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【連載版】私を捨てた王国の「後始末」はいたしません  作者: 空席あり


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8/10

顧問の席はお断りします

 給金、と殿下はもう一度言った。

 私の返事がなかったせいだろう。


「官職がないと言うのなら、職を与える。顧問ならよい。今までの仕事を続ければいいのだから」


 誰も、帰ろうとしなくなった。

 宰相が、卓に置いた筆記具を戻した。


「任用の条件については、改めて」

「今、本人に聞いている。まず意向を確かめるのに、何の問題がある」


 殿下の言葉に、宰相は黙った。

 私は持っていた鞄を椅子の背へ押しつけた。


「婚約を戻す話ではない」


 殿下が言った。


「仕事の話だ。君も、役目が曖昧だから困るのだろう」


 私の言ったことを、覚えていらしたのか。

 そう思った。

 覚えていて、直そうとしてくださっている。

 それなら、私も何か譲らなければいけないのではないか。


「お給金をいただくなら、担当する範囲を先に」


 言いかけたところで、殿下が頷いた。


「細かいことは後で決めればいい。どのみち、君が一番分かっている」


 私は鞄を見た。

 今日は小さいものを持ってきた。紙一枚さえ、入れていない。

 ここからまた、書類を持って帰るのだろうか。


「……お引き受けできません」


 殿下が、綴りから手を離した。


「額が不満なのか。まだ、何も言っていないだろう」

「いえ」

「では、何が」


 答えが見つからなかった。

 給金がないから断った。官職がないから命令を断った。

 その説明をしてきたのは私だ。

 今、両方を用意すると言われている。


「同じところへ、戻りたくありません」


 椅子の脚が床を擦った。

 どなたが動かしたのかは、見なかった。


「君は、ここで仕事をするのが好きだっただろう」


 好きだった。

 今でも、書類を読むのは苦ではない。

 役に立てると分かれば、つい手を伸ばす。


「少しお休みをいただきたいです」


 そう言うと、殿下の肩が緩んだ。


「それなら、そう言えばいい。来週まで休め」


 来週。

 あと何日あるだろう、と私は考えた。

 殿下はまた、手元の書類を見ている。

 私は椅子から鞄を離した。


「いえ。違います」


 声が少し大きくなった。


「来週も、戻りません。顧問のお話は、お断りします」


 殿下が顔を上げる。

 私は、謝ろうとするのを堪えた。


「なら、何をするつもりだ」


 分からなかった。

 今朝も、これからの予定はなかった。


「しばらく、家で過ごします」

「その後は」

「まだ、決めておりません」


 殿下は鼻から息を出した。


「何の考えもなく、放り出すのか」


 卓の端に置かれた引継書が目に入った。

 私は、その背表紙から顔を上げた。


「外交の仕事を、してみたいと思っております」


 殿下の目が細くなった。


「外交なら、今までしてきただろう」

「補佐でした。殿下のお名前で、ご説明するための」

「同じことだ」


 違うと思ったが、言葉にすると長くなりそうだった。

 十二歳のときに会った女性の顔が浮かんだ。

 使節の方から意見を求められ、少し考えて、それから自分の言葉で話し始めた方だった。


「私が、その仕事に就きたいのです」

「採用の当ては」

「ありません」


 誰かの咳が聞こえた。

 頬が熱くなった。


「でしたら、まず、調べるところから始めます」


 殿下は私を見ていた。

 私は頭を下げ、宰相へも礼をした。


「本日は、これで失礼いたします」


 宰相が頷いた。

 扉まで歩く間、背中へ声が掛かるのを待っていた。

 何も言われなかった。


     ◇


 玄関の階段を下りると、父の馬車があった。

 外套を受け取る指が、思うように動かなかった。

 馬車へ乗った途端、父が尋ねた。


「終わったか」

「はい」


 鞄を開け、何も入れず閉じた。


「お給金を出すので、顧問にならないかと」

「ほう」

「お断りしました」


 父は頷いた。

 私はその顔を見た。


「額も伺いませんでした」

「聞いていたら、引き受けたか」

「……分かりません」


 正直に答えると、父は顎へ手をやった。


「では、聞かなくてよかったのかもしれんな」


 私は窓の外を見た。

 王宮の門を出ると、通りに焼栗の屋台があった。行きにもあったはずなのに、気づいていなかった。


「外交官になりたいと、言ってしまいました」


 父は、私を見る。


「そうか」

「まだ何も、調べてもいないのに」

「調べればいい」

「殿下にも、そう申し上げました」


 父が笑った。

 少し腹が立ったので、私は窓へ顔を戻した。


「悪い。お前が殿下に、そこまで言うとは思わなかった」

「お父様にも、十二歳の頃に一度、外交官になりたいと申し上げました」


 言ってから、しまったと思った。

 父は黙った。

 私は膝の上の鞄を押さえた。


 あのときは、外国で仕事をするなら、殿下のお供で行けると言われた。

 私も納得してしまった。殿下と一緒に外国へ行くことと、外交官になることを、まだよく分けて考えていなかった。

 父が思い出したかどうか、顔を見ても分からなかった。


「私も、それきり言いませんでしたので」


 父が窓の外へ目をやる。

 そのまましばらく、二人とも喋らなかった。


     ◇


 翌日は、家庭教師だった先生へ手紙を書いた。

 外交の仕事に就くには、どのような勉強と資格が必要なのか。まずは、聞ける方へ聞いてみるしかなかった。

 下書きには、婚約を解消した事情を長く書いた。

 読み直し、半分を削った。

 先生は、私が何を聞きたいのか分かれば答えてくださるだろう。


 書き終えてから、先生の住所が古いことに気づいた。

 最後に手紙をいただいたのは、春だった。そのとき、家を移る予定だと書いていらした。

 私は古い手紙の箱を出した。

 仕事の紙は迷わず探せるのに、自分宛ての手紙は、どこへ入れたか分からなかった。


「何をお探しですか」


 ミナに聞かれ、事情を話す。

 彼女は箱を二つ開け、私が見たことのない結び紐の束を出した。


「こちらでは。花の絵のある封筒でしたね」


 それだった。

 読み直すと、先生は新しい住所のほかに、近所にできた菓子屋の話も書いていた。

 私は菓子屋のことを、まるで覚えていなかった。

 返事を書いたかどうかも、怪しい。

 便箋の最後へ、春のお手紙のお礼が遅れたことを、一行書き足した。


 すぐに返事をくださるとは限らない。

 封筒へ宛名を書き、明日、家令へ渡せるところに置いた。


 その翌日、家令が古い名簿を持ってきた。外国語を使う仕事の窓口を、いくつか調べてくれたらしい。

 王国の外交局へ応募する道もある。しかし、王太子の元婚約者としてではなく、働く条件を確かめるところから始めたいと伝えた。

 家令は、承知しましたとだけ答えた。


 三日目の昼、私宛てに手紙が届いた。

 封筒を見た家令が、自分では開けずに持ってきた。

 帝国大使の名前がある。

 先日の会談について、まだ何か残っていたのだろうか。

 封を切り、初めの一行を読んだ。


『帝国外務院の補佐官採用について、お話ししたいことがあります』


 私は手紙を机へ置いた。

 置いてから、すぐに持ち上げた。

 誰の名前で出された手紙か、もう一度確かめた。

 殿下のお名前は、どこにもなかった。

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