二十九~三十二
二十九
告白
日本史の試験中に二人見つかったんです。
言った通り、下敷きの裏に年表とか系図とか人の名前を書きつけた紙を貼りつけていた。それぞれべつのクラスです。その紙がおなじものだったので、示し合わせたんじゃないかって話になって、問い詰めたら暗記なんてバカバカしいから、何人かでやろうって話で盛りあがったって二人とも口にしたんです。
名前があがったのはわたしもふくめて十人。たしかにいつもより点数が高かったし、多くの生徒が空欄だった問題にも正答を書きこんでいました。学校側は親にも連絡して、親といっしょに一人ひとり呼びだして話を訊きました。だけど証拠がないから、いくら問い詰めても誰一人白状しなかったし、濡れ衣だって大騒ぎする子もいました。
たしかに実行したのはもっとすくなかったと思います。バレたときのリスクが大きすぎますから。停学はまちがいないし、内申書に大きく影響する。けど、本当のところは誰にもわからない。わたしはどうかと言えば、有罪なんですよ。下敷きは使わず、小さなメモ用紙をブラウスの袖のなかに隠して見ていました。おかげで九十点以上取れました。
気分はよくなかったです。だってウソをついたから。先生にも親にも。本当のことを言わないと、あとでとんでもない目に遭うんじゃないかって、毎日びくびくしていました。そのうちようすがおかしいって母が気付いて、家であらためて訊かれたんです。
それで泣きながら言ってしまった。やったって。でも学校には言わないでって強くおねがいしました。母は泣いてました。だって中間テストは、不正のなかったほかの科目も驚くほど好調で、ふつうなら推薦枠をもらえる総合点だったからです。だけど疑いの目で見られていますからね。学校もすぐには色よい返事をしてくれませんでした。そうしたら三者面談のときに母が怒ったんです。ふだん見たことがないほどの剣幕で担任を責めたんです。やってないと言ってるものを黒だってきめつけるのか、この学校はって。中世の魔女狩りみたいじゃないかって。
それをわたしは石のようになりながら横で聞いていました。
三十
午後11時00分 運命の分かれ道
日中ならエメラルドグリーンの水面と奇岩の数々が織りなす渓谷が左手に広がる県道をヘッドライトが切り裂きながら進み、幅がぐっと狭くなったところで道は二股に分かれた。右手がワイルドサイト小猿沢に至る小径で、左手は林道がつづいている。三太は右にハンドル切り、キャンプサイトへと緩やかなカーブに沿って車を進めた。
小さな管理事務所の明かりは消え、一本の水銀灯がサイトマップを描いた畳サイズの看板をぼんやりと照らしだしている。それには目もくれず、徐行しながら左手の道をそろそろと進む。すでにネットで利用予約は取ってあった。東京ドーム三個ぶんという広大な敷地には、右手の湖畔に広がる地形を生かしたキャンプポイントが点々と広がっている。三年ほど前にオープンしたばかりで、おもにオートキャンプの利用者に人気だ。この夜もキャンカーやワゴン車の車内灯や焚火を木々の合間にいくつか確認することができた。
それらが見えなくなる奥の奥まで車を進め、目の前に山肌が迫り、行き止まりになったところで停車した。真っ暗だが記憶は正しいはずだ。去年の夏とおなじ場所だ。山の秘密基地、山姥の棲み家だ。
「イクちゃん、ドアはぜんぶロックして絶対に外に出ちゃだめだ。トイレは車のを使いなさい」三太は怖気に震える自らに喝を入れるかのように毅然として申しつけ、居住スペース後部の道具入れからバールとスコップを取りだした。
「どうするの、いったい」郁美もさすがに不安を隠せない。
「もし想定通りなら」スコップを妻に渡し、ベッドのわきのエントランスドアを開ける。「やることをやるだけだ」
「待ってればいいの?」
「だいじょうぶ」加奈が安心させる。「そんなに時間はかからない。てゆうか、かけたくないし」
「そうだな」三太は妻をうながして外に出る。
深夜の山中とあってひんやりとしていた。いまだに蝉が鳴き、ほかの虫たちの大合唱もピークに達している。それぞれ手にした懐中電灯を灯し、キャンプサイトの入口のほうへともどっていく。
キャンプ場へと至る小径が始まる分岐点まで、二人とも歩きつづけた。その間に三太が計画を明かしていく。
「パンクさせたのはタイヤ一つだけだ。手持ちのスペアタイヤに交換すればすぐに追跡を再開できる。こいつを頼りにな」GPSトラッカーのキーホルダーを加奈に見せながらつづける。「いまとなっては、あいつらをおびき寄せる格好のエサになる」
分岐点に妻を残し、三太は右手に懐中電灯、左手にバールを握りしめながらキャンプサイトとは反対の方角へ大股で歩いていく。街路灯なんてない。真闇が広がっている。営林署の看板を懐中電灯が照らし、関係者以外侵入禁止の赤文字が浮かびあがる。そんなことはわかっている。この先は、伐採作業の車しか入らない、ガードレールもない林道だった。右手は剥きだしの山肌だが、左手は深い崖となっている。このあたりでは、崖下の渓流のせせらぎが虫たちの声をかき消していた。
数時間前までの雨でぬかるんだ、幅三メートルほどの小径をそのまま二百メートルほど進んだ。案の定、それはそこにあった。サビの浮いたゲートだ。そこから先は営林署の車しか入れないよう道が閉ざされている。去年は道を間違えてここまで車を走らせてしまった。それで覚えていたのだ。
記憶は正しかった。ゲートの左端に鎖が巻きつけてあったが、南京錠などがついているわけでもなかった。懐中電灯とバールを地面に置き、両手で鎖を丁寧に外していく。すっかり外れたところで、ゲートをぐいと押すと、扉は右端の蝶番を中心に音も立てずに開きだし、九十度開放されたところでとまる。
懐中電灯とバールをつかんで、さらに林道を奥へと進む。日中ならたしかに彼岸花でも群生しているかもしれないな。季節外れの想像に頬がひきつる。おれはいったいなにをやってるんだ。急に現実感に襲われ、パニックを起こしそうになるが、ぎゅっと舌の奥を嚙んでこらえる。こんなことなら山姥に切り刻まれてしまったほうがラクなんじゃないか。
それでも真っ暗な山道をさらに三百メートルほど進み、大きく右へ湾曲するカーブを曲がったところで立ちどまる。計画は絶対にうまくいくはずだ。ポケットからキーホルダーをつかみだし、林道のさらに奥へと放り投げる。
小走りになって開放したゲートまでもどり、鋼鉄の門の背後にしゃがむ。
加奈に電話を入れる。
「そろそろだ。来ないわけがない……だけど、万が一のことがあったら、郁美を連れてとにかく逃げるんだ」
返事も聞かずに三太は電話を切る。先ほどまでの冷気がかき消え、全身汗まみれだった。たまらず母親に抱きつく幼子のようにゲートのひんやりとした鋼に頬をこすりつける。冷たくてすごく気持ちよかった。サビの臭いが鼻を突く。どこか懐かしい感じがした。何者も怖くなかった中学か高校時代が突如思いだされ、それまでの緊張感がほぐれていく感じがした。
清算のマスは近い。あともうすこしだ。
貧乏農場だけはごめんだった。
いきなり静寂が破られる。電話が鳴った。
「来たわよ。さっきのレクサス。そっちに向かった」
三十一
午後11時20分 ギャンブル
獲物を追跡するハイエナのようにSUVがぬかるんだ林道を近づいて来る。だがハンドルを握る男は、鋭敏な感覚を持つ本物の獣になりきれていない。ヘッドライトを車幅灯に切り替えはしたものの、目の前に潜むものへの憤怒にのまれ、最後の瞬間まで立ちどまらなかった。もっと慎重になれば、罠の臭いに気付いたはずなのに。
泥のはねたフロントグリルが開放されたゲートに最接近したとき、三太は渾身の力で握りしめた金属格子を押しもどした。
山道だから時速三十キロも出ていない。しかし闇のなかから突如、目の前に襲ってきた銀色の衝撃は、ハンドル操作を誤らせるに十分過ぎた。
車はいったん右手の山肌に激突して跳ね飛ばされた。急ブレーキをかけるまもなく、泥道で猛然と左側に横滑りしたかと思うと、そのまま闇の虚空にのみこまれた。
ゲートが激突した瞬間こそ、自動車事故特有のドスンという衝突音がしたが、ふしぎなことにその後は無音だった。五秒もしないうちにそれまでの渓流のうなりにあたりは完璧なまでに支配された。
懐中電灯の明かりを崖下に振り向けたが、斜面を覆う低木が削り取られているわけでもなく、まるで何事もなかったかのようだった。いったい崖下まで何メートルあるのだろう。山姥は車を完全にのみこんでしまった。
たしかめないわけにいかなかった。斜面は急だったが、バールを刀のようにベルトに差し、片手の明かりを頼りに滑り落ちるように崖を下りていく。
顔にも体のあちこちにも鋭い小枝が突き刺さる。痛みをこらえきれず、体を反転させ、斜面に顔を向けた格好で降下をつづける。顔から血が滴るのが感じられた。
五十メートルは下りただろうか。渓流が間近に感じられたところで足もとが平坦になった。ふたたび周囲に光を振り向ける。
崖下は河原だった。斜面ほど木は生い茂っていない。だからすぐにわかった。
レクサスは炎上することもなく、幹回りが一メートル以上ある杉の木のわきで、いじめられたウミガメのように無残に引っ繰り返っていた。運転席は完全に潰れている。杉の幹には樹皮が大きく剥けた痕跡があった。落下速度を増しながら転落をつづけた車は、死の幹に激突して天地が逆転し、ボディに致命的な損傷を受けて停止したらしい。
懐中電灯の白色光を空間の消えた車内に向け、そこにいたはずの男たちを探してみたが、腕や頭など人体の一部すら見つからない。そもそもフロントグラスが失われている。こういうとき、いったいなにが起きる。とくにシートベルを装着していなかったとしたら。三太はせわしなく光を動かしながら周囲をたしかめる。
それはすぐに見つかった。
ひどいありさまだった。
レクサスがさっきの杉の幹に激突したさい、自分のほうから絶望的な慣性ジャンプを試みて、別の木の枝に顔から突っこんだのだろう。右目を貫かれ、後頭部から枝が突き出たドジャースキャップの男が、その木にしがみつくような格好で絶命していた。
それから時間をかけて似たような遺体を探してみたが、もう一人のほうは見つからなかった。けが一つないというなら奇跡だろう。大けがを負ってこの場から逃走したのだろうか。だが一番可能性があるのは、ひしゃげた車内に閉じこめられている状況だ。三太はあらためてレクサスの残骸を調べた。わずかなすき間から光を投じると、運転席のシートが真っ赤に染まっているのが見えた。大量の血痕だ。その奥になにがあるかは見えないが、たしかめる必要はなかった。
やつらは侵入禁止の林道に分け入り、鋼の山姥の仕返しを受けた。ただそれだけのことだ。
三太は加奈に電話を入れる。
「終わったよ」
「ほんとなの」
「ああ。いまどこだ」
「車にもどった」
「じゃあ、おれも」
電話を切り、蔓や飛びだした根をたよりに斜面をよじ登る。これがなかなかハードだ。斜面はほぼ垂直だった。しかしこんなときにはもってこいだ。余計なことに頭を悩ませる必要が皆無だからだ。
考えなきゃいけないこと――。
だめだ。頭のなかを真っ白にしないと。崩壊する未来のようすがつぎからつぎへとわきあがってきて、息もできないくらいだった。
いつか慣れるはずだ。そして忘れることだってできる。
考えるな。
いまは登れ。
そしてキャンカーにもどれ。愛する二人のもとへ。おれの世界に色をあたえる唯一の輝きのもとへ。
どれだけ時間がかかっただろうか。林道のぬかるんだ路面にようやく両手をつき、最後の力を振り絞って体を押しあげ、片手に懐中電灯を握りしめたまま四つん這いになる。体中が燃えるように熱かった。バールはどこだ? どこかで落としてしまったとしたら、自分につながる決定的な証拠になるかもしれない。一瞬、パニックに陥りそうになったが、銀色の鋼棒はけなげにも腰にぶら下がったままだった。
あわてることはない。
大きく息を吐いたつぎの瞬間、この世が吹っ飛んで消し去られたと思うぐらいの激痛が腹の奥で弾けた。懐中電灯がどこかに吹っ飛び、体は反転して目の前にこの世の終焉さながらの激しい流星群が通過する。強烈な痛みで視覚に無数の星が散っただけだった。
「おまえらの考えてることなんてお見通しなんだぜ。GPSトラッカーにつられてのこのこついて行くやつがどこにいるよ」
キヨシだった。
腹を蹴りあげられ、三太はいつまでも息ができない。顔に強烈なライトが照射される。炎に炙られているようだった。目だけ動かして、やつがどこにいるか探る。
頭の上だった。
どこかで先に降りて富永に運転させていたのだ。
キヨシは地面に落ちていた三太の懐中電灯を蹴り飛ばして崖下に落とし、ひんやりとしたものを眉間に押しあてる。考えたくなかった。銃規制のある日本でだって、持ってるやつは持っている。これは枝に目を貫かれた富永どころの騒ぎじゃないぞ。銃弾が脳を破裂させ、泥道にさらなる泥を撒き散らすようすが鮮明に浮かんだ。
「あの車がいくらしたか知ってるか。パンクだけならともかく、お釈迦じゃねえか。払ってもらうからな。覚悟しとけよ。けどな、いまこのときは、サンちゃん、あんたよりもあのかわいいエロ女房のほうに用があるんだよ。いったいどんな虫がついてるのか突きとめにゃならんのさ。そのためのいいエサってわけだよ。あんたがしくじった鎌倉の一件も、どうやらその虫が騒ぎたてたみたいだしな。むしろそっちがはっきりするなら、新車を買ってプレゼントしてくれなくてもどうってことはないかもしれない。だからその意味じゃ、いまこの場であんたに消えてもらったほうが、いいんじゃねえかって思ってるのさ。なあ、どうだよ。鎌倉のおっさんのところに馳せ参じるような尻軽女房にあんた、ずっとだまされてたんじゃねえのか。おれなら耐えられねえよ、そんな不誠実な行為は。でも安心してくれ。あんたの怒りは、おれがちゃんとぶつけてやるから。全身全霊をかけてな。たっぷり時間をかけて奥さんを訊問させてもらうぜ。あのぴっちぴちの娘といっしょにな。考えただけでよだれが出ちまうよ」
「きさま――」
そこでもう一発、こんどはつま先でわき腹を蹴られた。もはや三太は息どころか気絶寸前だった。
「おいおい、言葉には気をつけようぜ。おれは気が長いほうじゃないんだ。せっかくのお話を切りあげて、すぐに引き金を引いちまうじゃねえか」そう言いながらキヨシは、硬い銃口を額にさらに押しつける。
「どうされました」
ビビったのはキヨシのほうだった。やつの明かりが激しく揺れ、銃口の感触が消えたと思ったら、泥道に足を滑らせる音が耳元であがった。
顔を横に向けた三太の目の前にマグライトを握りしめたあの男が立っていた。キヨシばかりか三太も混乱が極みに達する。
白髪の警官だった。
三十二
午後11時50分 職務質問を受け一回休み
カーナビの指示通りに運転し、二時間で到着した。レンタカーの返却時刻はとうに過ぎている。延滞金がかさむが、今回はバイト自体を放棄してしまっている。麻子は管理事務所前に掲げられた施設マップの前に車をとめ、外に出た。
「かなり広いね」
右手に人造湖、左手の森がキャンプサイトだった。
「左の道のずっと奥だと、ここですかね」咲世がマップを指さす。
麻子は長時間の運転で凝り固まった腰をのばしながら大きく息を吐く。
「あんた、こんなところまで来ちまって、ほんとにだいじょうぶなのかい」
「来ないわけにもいかなかったですから」
「ぜんぜん自慢はできないけど、あたしは人殺しだ。それなりの度胸はあるけど、それでもいざとなったら、やっぱり自分のことで精いっぱいだと思う。あんたのことまで手が回らないかもしれない。だから自分でなんとかするしかないからね。それだけは肝に銘じておいたほうがいいよ」
「わかりました。まわりにいるキャンパーに助けをもとめます」
「そうだね。まわりに人がいるなら、仕事を請け負った連中だってむやみに手出しはできないだろう」
それでも麻子は唇をなめる。土曜の夜だからキャンパーたちはそれなりに来ているのだろうが、この時間だからか、管理事務所前の水銀灯以外、いくら目を凝らしても明かりが見えない。湖畔を吹き抜ける風がひんやりと首筋をなでる。湖のせいで闇が余計に深く感じられる。途端に麻子は広大な森のなかに取り残されたかのような錯覚がした。
強烈な光が二人を包んだのはそのときだった。
背後から音もなく近づいてきていた。車だ。
パトカーだった。
麻子たちの真後ろまで接近したのち、運転席から即座に制服警官が降りてくる。若い男だ。
「こんばんは。もしかしてキャンプ場をご利用の方ですか」
「ええ」とっさに麻子が答える。
「いま到着されたのですか」若い警官はレンタカーのほうに手を広げる。
「そうなんです」
「たいへんですね。レンタカーですか」ナンバーが気になったようだ。「荷物はトランクですか」早くも車内にマグライトの明かりを向けている。
「そうです。知り合いが先に到着しているんです」
「ああ、なるほど。ただ、ちょっとこの先で事故があったみたいでしてね」
それで来たのか。「事故ですか」心配そうな顔をして麻子は訊ねる。
「事故……というか事件というか。通常のパトロール中なのですが、先ほど通報がありましてね。それでいま到着したところなんです。なのでこちらに宿泊されている方たちにもお話を訊かないといけないかなと思っているんです」
「わたしたち、いま着いたばかりなんで、なにもわからないですよ」
「免許証を拝見できますでしょうか」麻子の困惑を無視して警官は訊ねてくる。
「免許証ですか……」
「はい、すみません。ご協力いただけるとありがたいです。これも規則ですから」
規則をなおざりにできないのがこの職種の人間たちだ。それは麻子もよくわかっている。しかしここで免許証を出して、照会されたら前科がバレるかもしれない。それだけでもあやしまれるには十分だが、いまはこの子といっしょだ。親族でもないし、友人だと言っても年が離れすぎている。なにより失踪人届が出ている可能性がある。二時間ほど前に咲世が母親に電話を入れた後、取り下げられたかもしれないが、記録は残っているだろう。帰宅するはずなのに帰宅しない未成年を連れ回す殺人の前科者――。
「すみません。ご協力をおねがいします」さっきより有無を言わせぬ口調になっている。
「車のなかだから」そう言って麻子はレンタカーの助手席のドアを開け、ズタ袋のようなカバンから免許証をとりだす。「裏を見たって違反歴はないわよ」
表情一つ崩さずに警官はライトを免許証にあてて、麻子の名前と住所を確認する。
「それでは」警官は麻子の免許証を手にしたまま告げる。「ご自身と車のなかをあらためさせていただいてよろしいでしょうか」
それには麻子も口をとがらせる。「どうして」
「これも規則なんです。すみませんが。こちらに来ている方全員に行わないといけないのです」
「だったらいったいどんな事件を捜査しているのか教えてもらわないと。気味が悪いじゃない」麻子は精いっぱいの抵抗をみせる。
「それはちょっと……まだ捜査がはじまったばかりなものでして。ご協力いただけるとありがたいです。形式的なものですので」
「わかったわよ」
「ありがとうございます。それでパトカーのほうを向いてボンネットに両手をついていただけますか。お時間は取らせません」
「はいはい」不満そうに麻子は吐き捨てる。咲世が心配そうな顔をしている。「だいじょうぶだから。へいきよ。なんにも悪いことしていないんだから」
咲世を促し、ボンネットのほうを向いて両手をつく。そのとき気付いた。回転灯がついていない。パトロール中に通報を受けて急行したはずなのに。




