792 ほんとうのきもち
現実に帰ろうとした涼姫の胸で、現実で受けた苦しみが――不安が、頭をもたげていく。
涼姫がたじろぐ中、楽園は完全に崩れ去り、自分の手も見えない程の暗闇に変わった。
だけど、唯一、正面の遠くに光。
それが涼姫を照らし出した。
「で、出口だ!」
涼姫は、出口に向かって足を一歩前に出した。――けれど、過去の涼姫の悲鳴が涼姫に襲いかかってくる。「もう苛めないでよぉ!!」「助けて助けて助けて、誰か助けてッ―――!!」「お願い、一人にしないで!!」。
反響する。現実の苦しみに目眩を覚えながらも、涼姫は光に向かって歩こうとする。
すると笑い声が聞こえてきた。
自分を「クスクス」と笑う声。
涼姫は怯えて耳を塞いだが、声は消えない。声は「クスクス」「クスクス」と鳴り響く。
さらに沢山の人の形が、涼姫の周囲に白く浮かんだ。彼らは闇の中で輝いていた。彼らは陽気で、楽しげにしている。だがそれは冷たい光だった。遠く、温度のない光だった。冷たい光の人影達に、目が生まれる。
目は全て、涼姫を見ている。
「や、やめて!? ・・・やめてよぉ!!」
涼姫がたじろいだ。足が竦む。
それでも歩こうとするが、なぜか前に進めない。
なにか、壁のようなものがあって進めないのだ。まるで、そこは誰かのパーソナルスペースだとでも言うように、中にはいれない。
涼姫は壁を押すが、どうやっても前に進めない。
「や、やめてよぉ!!」
叫ぶと少し前に進めた。
けれどその時、「友達とか」という声と共に、ケタタマシイ笑い声が聞こえてきた。
その声は、涼姫が友達だと思っていた女の子に、「私たち友達だよね?」と尋ねた時に返ってきた、笑い声だった。
「―――嫌ァァァァァァ!!」
涼姫は耳を塞いだまま蹲った。けれど涼姫に聞こえるケタタマシイ笑い声は消えない――聞こえ続ける。
ケタタマシイ笑い声は、涼姫の周りを廻り、涼姫の地面の感覚を奪っていく。
涼姫が、目を瞑って呻く。
「怖いよ・・・怖い。やっぱり戻れない・・・・。――私、やっぱりあっちが怖い。た、助けて、誰か助けて、アリス助けて・・・」
言った瞬間だった。アリスの声がした。
「人の目なんて気にしなくて良い!!」
すると、周りの白い人影の目が消えた。
同時に、涼姫の目が、開いた。
「そ、そうだ。もう気にしないでいい。だって、私はいるだけでみんなを幸せにでき――」
言いかけた涼姫の耳に、自分の声が響いた。
「ほんとに?」
それは静まり返った水面に投げた石のように、1つ、波紋を起こした。
その瞬間、周囲の笑い声が消えた。静寂が落ちた。
涼姫は自分の声に、叫び返す。
「アリスが言ってた!!」
「アリスも、適当に言ってたのかもしれないよ?」
「そ、そんなこと・・・」
「だって、人の気持ちなんてわからないよ?」
「アリスはそんなこと――!!」
「今まで何回、人間に裏切られてきたと思ってるの。まだ学習しないの?」
「アリスは、違う!!」
「いるだけで他人を幸せにできるとか、都合良すぎだと思わないの?」
「わ、私は・・・」
「いるだけで人を不愉快にさせるのが鈴咲 涼姫だろ、お前は〝そっち〟だろ?」
「私は・・・・」
「―――知ってたでしょ」
声は消えた。無音になった。
涼姫は、見えない壁の前で蹲ったまま、力なく膝を抱えた。
「――駄目だ・・・やっぱり私は、あっちの世界にいちゃいけない。みんなを嫌な気分にさせる」
涼姫は、うなだれるように俯く。
「・・・駄目だ」
気づくと、膝を抱えた涼姫は、鎖で雁字搦めになっていた。
鎖は重く強固で、冷たく、涼姫の体温を徐々に奪っていった。
涼姫は〝瞳に、光なく〟――呟く。
「・・・駄目だよ」
涼姫が「駄目」と呟くたび、鎖が食い込んでいく。
涼姫は俯いたまま、ひたすらに呻き続けた。
「・・・駄目だよ」
◆◇◆◇◆
アリスのVRが切断された。
アリスがVRヘルメットを外す。
ベッドの上には、眠るように目を閉じたままの涼姫。
みずきが心配そうにアリスに尋ねる。
「アリス・・・涼姫はどうだった?」
アリスがみずきに向き直る。
「きっと、大丈夫です―――きっと」
言って、アリスは再び涼姫を見た。
「そうか」
みずきも涼姫に向き直る。
その時だった、主治医が震える声で告げた。
「も・・・・戻ろうとしていた涼姫さんの脳波が――再び帰還を拒否し始めた・・・?」
アリスが目を見開いた。
「えっ!?」
主治医の言葉に、アリスは血管にガラスの破片でも入り込んだような感覚を感じた。全身がピリピリと痛み、舌の奥が引きつったような感覚がして、顔が真っ白になった。
主治医が涼姫の脳波計を見ながら、慌てだす。
「不味い! 脳波の状況がどんどん悪くなっている!!」
緑の画面に流れる波の乱れが、ひどくなっていく。
「意識が閉じ始めている・・・!」
「意識が閉じるってなんだ!?」
腕を組んだままだったリッカが、慌てて主治医の襟を掴んで、尋ねた。
「どんどん拒否の度合いが強くなっているんです! 外界との接続を切り始めている・・・このままでは、鈴咲さんは戻って来れなくなる!! 廃人になる!」
病室が一斉にざわめいた。
アリスはVRを再びセットする。
「しゅ、主治医さん! お願いします!」
「あ、はい!!」
――だが、駄目だ。涼姫は、もうアリスすらも、心の中にいれてくれない。
「涼姫ちゃん・・・! お願い! 世界を拒絶しないで・・・・!!」
アリスは、涙を流しながら、かすれるような聲で、歌えなかった『あの歌』を歌い始めた。
「比翼の蝶、貴女は遠くへ行けるから――」




