第23話:鏡合わせの孤独 / TWO SIDES OF VOID
ヤマトによって、より精緻な調律が施されたシステムが、皮肉にもこの世界をより完璧な世界へと仕立て上げていく日々。
カケルは、ヤマトを連れて謁見の間へと続く長い回廊を歩いていた。
先日、琥珀から厳しく咎められたばかりの禁忌を振り切るように、自らの意思で、この場所へ、ヤマトを連れて行くことを決めた。
「お母様に、会って欲しいんだ」
その言葉を聞いた瞬間、ヤマトの脳裏にはあの夜の「蒼い光」がフラッシュバックしていた。
暗い寝室で一筋の涙を流し、届かぬ母を呼んだ少年の、無防備な姿。
あの夜の涙の理由を知ってしまったことへの、名状しがたい気まずさと複雑な胸中を抱えながら、ヤマトは静かにカケルの背中を追った。
「ここだよ」
カケルが重厚な白磁の扉に手をかける。
無数の精密な歯車が噛み合う音が響き、ゆっくりと開かれた空間。そこは、高天原のどの場所よりも眩しく、そしてどの場所よりも「死」の気配が濃密な場所だった。
視界が開けた瞬間、ヤマトは足を止めた。
部屋の中央。
光り輝く巨大な円筒形の水槽。
その中に満たされた液体。
そこに、一人の女性が揺蕩っていた。
彼女の身体には、まるで寄生植物の根のように、無数の細い管が食い込んでいる。その管はすべて、宮殿の壁一面を覆う巨大な霊子回路へと接続されていた。
彼女が生きるための鼓動一つ、呼吸一つが電気信号へと変換され、この巨大な都市を照らす「光」へと変えられ、下界を支配する「記号」が生み出されている。
「……っ」
ヤマトは息を呑んだ。
隠し切れない動揺が、鋼の腕の接合部を小さく軋ませる。
下界のドブ底に、こんな光景はなかった。
そこにあるのは無残な死か、あるいは泥臭い生だ。
だが、目の前にあるのは、そのどちらでもない。
生きたままシステムの一部に「加工」された、永遠の拘束が、この国の動力の正体だった。
カケルは、ヤマトの凍りついた表情に気づき、悲しげに微笑んだ。
「……僕の、お母様だよ」
室内を巡る光が乱反射し、水槽の中の女性を神々しく、そして悍ましく照らし出す。
その時。
『カケル……貴方は、この国の太陽……』
感情を一切排した、合成音のような声が空間に木霊した。
「母」と称された女性から発せられたその言葉は、ヤマトの脳内へ直接語りかけてくるような信号となって響き渡る。
かつてヤマトが耳にしていた、子を愛しむ母親の熱などは、微塵も存在しなかった。
「僕も、いつか……ここに入るんだ」
「……何言ってる?」
「それが、皇太子である、僕の務めなんだよ。この国を守るために、僕は生まれたんだから」
自らの消失を当然の義務として肯定する、この国の「太陽」であるはずの皇太子。その肯定の中には、抗えない運命に対する諦念が、少なからず含まれていた。
ヤマトの逆鱗が、音を立てて逆撫でされる。
彼はカケルの正面に立つと、瑠璃色の瞳を真っ直ぐに見据えた。
「バカかお前」
「……えっ?」
カケルが、驚いた顔でヤマトを見つめる。
高天原で「バカ」などという言葉を向けられたことなど、カケルには一度もなかった。
周囲は彼を「至上の結晶」として崇めるか、「完璧な器」として管理するか、その二択しかなかったからだ。
「国がどうとか、皇太子がどうとか……そんな能書きはどうでもいい。お前自身は、どうしたいんだよ」
「……僕、自身?」
「お前、本当に、こんな冷たい液体の中で一生過ごして、機械の一部になりてえのか? 誰にも触れられねえ、誰とも話せねえ、ただ光り続けるだけの電池になりたいのかって聞いてんだよ」
思いもよらない、魂の奥底を抉るような問いかけに、カケルの表情が石像のように固まった。
「僕は……」
カケルの喉が、意味をなさない震えを繰り返す。
ヤマトは、カケル自身がその閉ざされた口から自分の血が通った言葉を紡ぎ出すのを待つように、じっと彼の顔を観察していた。
カケルの視線が泳ぎ、水槽の中の母──いや、「母であったモノ」に向けられる。
「僕は、この国の皇太子で……国を守るのが、務めだ。お母様も、そのために自分を捧げられた。だから、僕も、こうすることが、僕の幸せで……この国の、正解、で……っ」
言葉を重ねるほどに、カケルの声は力なく、震えていく。
「本当にそう思うなら、なんでそんなツラしてるんだよ」
ヤマトの追い打ちが、カケルの心の防壁を粉々に粉砕した。
彼の揺るぎない眼差しは、カケルが向き合えないまま置き去りにしてきた「恐怖」を、容赦なく白日の下に晒し出す。
「そんなツラして、『幸せだ』なんて嘘ついてんじゃねえよ。寝言で『お母様』を呼んで泣いてたのは、誰だよ」
「……っ、僕、そんなこと、言っていたの?」
カケルは目を見開いた。
恥じるように伏せかけた視線が、途中で止まる。
誰にも届かないと思っていた声を、ヤマトだけが聞いていた。覚えていた。
幼い頃から凍てついた檻の中で零れ落ち続けていた叫びが、少なくとも一度は、誰かの中へ届いていた。
その事実だけが、絡まり合ったカケルの心に、名もない熱を残した。
「ドブ底にいた俺たちですら、生きるために、必死で足掻くんだ。なのに、なんでお前は、生きたまま殺されることを受け入れてんだよ。そんなのは、お前の意思じゃねえだろ。……ただの呪いだ」
カケルの瞳が大きく揺れ、ついに限界を超えた雫が溢れ出した。
「わからないよ……ヤマト……僕は、高天原の……でも、僕……」
「言えよ、クソガキ。怖いなら怖いって、嫌なら嫌だって、はっきり言え」
光の乱反射する空間で、ヤマトの鉄の腕がカケルの肩を乱暴に、けれど確かな温かさを伴って掴んだ。
二人の少年の間に、かつてないほどの濃密な「不協和音」が響く。
それは、楽園という名の檻を破壊する、亀裂の音だった。
◇
深夜。
ヤマトは独り、青白い端末の光に顔を焼かれていた。
右腕の接合部から走る電子の疼きを、神経を研ぎ澄ませるための触媒に変えて、彼は「聖域」の最奥、「天岩戸アーカイブ」の医療データベースを暴き立てていた。
復讐よりも、破壊よりも先に、どうしても手に入れなければならないものがあった。
ヤマトは検索欄へ、母を奪い、今また妹を蝕んでいる病の名を打ち込む。
──鉱血症。
(……あるはずだ。この場所なら、支配者たちの智慧なら、必ず……)
だが、網膜に映し出された検索結果は、無慈悲なシステムメッセージを突きつけてきた。
【疾患照会:鉱血症】
【上層市民罹患記録:0件】
【医療研究指定:対象外】
【治療法:未登録】
「…………」
一瞬、視界が白く飛んだ。
超高度医療プログラム──。
それは、選ばれた「神」の血筋を守るためだけに構築された、極めて排他的な論理の塊だった。
「……ハッ。そういうことかよ」
乾いた笑いが、ヤマトの喉から零れた。
それは自嘲を通り越し、血を吐くような毒となって溢れ出す。
治療法が秘匿されていたのではない。
そもそも、探された痕跡すらなかった。
「……俺たちみたいな『部品』は、そもそも……最初から『救う価値無し』ってことか。……よく、わかったぜ」
整理のつかない怒りと、吐き気を催すような喪失感。
脳裏には鉄に変わっていく母の虚ろな顔と、苦しそうに喘ぐ妹の姿が混ざり合い、激しいノイズを立てる。
その矛先は、無意識のうちに、隣の寝台で穏やかに眠るカケルへと向けられた。
ヤマトはふらつく足取りで立ち上がると、忍ばせていたナイフを引き抜いた。
鋭く研がれた鋼の刃が、闇の中で冷たく光る。
彼はそれを逆手に握りしめ、獲物を狙う獣の足取りでカケルの元へと歩み寄った。
(こいつさえ……。こいつらが、こんな『差別』の上に胡坐をかいて、俺たちから全部奪ったんだ……!)
カケルの寝顔は、驚くほど無防備だった。
ヤマトは狂気に染まった金色の瞳でカケルを見下ろし、その細い喉元へナイフの切っ先を突き立てる。
あと数ミリ力を込めるだけで、このシステムの象徴たる少年の息の根を止められる。
(殺してやる。こいつを殺して、全部ぶち壊してやる……!)
だが。
食いしばった奥歯が鳴り、ナイフを握りしめた右腕が、壊れた機械のように激しく震えた。
脳裏を掠めたのは、今日見たカケルの顔だ。
「お母様に会ってほしい」と願った、あの震える声。
今日、目の前でこぼした涙。
自分と同じように、誰かの愛を求めていた孤独な少年の眼差し。
カケルを殺しても、システムの仕様は変わらない。妹に救われるわけでもない。
その惨たらしい現実が、ヤマトの牙を、容赦なく抜き取っていく。
「……ッ、ぁぁあああああ!!」
ヤマトは力を失ったようにナイフを取り落とし、刃が絨毯の上で、鈍い音を立てた。
彼は膝をつき、鉄の腕で自分の頭を割れんばかりに抱え込んだ。
「何が復讐だ……。こんなガキ一人、殺せねえで……っ!!」
吐き捨てた毒は、誰でもない自分自身に突き刺さり続けた。
カケルは物音に気づく様子もなく、幸せそうな寝息を立てている。
その静寂が、ヤマトにはどんな責苦よりも残酷に感じられた。




