第七章 :“異相体”の女神官と“虹”の親子
“戦院”を去った二人は、夕刻も過ぎていたこともあり、そのまま神殿を辞して各々の家路に着くこととなった。
その家路に着く為に神殿の回廊を進むラティルは、心の中に蟠っていた疑問をティアスへと投げかけた。
「書院長……何故、あんなことになったのでしょうか……?
私には、今でも良く分かりかねるのですが……」
投げかけられた疑問に、振り向いたティアスの風貌は、普段のそれとは若干異なったものとなっていた。それは先程の大規模な呪文の行使によって魔力が消耗している所為か、その髪の“虹色”の色味が幾分薄れ、生来の髪の色である銀色の色味が色濃く表れている様に見受けられた。
ともあれ、そうして目に見えて魔力が消耗している為か、若干疲れの窺える声ではあったが、ティアスは彼女の問いかけへと返答の言葉を紡いだ。
「あれは恐らく……魔力と膂力の不均衡の所為でしょうね……」
「……魔力と膂力の不均衡ですか……?」
ティアスの言葉の内容を量りかねて、ラティルは鸚鵡返しに言葉を呟いた。その様子に幾分苦笑の色を含む顔のまま、ティアスは言葉を続ける。
「えぇ……貴女はそれと気付かずに何発も撃ち続けていた様ですけれど……
私が貴方に“魔力銃”を贈ったのは、貴方が射撃武器の扱いに長けていたからだけではなく、“私が使えなかった”からなんです……」
「え!……そうだったのですか……?」
ティアスの紡いだ言葉に、そうとは知らなかったラティルは驚きの声を上げた。そんな弟子に向けて軽い頷きを返しつつ、ティアスは改めて言葉を紡いだのだった。
「あれは西方大陸に住む友人――ミゼルから護身用にと、私に贈られた物です。
しかし、あの銃は使用者の魔力を弾丸の推進力に変換して撃ち出しますが、同時に相応の反動も生じています。当然、内在する魔力が大きい者程強い威力となる訳ですが、反動も大きくなるのです。ですから、私の様に魔力量は甚大でも膂力は人並み程度でしかなければ、あの銃で狙いを付けて撃つことは難しくなるのです。
貴方も、元の男性体の時は両方が概ね均衡した上で高かったのですけれど、この女性体の姿になった影響で膂力がかなり落ちてしまった上に、魔力は非常に高くなっている様ですからね……
先程の被害等を見ると、貴女の魔力は神殿内でも屈指の高さを持っている様ですし……」
「……そんな…………」
ティアスの紡ぎ上げた言葉を聞き、ラティルは改めて驚きで目を見張った後で、憮然とした様子で項垂れた。「神殿でも屈指の魔力の高さ」と評価されるのは光栄ではあるものの、それが危険性の高さと同義である以上、素直に喜べるものではなかったからだ。
ともあれ、一頻り項垂れた彼女は気を取り直す様に顔を上げ、ティアスに向けて幾らか決然とした面持ちで誓いの言葉を紡いだ。
「それでは、女性体でいる間は“銃”を使わないことにします。
あれ程の威力を制御出来ずに使うのは危険ですから……」
そんな弟子の姿を、穏やかな表情でティアスは一時見詰めていた。
しかし、そんな一時の後、ティアスは問いの言葉を投げかける。
「所で、ラティル君。今日は何の日か覚えていますか?」
「……え?……あ!」
最初、問いかけの意味が掴めずにキョトンとした様子を見せていたラティルは、次の瞬間には問いの意味を思い出して焦りを帯びた声を漏らす。そんな彼女を宥める様にと、ティアスは穏やかな声音で語りかけた。
「日も暮れていますし、急いだ方が良いですよ」
「……あ!……はい!」
師の言葉を耳にして、ラティルは打たれた様に身を翻して、日の暮れた通りをある場所に向けて駆け出して行った。
* * *
さて、幾分かの時が経った後……
所は、陽気な喧騒と程良い料理や酒の香りが漂う場所……
その場所の名は、“山脈の泉”亭と言った。そこは、昨日の勝利に酔い、今日の成功を祝い、明日の冒険に夢馳せる……そんな冒険者達の集まる――“冒険者の店”と呼ばれる店の一つである。
そんな酒場の喧騒の中で幾分浮かれたほろ酔い加減の声が各所で湧き上がっている。
「お~い!麦酒持ってきてくれ~!」
「こっちにゃ~糖蜜酒と肴の追加だぁ~!」
「シチューと牛乳……後、あのムニエル……5人前ね♪」
「はーい、只今……!」
そんな酔客より上がる注文に、女性による返答の声が張り上げられる。
ざわめく店内を、軽やかにとは言わないまでも、こまめに走り回って注文を取っている女性――それは女給用の衣装を纏ったラティルであった。
一頻り、客達の注文を受け取ったラティルは、カウンターへ向かって歩を進める。カウンターへと辿り着いた彼女は、カウンターの内側に立つ店主へ向かって注文を読み上げる。
「えーっと……麦酒を8杯、乾肉とナッツに糖蜜酒を三人分、それからシチューと川魚のムニエルにミルクを五人前です」
「はいはい……じゃあ、この葡萄酒と果実水を届けてくれるかい……」
ラティルの受け取った注文と一通り聞き取った店主――ボーエンは、そんな彼女の前に葡萄酒と果実水が入った幾つかの杯が載せられた盆を置いた。
「はい、あちらの卓でしたよね……?」
ラティルの確認に、ボーエンは軽く頷きを返して再び厨房へと引っ込んだ。ラティルは盆に乗った飲物に注意を払いつつ、注文した卓に向かって幾分駆け足にその身を運んで行った。
* † *
さて、彼女が此処――“山脈の泉”亭で女給の手伝いをしているのには、ちょっとした事情がある。
“山脈の泉”亭に限らず、“冒険者の店”の扉を叩く冒険者の全てが、自らが望む冒険へと旅立てるとは限らない。
何故なら、そう簡単に“未知なる秘境”やら“未踏の遺跡”やら“危険な魔獣”やらと言ったものが都合良く次々と現れる訳なぞなく……“冒険者”と名乗りを上げたのは良いが、様々な事情の所為で冒険に行く機会のない者はかなり多い。そんな彼等の為に護衛や採集、或いは雑用などと言った様々な仕事の仲介や斡旋も、こうした“冒険者の店”では行われている。
とは言え、そうした様々な仕事が、全ての冒険者へと行き渡っているかと言えば……そうではなかった。これは前述した事情と概ね同様の理由――仕事の種が都合良く舞い込むとは限らない――からである。
そうした事情もあって、ボーエンは仕事に溢れた冒険者達に自分の店の手伝いをさせることがあったのだった。
しかしながら、ラティルがこの場にいるのは幾分事情が異なる。
ラティルの女性体を得る際と施術された後に一巡り眠り続けていた部屋の代金、及びレインへの求婚の後に開かれた夜通しの祝宴の酒や料理の飲食代をティアスが支払っていたのだが、その事情を聞いたラティルはティアスへと費用の立替を申し出ていたのだった。しかし、そんな彼女の申し出をティアスは断り、その代わりに暫くの間、“山脈の泉”亭の手伝いをして欲しいと願ったのだった。
そうした事情もあって、ここ最近は数日に一度の頻度でラティルはこの店――“山脈の泉”亭の女給として働くことになったと言う訳である。
さて、何故ティアスが費用の立替に代わって“山脈の泉”亭の手伝いを願い出たのかと言うと、その見返りに“山脈の泉”亭からの古代書等の取引を優遇して貰う約束を結んでいたからであったが、この時の彼女はそうした事情を知っていた訳ではなかったのだが……
* † *
さて、“元男”とは言え、美人の女給のいる店と言うのは、当然ながら客足が進むと言うものである。この所の“山脈の泉”亭は、女性となったラティル見たさの客のお蔭もあって、かなり繁盛していた。
しかし、だからと言って彼女にちょっかいをかける者は少ない。
何と言っても、彼女の婚約者――“虹の魔槍士”レインはここでは一目置かれる人物であり、その父母に至っては三目も四目も置かれようかと言う者達なのだ。だからこそ、ここを訪れる者は、彼等の怒りを買うことを恐れぬ程には無謀でも無茶でもなかったと言えるだろう。
しかし、そうした無謀さを持った客が皆無であったかと問われれば、そう言う訳ではなかった。
「……キャアッ……!」
……カラカラーン……!
客の合間を通るラティルは、不意に訪れた感触に思わず悲鳴を上げる。その悲鳴と共に強張った腕から零れ落ちた盆と杯が床に当たって鈍い音をかき鳴らす。
「「ワハハハハハハハハッ!」」
お尻の辺りを撫でたことで、盛大な悲鳴を上げるラティルの初心な反応を目にした酔客は、揃って爆笑し始める。こうした不届き者は、酒場と言う性質上どうしてもある程度は現れてしまう。
ともあれ、落としてしまった杯を拾いながら、ラティルは恥ずかしさ余り紅潮した顔を俯けて、そそくさと後始末の為に踵を返す。幸いにして、落とした杯は皆が木製の器であり、割れたり破損したりはしていない。
これは、こうした悪戯やラティル自身の失敗で、度々転んだり器を落とすと言う事態が起こった所為で、彼女が運ぶ器を木製や金属製の物に限定した店主ボーエンの機転と言えなくもない。
それはともかく、顔を紅潮させて歩み去る女給の姿を目にして爆笑していた酔客達であったが、その背後から底冷えする様な怒気を孕んだ声が届く。
「……ほぉ……そんなに、面白いか……?」
「「……………………」」
その声に爆笑していた酔客達は凍り付いたかの如く、その身を硬直させる。
彼等の記憶が正しければ、その声は“虹の魔槍士”の異名を持つ騎士のそれであり、それもかなり不機嫌な彼女より発せられる類の代物であったからだ。
実際、彼女――レイン=コアトリアは大陸西方域有数の魔法戦士であり、爆笑していた酔客達程度は束になっても敵わない。更に言えば、治安維持を任務とする騎士隊の部隊長でもある彼女なら、この状況から何らかの罪状を論って逮捕される可能性もないとは言えない。
そうした諸々が脳裏に過っていたのか、ほろ酔い加減で爆笑していた彼等の顔色は、見る間に蒼白なものへと変わって行った。
そうして、酔客達のほろ酔いの赤ら顔が蒼白へと変化し、一部が土気色へと移り変わろうとする頃、柄付雑巾を手に戻って来たラティルが若干気の抜けた声を漏らした。
「……あれ……メルテス君……?」
その漏れた言葉の意味を理解して、蒼褪めていた酔客達が緊張を解かれ、自らの卓に崩れ落ちた。そんな彼等の姿を横目に、“虹髪”の少年――メルテスは姉の婚約者に向けて言葉を返す。
「あ~ぁ……もうちょっと、脅かして見たかったんだけどなぁ~~」
そのおどけた口調もあって、先程まで漂っていた剣呑な雰囲気は一気に霧散する。そして、手近で空いていた卓の席に腰を下ろし、改めてラティルへと声をかけたのだった。
「それじゃあ、ラティルさん。僕にも、何か持って来てくれない?」
「……はいはい」
無邪気そうな瞳で見上げる“虹髪”の少年に、ラティルは微笑んで返事を口にした。
カウンターの方へと歩み去って行くラティルを暫し眺めていたメルテスは、その視線を横へと滑らせる。
その視線の先には、先程のやり取りで毒気を抜かれつつも、立ち直りきれていない蒼い顔の男達の姿があった。
そんな男達の姿を目にして、先程の彼等の醜態を思い出し、少年は笑いが込み上げてくるのを我慢出来ずにいたのだった。




