第四章 :“異相体”の女神官と“刃嵐”の騎士
そこは数百……いや、千人近い人々を収めることが適う程の敷地に、並の木々では届かぬのではないかと思える程の高さの天井……それら天井・壁面・柱・床面の全てが曇りなき磨き抜かれた白大理石によって造り上げられている。そして、天井を飾るステンドグラスや柱や壁面に刻まれたレリーフには、聖霊等の“知識神”ナエレアナ女神の眷族をモチーフとしており、それらが巧妙に配置されることで、華美と感じさせぬ程度に、それでいて場の神秘性と荘厳なる雰囲気を演出していた。
そして、その場の最奥――広間の北側の空間に鎮座するのは、椅子に座した妙齢の女性の像……その大きさは常人のおよそ十数倍に至る物であり、その身には賢者の好む質素な長衣を纏っている。その長い髪は流れる水の如く垂らし、その目は左手で保持された開かれた書に落とされ、その右手には自身の身の丈程もある杖を手にしている。そして、その杖には杖の全長よりも更に長大な一匹の翼ある蛇が巻き付いていた。
この像こそ、この“大神殿”が祀る――知識と記録、魔術と過去を司るとされる偉大なる女神――“知識神”ナエレアナの神像であった。
そこは“大神殿”のほぼ中央に位置する“大聖堂”……基本的に一般信徒の立ち入りが許される最奥部と言える場所であった。
ここより奥に位置する区画には、“大神殿”の中枢たる“法院”や、諸都市国家の高位司法機関としての機能も担う“施政院”、そして“大書庫”を抱える“書院”と言った上位三院の諸施設の並ぶ区画などが広がっており、一般信徒や一介の都市民がおいそれと踏み入ることが許されない場所であった。
ともあれ、この“大聖堂”において一つの騒動が勃発していた。
* † *
“大聖堂”へと踏み込んだラティルの耳に、鼓膜を打ち破らんばかりの怒鳴り声が届いた。
「えぇい、退かんか!……俺はラティルとか言う奴に会いに来ただけだ!」
「ですから、ここでお待ち下されば、私が彼を呼んで参りますから……ここで少しお待ちに……」
「そんなことを言ってはぐらかすな!……そうして奴を逃がす算段を取るやも知れん。やはり、俺が直接出向く!」
「そんなことは致しません。この奥は許可なく立ち入りは出来ないことに……」
“大聖堂”の荘厳な雰囲気を打ち壊さんばかりの大音声で放たれる板金鎧を纏う巨漢と呼べる男の怒声と些か弱々しい女神官の声による問答の掛け合いは、既に平行線の様相を通り越して、噛み合うことのない言い合いへと変化しつつあった。
“大聖堂”に居合わせた他の者達――年若い神官達や礼拝に来た信徒達も、男の放つ剣呑な剣幕に怯え、憐れな女神官の巻添えを食らわぬ様にと二人を遠巻きにして、そのやり取りを見守っていた。
「私に御用とは、何でしょうか……?」
そんな遠巻きにしている人々の輪を通り抜け、二人の許へとラティルは進み出た。彼女の登場によって、その場の均衡は崩れ去ることとなった。
その呼びかけに振り向いた巨漢は、声の主の姿をまじまじと見詰めた。その姿は、くすんだ長い金髪を肩に流した女神官であった。その女神官は“虹色”の瞳で巨漢たる男を見詰め返していた。
周囲を取り巻いていた人々の幾人かは、目の前の女神官が纏う神官衣の意匠から、彼女が書院所属の神官であることやその美しさに気が付いた。
そして、そうした幾人かの何人が目の前の女神官が、先程から繰り返された問答の中で出ていたラティル=ウィフェル本人であると理解していた。
訝しげに見詰め続けていた板金鎧の巨漢は、暫しの沈黙の後で口を開いた。
「……そなたは、何者だ……?」
問いかける男の言葉に、淡々とした様子で彼女は返答の言葉を紡ぐ。
「私が、ラティル=ウィフェルです。貴方のお名前と御用をお聞きしたいのですが?」
その言葉に、男は唖然呆然と言った間抜けな面持ちで、暫しの間彼女を凝視していた。そして、今までとは打って変わった躊躇いがちな口調で言葉を返した。
「…………そなたが、ラティル=ウィフェル……なのか?……“銃使い”の……?」
「はい、そうです」
簡潔なラティルの返答に、男の表情に驚きや狼狽の色が増して行く。
「……男だと、聞いていたが……」
狼狽える心情が容易に窺い知れる声音で呟かれたその言葉に、ラティルは被せる様に説明の為に返答の言葉を紡ごうとする。
「確かに、私は男ですが……」
「……では、そなた、女装趣味があるのか……!」
だが、その言葉は男の大音声に断ち割られた。説明の言葉を始めようとする前に響いた大音声の所為で説明の言葉を途絶えさせてしまった彼女は、改めて声を張り上げて言葉を紡ぎ直す。
「違います!……今の私は、れっきとした女性の姿を……」
「何?……それではレイン殿には女色の趣味があったのか……!」
「違います!……私は書院長から“女性としての身体”を頂いて今は女性だと言っているんです!……第一、レインさんは両性体なんですから…………レインさん?……何故、ここでレインさんの話が……?」
人の話をまともに聞かない男の態度に、苛立ちと憤りを覚えて声を荒げていたラティルであったが、不意に出た婚約者の名に幾分か落ち着きを取り戻して問いの言葉を漏らした。
一方で、彼女の登場と声に宿る剣幕のお蔭で幾分か毒気を抜かれたのか、落ち着きを取り戻して声を張り上げたのだった。
「俺の名は、マルセリア王国“鉄鎗騎士団”騎士隊長ジェイナス=ソード……!
ラティル=ウィフェル!……貴様に決闘を申し込む!」
その張り上げられた声で紡ぎ上げられた内容に、ラティルは驚きで目を剥いた。
「…………決闘?……何故、私に……?」
突然告げられた決闘の申し込みに、ラティルより問いの言葉が漏れた。そんな彼女の言葉に、当たり前の様に男から声が返された。
「そなたは彼の麗しきレイン=コアトリア殿と婚約しているそうだが、彼女と結婚するのは俺だ!
だからこそ、その求婚権を賭けて俺と決闘しろ……!」
男――ジェイナスより突き付けられた突拍子もない内容に、今度はラティルが唖然呆然とした面持ちと変わる。
「……そんな無茶苦茶な…………この婚約は、レインさんも同意した正式な……」
「それでも認めぬ……!」
動揺から立ち直ったラティルが紡ごうとした言葉は、ジェイナスの怒声によって即座に遮られる。
「……そんな…………」
こちらの話に一切聞く耳を持たぬと言わんばかりのジェイナスの態度に、ラティルは憮然とした様子で肩を落とした。そんな彼女の様子に構うことなく彼は言葉を続ける。
「さぁ、剣を抜け!……それとも“銃”を使うのか……?」
そう言って、彼はあからさまな殺気を振り撒きつつ、自身が佩く剣の柄に手を添える。
その殺気を受けて、遠巻きにしていた人々の幾人かは身を強張らせ、半ば卒倒した様に身を揺るがせる。“大聖堂”の中は、剣呑な雰囲気に包まれようとしていた。
* * *
その中で、剣呑な雰囲気を切り裂く凛とした声が響いた。
「おやめなさい!……ここは“知識神”ナエレアナ女神を奉ずる神殿の中……その様なことをする所ではありませんよ」
その声に、その場にいる一同の視線が声のした方へと振り向いた。そして、声の主の姿を目にして多くの者が恐縮した様に首を垂れる。
「……貴方は……」
「……書院長……」
一方はやや憮然とした様子で、一方は半ば安堵した様子で、その人物――書院長ティアス=コアトリアに向けて声をかけた。しかし、続いて紡がれた彼の言葉で、両者の表情は物の見事に入れ替わることとなる。
「決闘をするというなら、この者が“男性体”に戻る一月程の時を待ってから行いなさい。
詳しいことは追って決めることにして、今日の所はここまでとしておきませんか……?」
そのティアスの言葉に、ジェイナスはそれまでの興奮した様子から幾分落ち着いた様子へと変わった上で、書院長の方へとその身を向けた。
「……分かりました。では、今日の所はこれで失礼します」
そう言うと、ジェイナスはティアスに一礼をした後で、“大聖堂”から立ち去ったのだった。
立ち去るジェイナスの背を暫し見送った後、ラティルは傍らに立つ師たる高司祭――ティアス書院長へと向き直った。
「……書院長……」
そう呼びかける声には、彼が告げた余りと言えば余りな展開に対する抗議の色合いを帯びていた。しかし、そんな彼女が放つ抗議の色を含んだ視線を受けながら、飄々とした姿勢を崩すことなく言葉を紡いだ。
「私としては、周囲の方々に納得して頂いたうえで、この結婚を行って貰いたいと思っているのですよ……」
「しかし……」
微笑む書院長に向けて、それでも抗弁の言葉を紡ごうとするラティルへ、ティアスよりの言葉が続く。
「大丈夫だと、私は信じていますよ」
そう言って微笑みを浮かべて銀色の瞳で自身を見詰めるティアスの姿に、ラティルは一生この師に敵わない様な予感を覚えずにはおれなかった。




