第22話:最適化の毒、標的の座標 / AMBER TRAP
高天原で過ごす日々。
全てが管理下にある窒息した楽園で、ヤマトは、日々を二重の執念に捧げていた。
昼間は、カケルの傍らに侍る護衛として振る舞いながら、その鋭い眼光は常に「白の城」の内部構造を冷静に解剖していた。
彼は歩くたびに、高天原という巨大な機械の設計図を脳内に、復讐の瞬間のために一分一秒の狂いもなく叩き込み続けていく。
そして夜。
カケルが穏やかな寝息を立てる静寂の中で、ヤマトの真の侵食が始まる。袖に隠したデバイスを、過負荷で軋むジャンク・ドライブを介して直接システムへと接続し、彼は「白のシステム」の深淵へと音もなく潜り込む。
目的は、アマテラスの無力化ではない。
その膨大な防衛プログラム、権限の所在、そして急所を、自分の「牙」の一部として私物化するための予習だった。
「……ハイヴの枯渇した土地から吸い上げるだけで、間に合う訳がねえ。何が、この国を動かしている」
下界の、中央区画を中心とする、東西南北へ広がる各地区。ヤマトが生まれ育った南地区のデータを流し見していると、琥珀の閲覧履歴が目に留まる。
「……俺のことを、探ってんのか」
理論でそのプライドを打ち砕き、武では黒鉄の裏切りにあった琥珀が考えることと言えば、想像に容易い。
「残念だったな。生憎だが、俺は『いねえ』んだよ」
ヤマトは、不敵な笑みを浮かべ、さらに奥底へと潜り込む。
しかし、アマテラスの心臓へと続く、データベースの入り口まで辿り着いた時、その動きが止まった。
「……流石に、このガラクタじゃ、ここが限界か」
ヤマトはデバイスを再び袖の中に潜り込ませると、カケルの寝顔に視線を移した。
穏やかな寝息を立て、ヤマトの隠密行動など知る由もない目の前の皇太子。自分を信じ切るあまり、その裏に隠された真意に気付くことすらない純粋さ。
自分と究極に相反する場所に居ながら、何故この少年はここまで自分を慕うのか。ふと、居心地の悪さに囚われたヤマトは、歯噛みした。
「俺には、温室で呑気に暮らしている、お坊ちゃんの相手なんかしてる暇はねえんだよ」
毒吐きながらも、ヤマトの脳裏にチラつくのは、自分に全幅の信頼を寄せ、無邪気に笑うカケルの姿だ。
陽だまりの様に柔らかな笑顔が、深く凍てついていたヤマトの心の扉を、確実に開き始めている。
いつからか、それを自然に受け入れ始めてしまっている自分自身へ向けて、小さく舌打ちをすると、ヤマトは、自らも浅い眠りに就いた。
◇
調律された朝の訪れに促され、瞼を持ち上げると、まだカケルは眠りの中に居た。
「おい、起きろ。今日は、朝から講義が入ってんだろうが」
「……ん。あ、おはよう、ヤマト」
瞼を擦りながら、カケルが身体を持ち上げる。
毎晩、すぐ隣で城を侵食し、牙を研ぎ続けている野良犬への、あまりの警戒心の無さに、ヤマトは内心呆れ返っていた。
カケルの人生へ完璧に敷かれたレールを辿る様に展開される、琥珀の、退屈極まりない『高天原史』の講義。
教壇に立つ彼女の涼やかな声は、創世から数千年と時をかけて積み上げてきた高天原が織りなす歴史の正当性を淡々と説き続けている。
しかし、その背後で、ヤマトは机の上で手持ち無沙汰に弄んでいた情報端末を通じ、音もなく城の心臓部──アマテラスの深淵へと手を伸ばしていた。
「……けっ。完璧なアマテラス様が聞いて呆れるぜ。俺たちの住むハイヴを散々バグ呼ばわりしといて、自分は穴だらけの欠陥品じゃねえか」
退屈そうに独りごちるヤマトの指先が、流麗なダンスを踊るようにコードを書き換えていく。
真の狙いであるハッキングを悟らせぬよう、彼はその「ついで」として、城内のあちこちに散らばる細かな不具合を解消していった。
彼が指先一つで「掃除」をするたびに、城内は劇的な変化を見せ始めた。その様子を隣で見ていたカケルは、ヤマトの指先が紡ぎ出す、究極まで研ぎ澄まされた『芸術』を食い入るように見つめる。
回廊を照らす照明の微かな瞬きは消え、噴水の水圧はミリ単位で最適化され、長年放置されていた基盤の軋みが、一つ、また一つと沈黙していく。
高天原の住人が「神の気まぐれ」として受け入れていた不完全さが、下界の野良犬の手によって、無機質な最適解へと修正される。その事実は、誇り高き「選ばれし民」の矜持を内側から食い破る毒となった。
土足で家を掃除されるような、得体の知れない不快感。
誇りという名の虚飾を剥がされた高官たちは、冷気漂う緊急神議会の円卓に、ヤマトの管理責任者である琥珀を呼び出した。
青白い霊子の光に照らされた円卓で、老人たちの冷酷な視線が琥珀の白皙の肌を射抜く。
琥珀は、自身の喉元に冷たい刃を突きつけられているような圧迫感を感じながら、唇を噛みしめていた。
「琥珀殿。あの個体を即刻排除せよ。これは統治の根幹に関わる問題だ」
議長の言葉は、慈悲のかけらもない宣告だった。
しかし、琥珀は絞り出すように答えるしかなかった。
「……不可能ですわ。カケル様が、あの不浄個体を、片時も離そうとはなさいません。無理に引き剥がせば……カケル様の離反を招きます」
カケルは今や、朝の光とともに瞳を輝かせては、「ヤマト、今日はどこを直すの?」と問いかける。
彼にとってヤマトは、退屈な楽園に現れた唯一の「生きた刺激」であり、無自覚な憧れを抱く対象へと変貌を遂げていた。
琥珀は、自身の居場所が内側から静かに侵食されていく恐怖に震えていた。
(……このままでは、カケル様も、この高天原も……あの獣に作り変えられてしまう……)
沈黙が支配する神議会を退出した琥珀は、その足で中央管理室へ向かった。
南地区の住民台帳。労働者名簿。出生記録。死亡記録。
検索領域を広げるたび、青白い画面には同じ回答だけが浮かび上がった。
『照会対象:UNIT-08』
『登録区分:工業用義肢』
『所有者情報:未登録』
『装着者生体照合:該当個体なし』
「……該当個体、なし?」
琥珀の指が止まった。
条件を変える。
検索年代を広げる。
南地区で起きた事故記録まで遡る。
それでも、赤髪の少年へ繋がる記録は一件たりとも現れない。
「あり得ませんわ……。現に生きて、カケル様の隣にいるというのに……」
完璧であるはずのアマテラスが、目の前に存在する人間を「存在しない」と断定している。
その矛盾に、琥珀の整った表情が初めて大きく歪んだ。
「……記録にないのであれば、行動から辿ればよいだけですわ」
琥珀の脳裏に、ヤマトが口にした一つの言葉が蘇る。
──妹。
「存在しない獣にも、帰る『巣』はあるはずですわ」
琥珀は検索画面を閉じた。
その表情から焦燥が消え、代わって、獲物の足跡を待つ捕食者の静けさが宿った。
◇
黄金色の黄昏に染まる庭園。
「ヤマト。君がお城を修繕してくれたお陰で、お城がどんどん元気になっていくよ」
噴水の飛沫を見下ろしながら、カケルがポツリと呟く。
夕陽を浴びたカケルの横顔は、彫刻のように美しく、そしてどこまでも儚い。
「今まで完璧だと思っていた世界も、君の目を通せば、全然違って見えるんだね」
カケルの向けた無垢な眼差しは、ヤマトの胸の奥を激しくチリつかせた。
(……クソが。そんな目で俺を見るんじゃねえよ)
こいつは仇だ。
復讐の対象だ。
利用すべき駒に過ぎない。
そう自分に言い聞かせても、カケルが「ヤマトがいてくれて良かった」と笑うたびに、張り詰めた殺意の糸がわずかに、けれど確実に緩んでしまう。その「揺らぎ」こそが、ヤマトにとっては不甲斐ない敗北であり、何より自分自身に対する許しがたい裏切りであった。
「僕も、君みたいになりたいよ。自分の足で立って、自分の目で世界を見てみたい。……できるかな……僕でも、この空の外側へ行けるかな」
あまりに純粋な、あまりに無知な渇望に、ヤマトの胸の奥で、何かが激しく軋んだ。
「お前みたいな光の国の皇太子サマが、俺みたいなドブ底の野良犬になりたいだと? 笑わせんな。何の冗談だよ」
ヤマトは、氷のように冷たい声でカケルを突き放した。
カケルは一瞬、打たれたような表情を見せたが、その瞳に宿る真摯な熱は消えることはなかった。
「冗談じゃないよ。僕は、本当に……」
「黙れ。地べたの這いずり方さえ知らねえ癖に、外の世界だと? ……お前が望んでるのは、自由じゃねえ。ただの、贅沢な遊びだ」
言い放つヤマトの言葉は鋭い棘を含んでいた。
だが、突き放せば突き放すほど、ヤマト自身が一番理解し始めていた。
カケルの言葉には、一欠片の嘘もないということを。
この贅沢な檻の中で、自らの命を削りながら『太陽』として光り続ける少年もまた、ヤマトと同じ「失った者」の目をしているのだと。
ヤマトはそれ以上何も語らず、ただ黄金の空へと視線を逸らした。
下界の泥に塗れた自分にとって、この光り輝く少年は、何よりも遠い仇敵でなければならなかった。
だが、この楽園の静寂を壊せば壊すほど、皮肉にも二人の距離は近づいていく。
その背後で、琥珀の用意した「地獄」への秒読みが始まっているとも知らず、ヤマトは右腕のジャンク・ドライブを小さく鳴らした。
蒸気の音だけが、美しき庭園に不吉なリズムを刻んでいた。




