第16話:蒐集家の瞳、侵略者の歩調 / INVADER'S STEP
二人が空中回廊を渡り、光の粒子の中へと溶けていく様を、高天原中央管理室の映像投影機が映し出していた。
感情を排した冷徹な精度で刻まれるその映像は、管理室を支配する青白い燐光と混ざり合い、不吉な静寂を醸し出している。操作席に座する琥珀の顔は、影を深く刻み、怒りと屈辱によって陶器のような滑らかさを失っていた。その指先は、コントロールパネルの上で、激しい拒絶を物語るように細かく震えている。
「……信じられない。あのような不浄個体に、カケル様が、自らその指を触れようとなさるなんて」
画面の中、カケルはあろうことか、あの赤い髪の『獣』に対して、慈しむような笑みを向けていた。
下界の塵芥に過ぎない個体に対し、『ヤマト』などという、この国の悠久の歴史に連なる高貴な音を授けている。それは琥珀にとって、楽園の法典を破り捨てるに等しい大罪であった。自らが心血を注ぎ、一点の曇りもなく磨き上げた『至高の蒐集品』に、泥を塗りつけられたような耐え難い汚辱に他ならない。
彼女にとってカケルは、愛すべき教え子である以上に、この世界の美学と『正解』を具現化する、唯一無二の結晶体でなければならなかったのだ。
「家族……? 妹……? 下等な、あまりに下等な情念。そのような不純物が、完璧であるべきカケル様の精神を濁らせていく。あの不格好な鉄の腕が、純白であるべきカケル様の未来を、黒く、醜く侵食していくわ……」
琥珀は鋭く尖った爪を立て、画面の中のヤマトの瞳をなぞるように、無慈悲に引き裂く仕草を見せた。彼女の眼差しは、教育者としての忠誠という境界をとうに踏み越え、自らの獲物を奪われまいとする捕食者のような、狂信的な独占欲に燃え上がっている。
「……ご心配には及びませんわ、カケル様」
管理室の琥珀が、冷たい笑みを浮かべて呟く。
彼女の細い指先が、流麗な旋律を奏でるように端末を叩き、プログラムを書き換え始める。それはヤマトという異物を排除し、その絶望の根源である『下界の家族』ごと、この世界から根絶やしにするための、血の通わぬ裁断であった。
黄金の光に満ちた楽園の裏側で、静かに、だが致命的な秒読みが始まっていた。
一方その頃、背後に迫る断罪の気配も知らず、カケルはヤマトを伴って、城のさらに深部──『核心』へと足を進めていた。回廊を渡るたびに、周囲の装飾はより過剰な贅を極めていく。白磁の壁には金糸で神話の情景が刺繍され、大気は霊子の芳香を帯びて密度を増していた。
カケルは「ここはね、歴代の皇が愛した回廊なんだ。柱に施された花の細工、綺麗だと思わない?」と、透き通った声で楽しげに解説を続けている。だが、その隣を歩くヤマトの金色の瞳は、壁に飾られた名画や、柱に施された花の彫金などには、見向きもしなかった。
彼の脳内では、「生存本能」と「非情な打算」が高速で予測演算を繰り返していた。
(……壁面の厚さは約二メートル。材質は白磁加工された強化鋼か。一見脆そうだが、通常の火薬じゃ傷一つ付かねえな。……いや、接合部の霊子ボルトを狙えば話は別か)
ヤマトは黒い羽織の袖に隠した「鉄の腕」を無意識に軋ませ、視線を天井へと走らせた。
三層ごとに配置された換気ダクトの通気口。
一定の間隔で巡回を繰り返す、真鍮製の自動監視人形。
その動力源である霊子ケーブルの露出部。ヤマトの目には、カケルの誇る楽園の美しさが、破壊すべき「標的」の羅列にしか見えていなかった。
(……中央の支柱を三本叩けば、この回廊は十秒で崩落する。脱出経路は、さっきの第三ダクトを経由すればハイヴへ繋がる廃棄区画へ直通できるはずだ……)
カケルが時折、「ヤマト、見て! あの彫刻、素敵だと思わない?」と振り返る。ヤマトは、適当に相槌を打ちながら、心の中でどす黒い冷笑を浮かべていた。
(おめでてーな。城の主が、案内係を自ら名乗り出て、弱点を教えて回ってるとも知らずによ。……お前が信じてるこの平和も、この美しい景色も、俺が内側から腐らせてやる。この輝く檻ごと、な)
自分たちを虫ケラのように見下し、その屍の上で築かれたこの贅沢。
カケルの汚れなき笑顔を見れば見るほど、ヤマトの復讐心は、氷のように冷たく研ぎ澄まされていく。カケルの親切心も、自分への信頼も、ヤマトにとっては利用価値のある「隙」でしかなかった。
「ヤマト、大丈夫? 疲れちゃったかな」
カケルが心配そうに覗き込んでくる。
その無防備な首筋。ヤマトの鉄の指が、一瞬だけぴくりと震えた。
「……別に。さっさと行けよ。アーカイブってのは、まだ先なんだろ」
「うん! あともう少しだよ。あそこに行けば、きっと君の助けになるものがあるから」
カケルは再び前を向き、弾むような足取りで歩き出す。その背中を見つめながら、ヤマトは冷酷に歩調を合わせた。
ヤマトにとって、高天原の咽せ返るような豊かさは、肺を焼き、魂を窒息させる劇薬でしかなかった。
下界の空気は重く、常に煤と錆の味がした。
だが、そこには確かな『生』の執着があった。
対してこの高天原の空気は、甘すぎて、清廉すぎて、逆に死の香りがする。
ヤマトは、喉に絡みつく甘い空気を拒むように、何度も唾を呑み込んだ。
「ねえ、ヤマト。あっちに見えるのが、高天原のすべての記録が収められている『天岩戸アーカイブ』だよ」
カケルが振り返り、未来を疑わない透明な声で告げた。その指が示す先、天空へと突き出した巨大な光の繭が、周囲の景色を白く塗り潰すほどの輝きを放っていた。
「君の妹さんの体に効く薬も、あそこなら見つかるかもしれない」
ヤマトは、その言葉の重みに、一瞬だけ呼吸を忘れた。
アーカイブ。
もし、あの神々しい光の繭の中に、下界の民を家畜のように使い潰すことで蓄えられた『略奪の知恵』が眠っているのだとしたら。
父を呑み込んだ炭鉱の事故も、母を奪った病も、すべてはこの輝きを維持するための対価だったのではないか。
ヤマトは、自分自身の奥底で微かに揺らぎ始めた何かを打ち消すように、心臓に氷の針を突き立てた。脳裏に浮かぶのは、暗い部屋で咳き込む妹の、頼りない背中。その幻影が、彼の憎悪を再び無慈悲な打算へと研ぎ澄ませていく。
だが、カケルに袖を引かれた、あの壊れ物に触れるような感触だけが消えない。打算を組み直すたび、その記憶が説明不能な雑音となって紛れ込んだ。
不気味なほどに白い光の繭を前に、二人の少年は立ち止まる。
一人は救いを信じ、一人は破滅を誓う。噛み合わない歯車が、高天原の心音に混じって、静かに不協和音を奏で始めていた。
二人の少年の前にそびえ立つ『天岩戸アーカイブ』は、建物というよりは、巨大な『思考する結晶』だった。
周囲の空間を歪ませるほどの高密度な霊子が、繭のような光の層を形成し、近づく者の魂を検品するかのように絶え間なく明滅している。
「ヤマト、離れないでね。僕の認証範囲から出ると、侵入者と判定されるから」
カケルが光の壁にそっと手を触れる。
その瞬間、数万の真鍮製歯車が噛み合うような、荘厳で重厚な駆動音が天空に響き渡った。光の繭が左右に割れ、二人の前に現れたのは、重力を無視して浮遊する無数の『記憶の歯車』が埋め込まれた、果てしない静寂の空間だった。
「……これが、アーカイブか」
ヤマトは、その光景に圧倒されながらも、右腕のジャンク・ドライブが激しく軋むのを感じていた。
高純度すぎる霊子の奔流に、下界の廃材で組み上げられた義手が悲鳴を上げている。しかし、それ以上に、義手を通して魂の奥底に声が響くような錯覚に陥った。過去の記録が生み出す残影だとでもいうのだろうか。接合部の神経釘が熱を持ち、ヤマトの脳内に不快なノイズを撒き散らす。
だが、彼はその痛みを奥歯で噛み殺した。
この光の深淵の中に、妹を救う鍵が、そしてこの国を滅ぼすための『致命的なバグ』が眠っているはずなのだ。ヤマトの中で、この天岩戸アーカイブの攻略が、最優先事項へと変換されていった。




