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【連載版】私を捨てた王国の「後始末」はいたしません  作者: 空席あり


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2/10

九時の朝食

「召し上がりますか」


 ミナに聞き返されて、私は頷いた。

 朝食を頼んだだけなのに、随分思い切ったことを言った気がした。


「では、すぐに」

「着替えもお願い。あの、急がなくていいから」


 急がなくていいと付け足したせいで、かえってミナが急いだ。衣装棚を開け、二枚の服の間で迷っている。


「何でもいいわ」

「王宮の方にお会いになるのでしたら」

「水色ので」


 選ぶと、ようやく彼女の手が動いた。

 いつも王宮へ着ていく服ではない。袖口が柔らかく、机に腕をついても窮屈にならないので、私はその服が好きだった。


     ◇


 朝食の部屋へ入ると、父がいた。

 新聞を畳みかけて、私を見上げる。


「眠れたか」

「はい。寝坊いたしました」

「そういうことにはならんだろう」


 父は脇の椅子に置いてあった封書へ触れた。

 王家の封蝋が見えた。

 それが何なのか、聞かなくても分かった。


「食後に話そう。先に食べなさい」


 席へ着くと、ミナが紅茶を注いだ。

 卵と、焼いたパン。小皿には蜂蜜がある。

 私がパンを割る間、父は新聞を広げ直した。わざとらしいほど大きな音がした。


「使者は、お待ちなのでしょう」

「茶を出してある。ルッツも飲んでいる」


 それはそうだろうと思ったが、少し笑ってしまった。

 父は新聞の上からこちらを見た。


「どうした」

「いえ」


 温かいパンの真ん中に、バターが沈んでいく。

 父が、卓の向こうの蜂蜜を寄せてくれた。


「お前は、これをつけていたな」

「子供の頃です」

「今は違うのか」


 私は小匙を取った。

 王宮へ行く前に甘いものを食べると、後で喉が渇く。それでいつからか、つけなくなった。

 薄く塗って口へ入れると、父がまた新聞へ目を戻した。

 美味しいかどうか、聞かれなくてよかった。

 父はもう朝食を終えていた。読み終えた頁を、さっきから何度も開いている。

 半分ほど食べて、私は時計を見た。

 九時三十四分。

 普段なら、会議に出す資料の最終確認を終えている時刻だった。

 そのことを考えた途端、まだ飲み込んでいないパンが喉につかえた。


「水を」


 ミナが差し出したグラスを受け取る。

 父は何も言わなかった。

 食べ終えてから封書を開けた。正式に婚約を解くという通知と、返還する贈答品についての照会だった。

 読み終えると、父が手を差し出した。


「返書はこちらで出す。お前が確認するものは、後で家令に持ってこさせる」

「ありがとうございます」


 薄い紙が私の手から離れた。


     ◇


 応接室へ入ると、三人が揃って立ち上がった。

 ルッツ様の頬には、赤い跡が一本ついている。今朝の髭剃りで切ったのかもしれない。


「長くお待たせいたしました」

「とんでもございません。早速ですが、船頭組合との更新案を」

「殿下のお机へ、昨日お届けしています」


 ルッツ様が後ろの若い文官を見た。

 若い方は何か書き留めた。


「お机の、どちらに」

「未決裁のものを置く、右側の文箱です」

「あちらは昨夜、片づけられておりまして」


 花瓶の横へ寄せられた書類が浮かんだ。

 私は背筋を伸ばした。


「原案の写しは、青い棚の三段目にあります。北部輸送の綴りです。殿下の署名をいただく用紙は、もう一度作っていただければ」

「先方が、金額の根拠についても説明を求めています」

「同じ綴りに、水位の報告と船の増便数を挟んであります」


 分かることに答えているだけなのに、胸の重さが薄れていった。

 私は説明を一つ追加しかけた。

 その前に、ルッツ様が身を乗り出した。


「でしたら、ご同道いただけますか。馬車は待たせております」


 私は口を閉じた。

 ルッツ様は、ようやく仕事が進むという顔をしていた。


「私が、王宮へ?」

「はい。そこから組合へ使いを出しますので。殿下もお待ちです」


 背後で、ミナがお茶の盆を置いた。

 小さな音だった。


「私は、伺いません」


 ルッツ様の視線が止まる。


「昨夜のことでしたら、存じております。しかし、これは輸送の件です」

「殿下の婚約者として、お手伝いしていた仕事でございます」

「ええ。ですから、その、片がつくまで」


 言いにくそうだった。

 頼みを断られたことがないのだ。少なくとも、私からは。


「今朝、正式な通知も届きました。今の私が殿下の名で交渉をするのは、先方にも誤解を招きます」

「説明だけでも構いません。ご判断は殿下がなさいます」


 そう言われると思っていた。

 何度も、そうやって席に座った。

 説明が済むと追加の質問が来る。確認する相手が不在なら私が探し、返事を待つ間に、別の書類を渡される。


「申し訳ありませんが、お引き受けできません」


 後ろの若い文官が、顔を上げた。


「本日の正午を過ぎますと、輸送枠を他国の商会へ回されます。北部には、冬までに入れなければならない麦が」

「承知しています」


 強い声が出た。

 若い方が肩を引いたので、私は慌てて言い直した。


「……すみません。そのための案を、お届けしています。輸送局の方には、もうご相談を?」

「王太子殿下のご指示で、先にこちらへ」


 私は時計を見なかった。

 見たら、やはり参りますと言いそうだった。


「では、次は輸送局へお願いします。局の方が、船頭組合との現行契約も持っていらっしゃいます」


 ルッツ様はすぐには答えなかった。

 横にいたもう一人の文官が、彼の袖へ触れた。


「ルッツ様。お戻りにならないと」


 彼は口を引き結び、頷いた。

 私も立ち上がる。


「その前に、お預かりいただきたいものが」


 家令に頼んでおいた包みを持ってきてもらった。通行証、鍵、それから手元にあった覚書。父の使用人が内容物を確かめ、一覧を二部作ってくれている。

 ルッツ様はその中の紙へ目を止めた。


「今朝の案件ですか」

「説明用の控えです。こちらも、お持ちください」


 彼は控えを抜き出して、ざっと読んだ。


「これがあれば、私が」


 言いかけて、黙った。

 一覧に受領の署名をする音が、しばらく続いた。


     ◇


 馬車が去った後も、私は玄関にいた。

 門のところで御者が馬を急がせた。

 間に合えばいい。

 間に合わなかったら、どうなるのだろう。


「お嬢様」


 家令に声を掛けられた。


「出入りの仕立屋が、午後に伺いたいそうです。ご予定はいかがなさいますか」

「今日?」

「婚礼衣装のお打合せですので、お断りしてよろしいかと」


 婚礼衣装。

 白い生地の見本を、先月見た。

 私は何を選んだのだったか。


「お願いします。先方に、ご迷惑をお掛けしてしまうわね」

「まだ裁断前と伺っております」


 家令が下がる。

 私は階段に片足を掛けた。

 部屋へ戻れば、王宮の馬車が来たときに窓から見える。つい、そう考えた。


「お庭へいらっしゃいますか」


 ミナが尋ねた。


「いいえ。書庫へ」


 何でもいいから、別のものを読みたかった。

 書庫の扉に手を掛けたところで、玄関の呼鈴が鳴った。

 早すぎる。

 私は振り返った。

 今度の使者が抱えていたのは、帝国の紋章がついた書簡だった。

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