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【連載版】私を捨てた王国の「後始末」はいたしません  作者: 空席あり


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好きに生きろと言われても

 庭を一周したところで、父が息を切らした。


「もう一周なさいますか」

「いや。あの辺で休もう」


 池のそばの長椅子を指している。私は、歩くためではなく、話すために誘われたのだと思い出した。

 腰を下ろすと、父が庭師に声を掛けた。薔薇の枝の切り方について尋ねている。

 庭師は説明をして、仕事へ戻った。

 父はその背中を見送ってから、こちらを向いた。


「朝の呼出しは、今後、家令を通すよう伝える」

「昨日も、そのようにお願いしました」

「ああ。聞いた」


 それで会話が途切れた。

 池の向こうで、庭師が鋏を使う音がする。


「王宮へ戻る気は、ないのだな」

「はい」


 父は頷いた。

 私は膝に置いた手を見た。今日は両方とも手袋を嵌めている。


「婚約を戻せとお話があっても、お断りしたいです」


 言ってから、父を見る。


「まだ、そんな話は来ていない」

「はい。でも、先に」

「分かった。そのつもりでいる」


 もう少し何か聞かれると思っていた。

 殿下のどこが嫌だったのかとか、家の立場をどうするのかとか。

 父は足元の落葉を靴先で避けた。


「しばらく、家にいなさい」

「どのくらいでしょう」

「どのくらい、と言われてもな」


 父は眉間を指で押した。


「お前の部屋は、ずっとある」


 私は頷いた。

 それでよいはずなのに、返事ができない。


「暇なのか」

「暇、というのとは……」


 少し違う。

 昨日は何度も時計を見た。使者が来なければ来ないで、何か起きているのではないかと思った。


「何をしていたらよいのか、分からなくて」


 父がこちらを見る。


「殿下のところへ、戻りたいわけではありません」

「うん」

「でも、あちらでしてきたことまで、全部つまらないことだったとは思いたくないのです」


 庭師の鋏が、また鳴った。

 私はそちらを見たまま話した。


「去年、北部の倉庫ができたとき、殿下と視察へ伺ったでしょう」

「聞いたな」

「袋が濡れなくなったと、係の方が喜んでいらっしゃいました。冬に運ぶ手間が減ると」


 その方は、私の名前を知らなかった。

 殿下へ礼を言い、倉庫の中を案内してくれた。それで十分だった。

 私も何日か、少し得意な気持ちで過ごした。


「あれは、嬉しかったのです」


 父は、黙って聞いていた。


「王宮で仕事をするのが嫌だった、と言うと、あれも全部、嫌だったような気がして」


 変な話をしている。

 自分でも分かっていた。

 父が、膝の上で両手を組んだ。


「倉庫は今も使われているだろう」

「はい」

「それでよいのではないか」


 私は、落葉から目を上げた。


「そう、でしょうか」

「私には、その倉庫のことは分からん。ただ、お前が戻らなければ、去年助かった人間の礼まで消えるわけでもなかろう」


 そうかもしれない。

 私はもう一度、頷いた。

 父が外套の前を合わせた。風が強くなっていた。


「私も、随分褒めてきたな」

「何をですか」

「お前をだ。陛下に認められた、使節に褒められた。聞くたびに喜んだ」


 私は父へ向き直った。


「夜更けに帰ってくるようになっても、頑張っているのだとばかり思っていた」

「忙しい時期でしたから」

「忙しくない時期が、あったか」


 答えようとして、考えた。

 毎年、何かしらあった。

 忙しくなくなったらしようと思って、そのままになったことも、いくつか。


「……夏は、少し」

「去年の夏は、食事を抜いていたそうだな」


 ミナか、家令から聞いたのだろう。


「一度、倒れかけたときも、私は、朝食くらい食べろと言っただけだった」


 覚えていた。

 私は謝って、翌日からパンを持っていった。


「殿下の前で顔色が悪いと、失礼に当たるとも言った」


 父は手をほどき、外套の膝を払った。何もついていなかった。


「あれは、よくなかった」


 私は父の横顔を見た。

 何と言えばいいのだろう。

 父も殿下と同じだ、と責めたいわけではなかった。

 その一方で、あの日、休んでいいと言われていたらとも思った。


「あのとき、王宮へ遅れると、私が叱られると思っていました」


 父がこちらを向いた。


「殿下にか」

「殿下にも。先生にも。お父様にも」


 父は口を開き、閉じた。

 私は、父を責める言葉ばかり選んでいる気がして、俯いた。


「私が勝手に、そう思っただけかもしれません」

「いや」


 父の声で顔を上げる。


「私も、そういうことを言った。さっき、自分で言っただろう」


 そうだった。

 父の気まずそうな顔を見ていると、私まで言い訳をしたくなった。

 私が何か言う前に、父は池へ顔を戻した。


「今は、帰りが遅いと叱られることもないのですか」


 口にすると、父が困った顔をした。


「連絡はしてくれ。いくつになっても、それはしてほしい」


 私は少し笑った。

 父も笑うかと思ったが、笑わなかった。


「家にいる間に、何か見つければいい。見つからなくても、急がなくていい」


 父は立ち上がった。

 膝を伸ばすのがつらそうだったので、私は腕を貸した。


「どこか痛められました?」

「昨日、馬に乗った」

「お医者様が、控えるようにと」

「歩くより楽だと思ったのだが」


 私は腕を貸したまま、池の脇をゆっくり戻った。


     ◇


 午後、箱を一つ開けた。

 教育係の先生がくださった古い辞書を探すためだった。

 ミナに頼めば早かったが、どの箱か説明するより、自分で開けたかった。

 底に新聞が敷かれていた。

 取り出してみると、帝国のものだった。子供の字で、単語の上に訳が書いてある。

 私は床へ座り、新聞を広げた。


 十二歳の頃、帝国から来た女性の外交官にお会いした。

 王妃殿下のお茶会だった。私は五か国語を話すと聞いて、その方に何度も質問をした。

 何語から習ったのか。

 間違えたら、相手は怒らないのか。

 今なら、もう少し別のことを聞けただろうに。

 その方は笑わずに答えてくださった。私は帰ってから、帝国の新聞を手に入れてほしいと先生へ頼んだ。


「お嬢様、床はお冷えになります」


 入ってきたミナが、椅子を引いた。

 私は新聞を持って座り直す。


「日付が八年前ね」

「捨てなくてよかったですね」

「何が書いてあるか、半分も分からなかったの」


 今も、ところどころ知らない単語があった。

 辞書を開く。子供の頃の私が、余白に花の絵を描いていた。

 飽きてしまったのだろう。


 窓の外が暗くなりかけた頃、紙面の短い記事を一つ読み終えた。

 川沿いの町に、新しい税関ができたという記事だった。

 八年前の話を、今日初めて理解した。


「夕食のお支度を」


 ミナに声を掛けられて、顔を上げた。

 こんな時間まで何をしていたのだろうと思い、それから、別に急ぐ用事もなかったと気づいた。

 新聞へ栞を置いた。

 明日、続きを読もう。


 翌日も、私は同じ新聞を広げた。

 昼食後、ようやく二つ目の記事を読み終えた。王宮で読む報告書よりずっと遅い。

 覚えのない単語を、昨日と同じ頁で引いていたことに気づき、紙の端へ訳を書いた。


 扉の向こうが騒がしくなった。

 家令の声に、聞き慣れた声が被さる。


「いるのだろう。エレノアを呼べ」


 ミナと目が合った。

 私は栞を置いた場所へ、もう一度目を落とした。

 殿下だった。


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