二十五~二十八
二十五
告白
言いだしたのが誰なのか、いまでもはっきり覚えています。
三年生の秋、中間テスト。
学校推薦者を決める最後の資料にする試験です。中高一貫の女子校なんですが、大学はどこの系列でもないから、ちゃんと受験するか、数少ない推薦枠をもらうしかなかった。甲府の一学年六十人ぐらいしかいない名もない高校ですよ。それでもわたしは中学のころからわりとまじめに勉強していて、てゆうか、いろんなことを学ぶのが好きだったこともあって、気が付いたら進学クラスに入っていて、だいたい真ん中へんの成績っていうのがいつものポジションでした。
そのころ、将来の夢はなんだったんだろう。三年生になったとき、もちろん自分の希望もあって――わたしに理数系科目は無理でした――私立文系クラスに振り分けられたし、わりと英語が得意だったから、外国で仕事がしたいとか、その程度のぼんやりとした希望はあったのだと思います。だけどもっと言うなら、ほかの子といっしょで、なにがやりたいかじゃなくて、大学の名前で進学先を選んでいましたね。将来なにになりたいかなんて、子どものころに親に聞かれたことがありますが、高校に入ってからは、ないです。まったくなかったです。
わたしは根がぐうたらなものでして、胃がきりきり痛むような受験には向かなかった。学校の勉強をふつうにこなして、それだけで進学できるのなら、こんなにラクな方法はないですよ。それで学校推薦が可能な大学の一覧表を先生に見せてもらって、そのなかから行けそうな私大の商学部を選んだんです。おかしいですよね。いまの仕事を希望するなら、政治経済学部とか法学部とか、もしくはダイレクトにメディア学科とか、ジャーナリストになるための勉強を積み重ねられるところのほうが近道でしょう。つまりなんの将来像もなかったんですね、ほんとうに。
だけど、行けそうといっても、それなりに勉強して内申書の点数をいままで以上に上げないといけませんでした。要するにボーダーライン。その大学の推薦枠は一人で、ほかにも何人か希望者がいるとの話でした。
英語はそこそこできたとしても、中間テストでは、日本史という難題科目が立ちはだかっていました。そのときの担当教師の性格にもよるのでしょうが、考えればわかる問題ではなく、やたらと知識量、つまり暗記を強いるタイプの出題が並ぶ傾向が強かったのです。英語はいつか使うはずだからとせっせと勉強し、単語の暗記にもはげんだのですが、重箱の隅をつつくような日本史の知識なんて、いったいなんの役に立つのだろう。よく友だちと話していました。
「出題範囲はわかってるわけでしょ。暗記なんてほんとにバカバカしい」
最初に口にしたのは、おなじ美術部の子でした。夕方の部室だったかと思います。
「ぜんぶ書いて下敷きの裏にでも貼っとけばいいんじゃない」
大胆すぎる発想にまわりにいた子たちはすぐに反応できませんでしたが、言いたいことは誰もがわかっていました。問題は一線を越えられるかどうか。でもまだ蒸し暑さの残る部室だけでなく、あっという間に三年生の仲良しグループたちの間に広まりました。
赤信号はみんなで渡ることになったのです。
二十六
午後10時20分 パンクで一回休み
ガソリンスタンドは長蛇の列だった。
「あんなところ、時間ばっかり食って法外なカネをむしり取られるだけだ。自分でやったほうが絶対早いからな」キヨシはレクサスのトランクルームを開け、フロアの下からジャッキとスペアタイヤを取りだす。
あいつらが出発したあと、すぐにこっちも追跡を再開したが、駐車スペースを出てすぐに異変に気付いた。右の前輪がパンクしていた。キヨシの怒りが沸騰した。刃物で突き刺した痕跡が見つかったのだ。
「タイヤ交換なんてやったことないっすよ」
「よくそんなんで免許が取れたな」だがキヨシははなから富永にやらせるつもりはない。警察時代に何度も経験している。自分でやったほうがよっぽど早かった。
それでも走りだせるようになるまで三十分以上を要した。
「だいじょうぶっすよ」役立たずの富永は申し訳なさそうにスマホのディスプレイをキヨシに見せる。「秦野から下道に出ました。北上してますね」
「山に向かってるのか」キヨシはアクセルに徐々に力をくわえる。幅の狭いスペアタイヤだから到底、時速百キロなんて危なくてしょうがない。それでもハンドルに異様な振動が感じられることもなく、八十キロをキープできた。
「かもしれないです。やっぱりキャンピングカーですから」
「おれたちのことを知ってるのにのんきにキャンプか?」
「パンクさせて振り切ったと思ってるんじゃないすか」
「そもそも、なんで自分たちの居場所がわかったのかって、バカでも考えると思わないか?」
「たしかに」
「あの野郎、ただのマヌケじゃないかもしれないな」
ほどなくしてレクサスも秦野中野インターを下りる。解放されたとばかりに富永はシートベルトを外したが、キヨシはつけたままにした。
二十七
午後10時30分 先頭を進む
徐々に勾配があがっていく県道を右に左に曲がりながら、一家を乗せたキャンカーは闇夜を切り裂いて進む。去年来たときは、日中でしかも真っ青な夏空が緑に輝く山々と鮮やかなコントラストを見せていた。いまはヘッドライトの届く範囲しか見通せないし、前を走る車も対向車もなかった。なにより正気を保っていられるのは、後続車のヘッドライトがバックミラーに見あたらないことだ。タイヤ交換にどれくらいかかるかわからないが、十分に時間は稼げているはずだ。だがあいつらが尻尾を巻いて退散するとは思えない。むしろに烈火のごとく怒り狂って追跡を再開するはずだ。
それでいい。
あのキャンプサイトのことなら、だいたいわかっている。
「恵比寿の公園で撮られた防犯カメラの映像だけど」
運転を再開して以来ずっと黙っていた加奈がぼそりとつぶやく。
「たしかに鮮明に映っているけど、だからといってサンちゃんだと特定はできないわよね」
「被害に遭った社長はおれたちの顔を見ていないし、警察は事件当夜、社長は家に一人でいたとの前提で動いてるわけだろ」三太はさらりと言う。いまさら父親との関係について、加奈を必要以上に気遣うことはない。「発見された服とズボンに社長の血痕がついているのだろうけど、それは恵比寿の公園にいた二人の男が事件に関与している可能性を示唆しているだけだ。二人がその服とズボンを別の二人に渡して、そいつらが犯行に至ったとも考えられるわけだ」
「常識的な考え方とは思えないけど」郁美が突き放すように言う。「どっちにしてもパパは顔を見られていないんでしょ。その現場では。だったら、あとは指紋とかDNAとかなんじゃないの」
「車を運転するときから、ずっとゴム手袋はしていたし、おれは社長を殴っていない。血液が検出されるとしたら富永のほうだ」
「けど、髪の毛とかは落ちたわよ、絶対に。それに汗とか唾液とかも。科捜研とかで調べたら一発なんじゃないの?」
「前科がないなら照会のしようがないわよね」夫にたしかめるように加奈が訊ねてくる。
「ないよ。そんなの。交通違反だってないし、警察の前で指紋をついたことだってない」
「サンちゃんはだいじょうぶでも、相方のほうはどうなの?」
「それは……」やつがどういう人間なのかくわしくは知らないが、さもありなんだった。「だからいま、いろいろ考えてるところなんだ」
「それにもう一人のほうがヤバいんでしょ」まるで興味津々といった感じで郁美は訊いてくる。「その人が捕まったら、きっとパパのこともあっさりゲロっちゃうわよ」
「おそらくそうだろうな」
「いまの時期ってさ」加奈がサイドウィンドウを見つめながらつぶやく。「キャンプ場来てる人多いかな」
「まだ夏休み前だからな」妻がなにを考えているか、三太にも察しがついた。「でも今夜は土曜だから、来てるんじゃないか」
「そうよね。土曜よね」加奈はため息をつく。
「だけどあそこは広いよ。それに丹沢は奥が深い。きれいな彼岸花を探してどんどん山に分け入った小僧さんは最後にどうなった?」
「それって山姥の話かしら」妻がバックミラーに訊ねる。「日が暮れて小僧さんは道に迷ってしまい、山奥の一軒家に一夜の宿を請う。でもそこは……この山にもいるのかしらね、山姥」
「いるんじゃないか」
「よしてよ、怖いじゃん」郁美はベッドの上で体を縮こまらせる。
「意外と力になってくれたりしてね」
妻ははっきりとそう言うと、バックミラーを介して夫とじっと見つめ合った。
二十八
午後10時50分 道に迷って
≪ちゃんと警察に通報したほうがやっぱりいいんじゃないの?≫
≪ダメなのよ、それが。ちょっと家庭の事情なの≫
≪電話しようか?≫
≪親が近くにいるからムリ。さっきワイルドサイトに着いたところ≫
≪そこならだいじょうぶなの?≫
≪わかんない。けど一番奥だから。サヨとは話したいんだけどね。マジ怖い≫
≪キャンプするの?≫
≪てゆうか、ほかに方法ないもん。家には帰れない。追われてるから≫
≪一番奥なの?≫
≪そう。左の道をずっと行ったところ。ヤマンバが出るかも≫




