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【第一幕】無垢なる太陽の欠け落ち / FALLEN SUN   作者: 星乃ふみ


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第21話:敗北の熱、武人の火 / WARRIOR'S EMBERS

 ヤマトは、琥珀《こはく》と黒鉄《くろがね》の間に流れる不穏な空気を、獲物を見定める獣のように、じっと観察した。


 琥珀の底冷《そこび》えするような殺意《さつい》。

 黒鉄の奇妙な敬意《けいい》。


 そのすべてを金色の瞳で射抜き、彼は右腕のジャンク・ドライブをゆっくりと回した。接合部の隙間から、摩擦熱で焼かれた小さな火花がこぼれ落ち、焦げたオイルの死臭《ししゅう》が鍛錬場に不釣り合いな彩りを添える。


「おっさん……。あんた、面白いこと言うじゃねえか」


 ヤマトは低く、枯れた笑い声を上げると、爆発的な踏み込みで床を蹴った。一瞬で間合いを死滅させ、全重量を乗せた鉄の拳を叩きつける。


「『対話』なんて、高尚《こうしょう》なもんじゃねえ……。死ぬか、生きるか。それだけだろッ!」


 引き裂かれた空気が悲鳴を上げ、ヤマトの拳が黒鉄の顔面へと肉薄《にくはく》する。


 だが、黒鉄はその不可視《ふかし》の軌道を読み切っていた。

 最小限の機動、まるで紙一枚の差で、その猛撃を躱《かわ》してみせた。


「……ッ!」


 ヤマトは止まらない。

 鉄拳を振り抜いた勢いを殺さず、全身を旋回させて回し蹴りを叩き込む。

 黒鉄はそれを受け流し、柳《やなぎ》が風をいなすようにヤマトの攻撃を無効化していく。


 傍目《はため》には、高天原《たかまがはら》最強の武人と、下層界《ハイヴ》の獣が互角に渡り合っているように見えた。だが、実際に拳を合わせているヤマトだけは、肌が粟立《あわだ》つような戦慄《せんりつ》に囚《とら》われていた。


(……クソが。このおっさん、一歩も動いてねえ……!)


 ヤマトが全霊を懸《か》けて繰り出す一撃一撃を、黒鉄は呼吸を乱すことすらなく、まるで子供の戯《たわむ》れをあやすかのように捌《さば》いている。その圧倒的な「余裕」こそが、ヤマトが誇りとしてきた生き様を、烈火《れっか》の如く逆撫《さかな》でした。


「おい、おっさん! 高天原の連中は、戦いの最中に昼寝でもするのが礼儀なのか? なめてんじゃねえぞ、本気で来いよ!」


 ヤマトが牙を剥いて煽《あお》ると、黒鉄はふっと動きを止め、わずかに目を細めた。


「ふむ……」


 一言、地鳴りのような溜息《ためいき》を漏らすと、黒鉄は少年の射抜くような瞳を真っ向から見据えた。


「ヤマトといったな。いい目をしている。地獄を潜り抜けてきた、本物の輝きだ。……しかし、まだ端々に幼《おさな》さが残るな。お前の力は、誰かを傷つけるための『暴力』ではあっても、何かを成し遂げるための『意志』には、まだ昇華《しょうか》されていない」

「……っ、なんだと!?」


 ヤマトの眉間《みけん》に深い皺《しわ》が刻まれる。


(幼いだと? 腕を捨て、家族を養うために地獄を見てきた自分に向かって、この平和な檻《おり》の番人が、何を抜かしてやがる……ッ!!)


 ヤマトの苛立《いらだ》ちに呼応するように、ジャンク・ドライブが過負荷《オーバー・ロード》で甲高い、耳障りな悲鳴を上げた。


「お前に何がわかる! 綺麗事《きれいごと》ばっかり並べてんじゃねえよッ! 俺たちが生きてきた場所には、言葉なんて届かねえんだ! あるのは重力と、空腹と、いつ止まるかわからねえこの鉄の塊だけだ!」


 冷静さを失いかけたヤマトの背後で、カケルが心配そうに身を乗り出している。

 一方の琥珀は、ヤマトが精神的に揺さぶられ、無様に崩れていく予感に、冷酷な悦《よろこ》びを浮かべていた。


 ヤマトの怒りが臨界点《りんかいてん》に達した瞬間、右腕の接合部から、眩《まばゆ》いまでの青白い放電が溢《あふ》れ出した。


「……舐めてんじゃねえぞ。俺の全出力解放《フル・ドライブ》、受けてみろッ!」


 強制的にリミッターを解除された義肢《ぎし》が、過負荷でガタガタと震え、周囲の空気を加熱する。その速度は、先ほどまでとは比較にならないほどに跳ね上がっていた。


「……ほう」


 黒鉄の目が、初めて驚愕《きょうがく》に細められる。


 物理法則を強引に捩《ね》じ伏せた加速。

 残像すら置き去りにするヤマトの鉄拳が、黒鉄の顔面へと最短距離を突き進む。


 黒鉄は即座に身構え、正面からその一撃を受け止める姿勢をとった。


 ──ドォォォォン!!


 鍛錬場に爆鳴《ばくめい》が轟《とどろ》き、二人の足元の床がクモの巣状に砕け散る。

 ヤマトの鉄拳と、黒鉄の鋼の腕が真っ向から激突していた。


「……ハッ。どうだ……少しはビビったか、おっさん……!」


 ヤマトは顔を歪《ゆが》めながらも、勝ち誇ったように笑った。

 右腕からは焼けたオイルの死臭と火花が散っている。


 だが、黒鉄の表情は、驚きを瞬時に「探求《たんきゅう》」へと変えていた。


「興味深い。……その出力、その執念。だが──」


 黒鉄の全身から、それまでとは次元の違う「武《ぶ》」の圧力が噴き出した。


「──まだ、荒すぎる」


 ヤマトが追撃を繰り出すよりも速く、黒鉄はヤマトの拳の勢いをそのまま利用し、円を描くような機動でその懐《ふところ》へ滑り込んだ。


 黒鉄の掌打《しょうだ》がヤマトの勢いだけを返した。

 その衝撃に耐え切れず、限界を超えて駆動していたジャンク・ドライブが内部からショートした。


「が……はっ!?」


 ヤマトの視界が上下に反転した。

 腹部に叩き込まれた掌打の衝撃が全身を駆け抜け、ヤマトの体は紙屑《かみくず》のように宙を舞い、そのまま硬い床へと叩きつけられた。


「……っ……、ぐ……あ……ッ!!」


 背中を強打し、肺の空気がすべて押し出される。

 過負荷で損傷したジャンク・ドライブから、神経釘《ニューラル・スパイク》を通じて脳を直接灼《や》くような激痛が走った。


 視界が白濁《はくだく》し、思考が断片化していく。

 ヤマトは床に這いつくばったまま、喉の奥から込み上げる苦しみに身悶《みもだ》えした。


「ヤマト!!」


 カケルの悲痛な叫びが響く。

 彼は琥珀の制止を振り切り、倒れ伏したヤマトのもとへ駆け寄った。


「ヤマト、大丈夫!? 起きて、ヤマト!」


 床に散った火花の中で、泥を舐めるように苦しむヤマト。

 それを見下ろす黒鉄。

 そして、その光景を「排除への確信」として冷たく見つめる琥珀。


 ヤマトの金色の瞳には、悔しさと激痛、そして自分を呼ぶカケルの必死な顔が、歪んだ視界の中でドロドロと混ざり合っていた。その痛みの最中、ヤマトの耳元で琥珀の、氷のような声だけが響いた。


「……無様なものね。高天原の技術を汚した報いですわ。やはり欠陥品は、物理的に消去されるのがこの世界の正解なのです」


 床に這いつくばり、火花を散らす義肢を押さえて喘《あえ》ぐヤマトを見下ろし、琥珀が冷たく言い放った。その声には、ようやく「異物《いぶつ》」を屈服させたというどす黒い悦びが混じっている。


「けっ……、うるせえよ。……まだまだだ、こっからが本番だろうが……ッ!」


 ヤマトは激痛に顔を歪ませながらも、震える腕で床を押し、無理やり体を起こそうとする。

 ショートしたジャンク・ドライブから異臭が漂い、神経釘《ニューラル・スパイク》が脳を掻《か》きむしるような苦痛を与えていたが、その金色の瞳だけは死んでいなかった。


「もうやめて、ヤマト! これ以上は体が壊れちゃうよ!」


 カケルが必死にヤマトの肩を抱き、それ以上の無茶を止めようとする。

 カケルの瞳には、ヤマトを心配するあまり涙が浮かんでいた。その温かな雫《しずく》が、ヤマトの煤《すす》けた頬に落ちる。


 その時、黒鉄がゆっくりとヤマトに歩み寄り、その前に立った。


「自他の力量を見極めるのも才能の一つだ。無謀《むぼう》と勇気《ゆうき》は違う」


 黒鉄の声はどこまでも静かだった。


 ヤマトが悔しげに奥歯を噛み締め、黒鉄を睨みつけたその時、彼は意外な行動に出た。

 彼は静かに、その大きな掌《てのひら》をヤマトへと差し出したのだ。


「だが……久しぶりに心から楽しめた。礼を言うぞ、ヤマト」

「……っ!?」


 その言葉に、一番に反応したのは琥珀だった。


「黒鉄! 貴方、何を……! その手に触れるなど、正気ですか!? 彼は管理対象の不浄個体なのですよ!」


 琥珀は顔を真っ赤にして叫んだが、黒鉄は動じない。

 差し出された手は、ヤマトの返答をじっと待っている。


 ヤマトは差し出された無骨《ぶこつ》な手と、黒鉄の穏やかな眼差しを交互に見た。


 今まで、下層界《ハイヴ》で、自分に手を差し伸べる者など、一人もいなかった。

 誰もが奪い合い、蹴落とし合うのが当たり前だった世界。

 信じられるのは自分と、壊れかけの義手だけだったはずだ。


「……チッ。次はそのヒゲ、一本残らず全部毟《むし》り取ってやるからな。覚悟しとけよ、おっさん」


 ヤマトは吐き捨てるように言うと、ぶっきらぼうにその手を握り返した。

 黒鉄の掌は、ヤマトの鉄の腕よりも硬く、そして人間らしい微かな熱を持っていた。


「ははは、それは楽しみだ。威勢が良いな、ヤマト」


 黒鉄は満足げに笑い、ヤマトを力強く引き起こした。その光景は、主従でも、敵味方でもなく、確かに「武人《ぶじん》」としての魂が触れ合った瞬間だった。


 それを見つめるカケルの顔には安堵《あんど》の笑みが広がり、一方で琥珀は、自分の統制から完全に外れていく事態に、爪が食い込むほど拳を握りしめていた。彼女の愛する完璧なカケルの世界に、ヤマトという毒が、そして黒鉄という裏切りが、癒《い》えぬ傷跡を刻んでいく。


「……いいでしょう。ならば、別の『正解』を用意するまでですわ」


 琥珀は音もなく背を向け、暗い廊下へと消えていった。彼女の向かう先には、アマテラスの最深部、禁忌《きんき》の管理領域が待ち受けていた。


 ヤマトは黒鉄に支えられながら立ち上がり、カケルの顔を見た。


「おい、カケル。そんな情けねえツラすんな。……腹減ったな。なんか食わせろ」

「うん!」


 二人の少年と一人の巨躯《きょく》が、アマテラスが調律する、夕暮れの光に包まれた鍛錬場を後にする。


 その影は長く伸び、これから訪れる高天原の長い夜を予感させていた。

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