SideC エピローグ ー 絶望をため込むもの02 -
絵を描くこと自体が平民にとっては敷居の高い趣味だというのはわかる。生きる糧を得るために日々働く中で絵を各時間というのは随分とぜいたくな時間にも思える。もちろんそれを生業とする画家であれば立派な仕事であろうが、その地位に就くまでの絵描きは周りのものからするとやれ道楽だ、贅沢だと罵りの対象と見られるかもしれない。
小休止にとクロエラが持ってきてくれた紅茶に口をつけ、彼女が熱心に絵を描く姿を眺めてしばらく。普段のどこか落ち着いた……いや、冷めたといっていいだろう。そんな彼女がまるで別人にでもどこか憑りつかれたかのように目の前のキャンバスに熱い視線を向けせわしなく手を動かしている。
「クロエラはどうして絵を描くのが好きなのか?」
ふと湧いた疑問がそのまま口を出たかのような静寂に響く呟き。意に反して出た言葉に"しまったか?"という疑念も沸いたが、それ以上にどうにもこうにも興味がわいてしまった。
黙々と……それでいてどこか活き活きとした表情で筆をはしらせていたクロエラははっとした表情で私へと振り返る。小さく会釈したのち、再度描きかけの絵へと向きなおり、キャンバスの角をどこか愛おしそうに撫でる。
「幼いころより……"描くこと"が苦手でした」
「うん?」
「周りの人たちが"様々なもの"を描く術を学んでいく中、私がまともに描けるものと言ったら……"暗闇"ぐらいでしたね」
「暗闇? それはそれでまた難しそうではないか?」
「ふふっ、周りの皆さんは幼いころからうまく描ける人ばかりで……私は子供ながらに肩身が狭かった気がします。だからこそ今こうして元の環境を離れ、自由に"描きたいもの"だけを描けること自体が嬉しくてたまらないのだと思います」
「ふむ? クロエラの生まれは画家の家系だったのか?」
私の問いにクロエラは表現し難い笑みを浮かべた。悲しみ、悔恨、哀愁、挫折……それらを全て混ぜて出来上がったかのような表情はさながらそういった芸術作品であるかのようで。この時のクロエラの笑みは生涯私の記憶に残り続けるだろうとさえ私に感じさせた。
「申し訳ございません。これ以上はどうかご容赦を……」
「あ……いや……」
深々と頭を下げるクロエラに私は慌てて顔を上げるよう促す。次に見せた表情は私が知るいつものクロエラのものだった。
「そろそろ私も他の給仕のお手伝いに行きます。今日はヴァイス様のお部屋の掃除にも人手がいると聞いていましたのでそちらに。ラパン様の部屋の掃除に長く時間をかけすぎたと思われますとあらぬ誤解も生まれますし……本日も"お誘い"いただきありがとうございました」
先ほどと同じく頭を下げるその姿は給仕としての形式ばったお辞儀。そうだな……絵を描く間は私もどこか心穏やかにはなれるが、そのためだけに時間を浪費するのも互いにとってよくないだろう。
クロエラは急いで自身の分のみ画材を片付け始める。普段誰も使っていないものだと他者を欺けるほどには鞄に理路整然と道具をしまい、汚れないようにと椅子の背にかけていた給仕服の外着を纏い部屋を後にしていく。
その背がドアで隠れてしばらく、私はどっと背もたれにもたれかかる。ふと目についたクロエラの絵は窓の外、広がるヴィルギラの村の風景を描いていた。
やはり彼女は画家としての教育でも受けていたのだろうか。私の現実逃避のためにと描いた現実とは構図も技術もはっきりと差が出ている。それに……。
「やはり君の絵の方がこの村に希望を感じさせる。"暗闇"を描くのが得意なのはむしろ……」
言いかけてキャンバスから窓の外、そのモチーフとなった光景へと目を移す。そろそろ日も昇りきった頃だろうか。陽気さにあてられてか、少し睡魔が目につく。
コンコンッ
給仕のそれと違いどこかリズミカルなノック。私の返事を待たずして顔をのぞかせた母は少し悪戯っぽい笑みで小さく手を振っている。
「少し村の方へ行ってくるわ」
「父も一緒にですか?」
「いえ、あの人は来客中みたいだから私だけ。まあ大した用事でもないのですぐに戻るわ」
「わかりました、お気をつけて」
「ふふっ、あなたももう少し"理由"には気を付けてね」
「え?」
母がすっと指さす先に落ちていたのは黒い紐のような……いや、あれは……。
「あの子に優しくするのはいいけれども、あの子にだけ優しいじゃだめよ? ラパン」
「……注意します」
「ふふっ、まあ幸い"リボン"の予備は給仕の休憩部屋にもあるようだからあの子なら大丈夫よ。うまく取り繕っていたから。それじゃ、行ってくるわね」
ドアが閉まってすぐに出た大きなため息。なるほど、彼女の人間らしいミスにどこかほっとした。立ち上がり風になびくカーテンとともにひらひらと部屋の隅へと逃げる黒いリボンを拾い上げ、これをどうしたものかと手にしたまままた大きく息が漏れるのを感じた。
いつの間にか空は徐々に雨雲と思しき雲が広がりつつあった。はは、空は私の心模様でも描いているというのだろうか。
* * * * * *
結局あの後、睡魔に負けて眠ってしまったのだろうと思った。そしてこれは最初は夢かと思った。それも悪夢だ。
激しく揺れ動く視界。スローモーションのようにぶれてなかなか焦点が定まらない目の前の光景に思わず吐き気がこみあげてくる。強烈な夕陽の光が差し込んでいるのか、やけに赤く染まる……いやあれは……陽ではない!
「火!? ぐっ! 目が……」
それまで広がっていた光景が突如半分になる感覚。
「いけませんラパン様! 無理に身を起こされては!」
起き上がろうとした私の体を誰かが押さえつけているのか、起こそうにも身が動かない。
「何が……何があった!」
怒声にも似た私の問いに視界に移る使用人や給仕たちがびくりと体を震わせた。だがそれどころではない。やけに違和感を感じるその矛先、自身の顔へと手を当てるとざらざらとしたあて布の感覚。もしかして私は怪我をして運ばれたのだろうか。
父の部屋に来た来客というのがブランとバートということもあって顔だけは出して挨拶しておくかと父の部屋に向かった……そこまでは覚えている。その後ドアの前に立つ使用人に取り込み中だといわれ、二人からの土産だと焼き菓子を渡された……のも覚えている。内心会わなくていいならそれは好都合とすぐに自分の部屋に戻ったのも覚えている。その後受け取った焼き菓子を給仕が運んできたので食べ、眠くなったので横になって……。
「ラパン!」
数分前に聞いたかのような錯覚。母であるシルファがそれまで浮かべたことのないような不安げな表情で私を覗き込む。その背後に広がるのは天井ではなく空。ここは部屋ですらなかったというのか。
「あの人は……あの人はどこに!」
急いで駆けつけてきたからだろうか。私の手を取りぎゅっと握る母の手は汗ばんでおり、小刻みに震えているのが伝わってきた。
うまく聞こえない。いや、母の問いに応える声が小さいのだ。激情の波にのまれときおり嗚咽が混じる母の声。ああ、やはり私の耳もまた異常をきたしているのだろう。言葉にならない母の声と轟々と何かが燃える音、そして時折背中にしている地面越しに響く振動。
母の声が遠ざかっていく。そしてそれに付き従うように響く給仕や使用人たちの声。もしかしたら母は燃え盛る炎の中に今にも飛び出さんとしているのかもしれない。そして周りのものはそれを静止しているのかもしれない。確認したいがまるで体に力が入らず、首すらろくに動かせず映るのは曇り空のみ。
そこに舞い込んできたのはこれまた数分前に会っていた感覚がする女性。彼女もまた慌てた様子がその身なりからまじまじと感じられる。普段一片の乱れもなく着こなした衣服は乱れ、どこかに引っ掛けたのだろうか、肩や胸元もはだけている。
「ラパン……様……そんな……」
頬にぽつぽつと何かが垂れるような感覚。その感覚は徐々に全身に広がっていく。しんしんと響く雨音が怒声飛び交うなかやけにクリアに聞こえる。そして……視界に映る必死に涙をこらえたクロエラの声もまたなぜか今の私にははっきりと伝わってくる。
「申し訳ありません……私が……私がもっと早くきていれば……ごめんな……ごめんなさい……ほんとうにごめんなさい」
私の頬に伸ばされたクロエラの手からは布越しでも温かさを感じる。本格的に降り始めた雨はくしゃくしゃになったクロエラの顔をどこか引き立てる。ああ、こんな時にまで私は……どうかしている。それでも悲嘆にくれた彼女を美しいと感じる思いはどうしても禁じえなかった。
拙作をお読みいただきありがとうございました^^




