ぐったりとした様子で壁にもたれかかっていたシーアの体が徐々にずれ落ち、やがて横になる。露になった肌には血のような紅い紋章、"ブラッディ"の力が流れるように……全身を包むように広がっていく。
「ああ面倒だ……眠たい……私は寝る。あとは頼んだぞ……"ロイアリティ"」
意識が遠ざかる中、暗闇で見えなくなっていたはずのシーアの影が黒煙のように地面から昇り、やがて人の形を成していく。鋭く伸びた二本の角、背中に生えた巨大な翼、そして、いくつもの刀身をうろこ状に並べたかのような刺々しい尻尾。
人の形こそとってはいるがそれは明らかに異形。シーアによって生み出された漆黒のそれは体に対して異様に巨大な両腕の先、拳を広げ咆哮をあげた。
* * * * * *
「シーアの力って本当にでたらめだよね」
「なんだ……いきなり」
横になり眠ろうとしていた幼い銀髪の少女は自身のそばで座る少女を見上げ、不思議そうに首をかしげる。壁の隙間から吹き込んだ風に揺られ目にかかった翡翠の髪をかき分け、少女はシーアを見て笑う。
穴だらけの木の板を何枚も地面に無理やり立て、その上から屋根代わりのぼろぼろの布をかぶせてできた家とも呼べぬテント代わりの住居。その中で二人の少女が寝る前の会話を始めようとしていた。
「普通の人は術式は二つも使えればすごい方なんだよ? しかも、異なる種族の術式を複数覚えるだなんて聞いたことないから」
「そうなのか?」
平然とした表情のシーアに少女は笑顔のまま大きくため息を漏らす。
「そうだよ。人族が"共鳴術式"として覚えれるのは最初に心を通わせた一つの種族の術式だけなんだよ」
「お前だっていっぱい使えるだろ?」
「あ、あれはただ他の人の力を"借りてる"だけ。ずっと使い続けれるってわけじゃないんだから」
「私だってまともに他の種族の術式は使えないぞ」
「違う違う。シーアの場合は他の種族の術式に似たまともじゃない術式を使ってるっていうの」
「なんだかややこしい……私だって結局4つしか術式は使えないぞ?」
「たぶん私たちみたいな"絶対的存在"は4つずつ使えるのかな? 他に見たことはないしわかんないけど。まあ……それでもシーアのを純粋に4つと数えるのはなんかずるいかな」
「なんでだ」
「だって自分の術式を言ってみてよ」
「むぅ……"カラミティ"だろ? "インフィニティ"だろ? "ロイアリティ"に……あとは"ユニファイ"。ほら、4つだ」
少女は再度大きくため息を漏らす。
「その"ユニファイ"が実質6つみたいなものでしょう」
「なんでだ」
「だってねぇ……精霊術式の"アミティ"、変異術式の"ディヴァイニティ"、竜化術式の"ブラッディ"、幻妖術式の"ルナシィ"、そして印章術式の"インテンシファイ"に詠唱術式の"カタストロフィ"。ユニファイが"他種族の術式を統べる術式"といっても結局6つ使えてるじゃない。ほら、あわせて9つ!」
「他種族の術式といっても私とおんなじのを使えるのはいないんだろう?」
「そうだね、他種族の術式のようで全然違う。シーア以外にそんな術式使えるって話は聞いたことないよ」
「ならば6つで1つだな。その方が私だけの術式っぽくてかっこいい」
「かっこいいって……そういう理由?」
「あとは……おまえと同じ4つがいい」
「……もうっ、シーアったら!」
「むぐぅ!?」
覆いかぶさるようにシーアの上に倒れこんだ少女はそのままぎゅっとシーアを抱きしめる。シーアは少女の胸に顔をうずめたままもごもごと口を動かし慌ててタップする。
「そうだね、おそろいだね」
「ぷはぁ! いきなりひどいぞ! "エメル"」
「あはは、ごめんごめん」
不機嫌そうなシーアの抱擁を解き、離れようとするとシーアがぐいっとエメルの服を引っ張る。エメルは突然の出来事に少し驚き、シーアへと振り返る。
「もう眠たいし……寝る」
「う、うん?」
「寒いから傍にいて欲しい」
目をそらし、頬を赤らめるシーア。エメルはきょとんとした表情を浮かべていたが、シーアの頭を撫でそのまま今度は優しく抱きしめるようにして横になる。
「そうだね、こうしてるほうが温かいね」
「……うん、温かい」
エメルの腕の中で安らかな表情を浮かべ、シーアはそっと瞳を閉じた。
拙作をお読みいただきありがとうございました^^




