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【第一幕】無垢なる太陽の欠け落ち / FALLEN SUN   作者: 星乃ふみ


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第26話:偶像の亀裂 / UNHATCHED WILL

 午後の講義室には、高天原《たかまがはら》特有の、沈殿したような停滞した静寂が流れている。


 窓から注ぐのは、永遠に沈まぬ人工太陽《じんこうたいよう》の白光。

 塵一つ許さぬ潔癖な空間を、琥珀《こはく》がめくる電子資料《デジタル・コーデックス》の無機質なフリック音だけが、規則正しいメトロノームのように刻んでいた。


 この白さは、救いではない。

 色を拒絶し、感情を去勢した、無機質な静謐《せいひつ》だった。


 部屋の隅、壁に背を預けたヤマトは、退屈を殺すように右腕のジャンク・ドライブを弄んでいた。


 指先が微かに触れるだけで、内部の歯車が「チッ、チッ」と微かな金属音を立てる。

 その規則的なノイズが、今の琥珀には、自分の統治する静寂を侵食する毒のように感じられた。


「……では、次へ進みます。第五章、中央演算《マザー・システム》アマテラスによる資源分配《アロケーション》の最適化について。カケル様、前回の講義内容を要約してください」


 琥珀の声は、いつも通り完璧に調律《チューニング》された精密機械のようだった。

 だが、カケルの反応は彼女の想定を静かに、しかし決定的に逸脱した。


「要約する前に、一ついいかな。……昨日、アーカイブの三章にある、一〇〇年前の『大粛清《チーストカ》』の記録を全部読んだんだ。あそこの記述と、さっきの分配理論……どうしても計算が合わないんだよね」


 琥珀の手が、端末の上で凍りついた。


 カケルの理解スピードは、ここ数日、明らかに異常だった。

 かつては一つの概念を自分の言葉に置き換えることすらなかった少年が、今や膨大なアーカイブを一晩で走破し、あまつさえその「深層」にある矛盾を掘り起こしている。


「……計算が合わない、とはどういう意味でしょうか。アマテラス様が示すアーカイブは、絶対の事実です」

「アマテラスの基本方針は『生存確率の最大化』。そう教わった。でも、一〇〇年前の記録だと、再建可能だと判断された第三居住区まで排除されている。当時の人口統計と資源残量を照らし合わせると、切り捨てる必要はなかったはずなんだ。……昨夜、少し気になって、歴史データを漁ってから、頭から離れなくて。これって、本当に『真実』なのかな?」


 カケルの問いは、純粋だった。

 純粋ゆえに、刃のように鋭かった。


 彼はただ暗記しているのではない。

 教えられた論理を頭の中で組み立て、その構造上の欠陥を自力で見つけ出している。

 琥珀の背筋に、氷を流し込まれたような戦慄《せんりつ》が走った。


「カケル様。アーカイブに記された事実は、中央演算《マザー・システム》が数億のシミュレーションの果てに導き出した絶対の解です。貴方様の視点では見えない『変数』があったに過ぎません。……理解が追いつかないのは、貴方様の能力がまだ発展途上だからです」


 琥珀は自分に言い聞かせるように、厳格な声で告げた。

 だが、カケルは納得した様子もなく、首を傾げる。


「うーん……。変数を考慮しても、やっぱりこの考え方だと、俺はちょっと違うと思うな」


 その瞬間、部屋の空気が物理的な衝撃を伴って凍りついた。

 琥珀の手から、記録用の電子筆《タッチペン》が滑り落ち、高い音を立てて床を跳ねた。


「カケル様……今、なんと仰いましたか……?」


 カケル自身、口にした言葉の重みに一瞬きょとんとしたが、すぐに視線をヤマトへと向けた。


「あ……えっと。……あはは、ごめん。ヤマトがいつも言ってるから、なんだか格好いいなと思って。つい、うつっちゃったみたいだ」


 カケルは照れくさそうに笑い、ヤマトを振り返る。

 その無邪気な瞳には、ヤマトが持つ「既存の価値観に縛られない力」への無意識の憧れが滲んでいた。


 ヤマトは「げっ」という顔をして、気まずそうに顔を背けた。

 その言葉遣いを教えた覚えはない。

 ただ自分の隣にいるだけで、この皇太子は、ヤマトの思考や振る舞いを驚異的な速度で吸収していた。


「カケル様……今すぐその言葉を、思想を、訂正なさい。そのような粗野な響き、そしてアマテラスへの不信。それは貴方様の高潔さを損なう不純物です」


 琥珀の声音は、怒りを通り越して凍りついていた。

 彼女の内部で、完璧であるべき「理想の皇太子」という論理ツリーに想定外のエラー――致命的なバグが検知される。処理能力の限界を超えた思考のフリーズが、冷や汗となってこめかみを伝った。


 彼女は激しい頭痛と目眩に襲われたように、片手でこめかみを強く押さえた。

 彼女が命懸けで守り、磨き上げてきた「理想の皇太子」という白磁《はくじ》の像に、拭い去ることのできない黒い墨汁をぶちまけられたような絶望。


「もう一度、第一章からやり直しましょう。基礎的な論理を再構築すれば、今の混乱も消えるはずです。さあ、復唱を。──アマテラス様は全知。その慈悲に、いささかの矛盾も存在いたしません」


 琥珀は端末を乱暴に操作し、基礎的な教義のページをカケルの前に叩きつけた。

 それは教育というより、異端審問に近い、強制的な情報の書き換えだった。


「でも、琥珀。矛盾があるなら、俺は……僕は、知りたいんだ。どうしてアーカイブは嘘をつくの? どうして誰もそれを指摘しないの?」

「嘘などではありません! 貴方様の目が曇っているだけです! 未熟な知性で、神の理《ことわり》を量ろうとする慢心こそが罪なのです!」


 琥珀の声が講義室に激しく響く。


 彼女はカケルを「正しい器」に戻そうと、矢継ぎ早に教理を浴びせかけた。

 だが、カケルの瞳に宿った光は消えない。

 それどころか、琥珀が言葉を重ねるほど、彼はその言葉の「綻び」を見つけ出していく。


「『愛に基づいた切り捨て』って、琥珀はよく言うけど。それなら、どうして切り捨てられた側の人たちの声は記録に残ってないの? 愛があるなら、その痛みを残すべきじゃない?」

「それは……! 彼らが、未来への礎《いしずえ》となったからです! 無価値なデータを保持することは、システムへの負荷になるからで──」

「価値があるかないかを決めるのは、システムなの? それとも、僕たちなの?」


 一歩も引かないカケル。

 琥珀の脳裏に、かつて自分が学んできた日々がフラッシュバックする。


 自分もかつて、このように疑問を持ったことがあっただろうか。

 いや、自分は「正解」を与えられることに安らぎを覚え、それを疑うことを「悪」と切り捨てて生きてきた。


 目の前の少年は、自分が一生をかけて守ってきた、その思考の盾を軽々と飛び越えていく。


(なぜ……。私の教えてきたことが、どうしてこの子を繋ぎ止めておけない?)


 その苛立ちは、やがて視線の先にいる「元凶」へと向く。

 UNIT-08。

 この獣が隣にいるだけで、カケルの思考回路が歪んでいく。

 

 この者の影響だ。

 間違いなく、彼がカケルに「疑う」という最悪の毒を与えたのだ。


 琥珀はそれを認めたくなくて、血が出るほど唇を噛んだ。


 対照的に、ヤマトは何も言わなかった。

 琥珀が狂乱気味に叫び、カケルが熱を帯びた瞳で問いかけるその光景を、ただ淡々と、他人事《ひとごと》のように眺めている。


「……本日の講義は、ここまでにいたしましょう。私、少々……気分が優れませんので」


 琥珀は吐き捨てるように言うと、乱暴に資料を閉じ、振り返ることもなく講義室を後にした。

 去り際、その背中には、氷のような冷徹さとは裏腹の、焦燥に駆られた不吉な影が伸びていた。


 残されたのは、重苦しい沈黙と、場にそぐわないほど眩しい人工太陽の光だけだった。


「……怒らせちゃったね……」


 カケルが、しょんぼりと肩を落として呟く。

 自分のささいな変化が、この高天原の管理者であり、教育係である琥珀の世界をどれほど崩壊させたのか、その自覚はまだ薄い。


「あいつの頭が硬すぎるんだよ。……おい、カケル」


 ヤマトが壁から背を離し、のっそりと歩み寄った。


「え?」

「時間があるなら、ちょっと付き合え。せっかく早く終わったんだ、アーカイブにも教科書にも載ってねえ、この城の『裏側』を……お前のその目で確かめさせてやるよ」


 ヤマトはそう言って、カケルの頭を生身の左手でガシガシと乱暴にわしづかみにした。

 それは護衛としての形式を少しだけ踏み越えた、照れ隠しめいた共犯者の合図だった。


「えっ? うん、もちろん! ヤマトの行くところなら、どこへでも!」


 カケルはぱっと表情を明るくし、ヤマトの後に続いた。


 琥珀の退室によって生まれた空白の時間。

 それは、高天原の管理から一時的に外れた、二人だけの短い「自由」の始まりだった。


 ヤマトは歩きながら、ジャンク・ドライブを静かに鳴らした。


 琥珀のあの異常な様子から、何かが決定的に壊れたことを察していた。

 彼女の執着は、もはや教育の域を超えている。

 次に彼女が仕掛けてくるのは、言葉による叱責ではない。もっと致命的な「排除」だろう。


 だが、今はただ、隣で無邪気に笑う少年に、この城の「機構《システム》」の裏側にある光景を見せてやりたいという、純粋な衝動に駆られていた。


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