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「ほう、映画館か」
「引っ張ったくせに捻りがないですよね」
「そんなことないぞ。映画館に来たのは生まれて初めてだ」
「えっ!? そうなんですか!?」
浮世離れしている人だとは思っていたけど、どうも大衆娯楽に関する経験値はほとんど皆無らしい。
「毎日が面白いことの連続でな。娯楽にまで手が回らないのだよ」
「鳳朱音じゃないと言えないセリフですね」
劇的な人生を歩む人間なら、あえて娯楽から刺激や高揚感を得る必要がない。
こんなことを嫌味なく言えるのは鳳朱音くらいなものだ。
「うむ、そうなのだろうな。実際、私は恵まれている。愛しい相手と休日に逢引しているのだからな」
「だ、だから……っ! そういうの禁止です……っ!」
「はは、照れてる顔も可愛いな」
「もうやめてくださいって! いい加減、俺も怒りますよ!?」
「神原に激しく折檻をされてみたい――――そんな名状しがたい感覚もある」
「新しい性癖に目覚めないでくれます!?」
鑑賞する映画をすぐに決めて、この人をシアターにぶち込んでしまおう。
会話が出来なくなれば多少はマシになるはずだ。
――――そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
「~~~~~~~~っっっっ!」
あかん、映画の内容が全然頭に入ってこない。
チョイスしたのは、大人気作家の青春小説を映像化した作品だ。
原作小説はもちろん面白かったのだが、あれをどう映像化するのか気になっていた。
とても楽しみにしていたというのに――このザマである。
俺の意識は自身の左手に向けられていた。
手を繋ぐくらいなら何とかなる。
そんな童貞の皮算用はちっとも意味を成していなかった。
なんだこれ。自分の体が自分のものではないような感覚になる。異性と手を繋ぐだけで、脳から得体の知れない快楽物質がガンガン出ていた。
意外に小さい会長の掌。細くてしなやかな指。すべすべとした陶器の肌。俺よりも高い体温。弄ぶように変化する握りの強弱。
あらゆる会長の構成要素が情報の渦となって押し寄せてくる。
その一方で会長は余裕綽々だった。
最初こそ身を捩っていたのに、今ではご機嫌そうに映画を鑑賞している。
こんなの不平等だ。鳳会長が手を繋いでいる相手は神原悠馬だが、俺が手を繋いでいるのは鳳朱音だぞ。
平然としていられる訳がなかった。
一秒が長い。時間の経過がスローモーションに感じられる。
なんとか正気を保つため、目に穴が開くほどスクリーンを凝視し続けた。
「映画とは良いものだな。我を忘れて没入してしまった。冒頭シーンの風景にあのような意味があったとは予想がつかなかったよ」
シアターを出ると、会長が興奮気味で話しかけてきた。
初めての映画がお気に召したようで大層機嫌が良さそうである。
「小説版とは違うテイストだったので面白かったですね」
怪我の功名とでも言いますか。画面に意識を向け続けることにで、細部の演出や表現に対する気付きや発見があって面白かった。
…………三秒に一回は左手に意識が向いて大変だったんですけどね。
「む、小説もあるのか。それは是非とも読んでみたいな」
「貸しますよ。週明け持っていきます」
「本当か、それは有難いな。手間を掛けるがよろしく頼むよ」
誰かと趣味を共有するのは存外悪くない。
特に鳳会長とは業務の話ばかりだったので新鮮だった。
「映画、楽しんでもらえたみたいで良かったです」
「ありがとう、神原。貴重な経験だった。それに手だって――――あぁ!?」
「な、なんです!?」
会長が急に大きな声を出した。
「映画に熱中しすぎて、手を繋いだ感覚がほとんどないんだが!?」
「ちょ、嘘ですよね!?」
たっての希望ということで覚悟を決めた。
それなのに当の本人には感覚が残っていないときた。これぞまさに骨折り損のくたびれ儲けではないか。
「頼む、今からもう一度だけ!」
「嫌ですよ! 今日はもうこれっきりです!」
この先、人目に付かないような場所に行く予定もない。一度は譲歩したのだ。これ以上は会長の我儘に付き合えないぞ。
「ぶーぶー」
「拗ねても駄目ですからね!」
俺はあんなにも恥ずかしい思いをしたのにヒドイ話である。相手が鳳朱音と言っても、多少は無下に扱っても許されると思う。
「まぁ、そうだな……今回は完全に私の過失だ……」
「そ、そうですよっ!」
「あぁ、だから次の機会を楽しみにしているよ。また二人で映画を見よう」
「よ、予定が合えば……」
鳳朱音はタダでは転ばない。
ちゃっかりと次回の約束を取り付けようとする。
抜け目ない。策士だ。
しかし、可愛いと思ってしまうのは沼にハマりかけている証左なのかもしれない。
「大丈夫だ、何があっても予定は合わせる」
「えー、あのー、はい……スケジュール確認しときます……」
そもそも俺に予定など存在しないが、コミュ力ゲージの回復まで猶予がほしいです。
保留にしておかないと、会長は「では明日!」とか言い出しかねない。
「次回の話はこれくらいにしておくか。今日のデートはまだ終わっていないのだからな」
「そうですね。会長、お腹は空いていますか?」
「うむ、空腹感を覚えているな。普段であれば昼食を取っている時間だ」
正午を回って、時刻は午前から午後になっていた。
優雅にランチと洒落込むのであればちょうどいい時間である。
「黒花に教えてもらったカフェが近くにあるんです。そこで食事をしましょうか」
「おぉ、黒花会計のお墨付きか。それはとても楽しみだな」
地図アプリを頼りに目的地まで向かう。
新宿は人通りも多く、道がいくつにも分岐している。
ダンゴムシの交替性転向反応の要領で右に左へとジグザグに進んでいくことで目的地に到着した。
ランチタイムで混んでいると思ったが、微妙にピーク時間とズレていたらしい。
店内に入るとそのまま席へと案内をされた。
……知らないお店に入る時って緊張で気が狂いそうになりませんか。
俺はすでに自分の一挙手一投足が不自然じゃないか気になって仕方ないです。
黒花に紹介された昭和レトロな純喫茶。
天井にステンドグラス、床に花柄のカーペット、全体的に焦茶の内装が年季の入った感を演出していた。対照的に各テーブルのソファーは光沢のある深紅色で、このチグハグがイケイケドンドンの時代を想起させる。
俺もディスコでバブリーに踊ってみたかったぜ(嘘)。
「雰囲気があるな」
「ですね」
「黒花会計はセンスがいい。過去の文化に想いを馳せることで新たな着想を得る。まさに温故知新というわけだな!」
「いや、そこまでは考えてないと思いますよ?」
単純に映えるからじゃないですかね。ヴィンテージブーム来る。そんな見出しのネット記事を見たことがあった。
今時の若者には一周回って新しいのかもしれませんね(評論家気取り)。
「入口の食品サンプルを見る限り、どれも美味しそうだった」
「オムライスが美味しいらしいですよ」
と口にしたタイミングで、隣の席に「お待たせしました、オムライスです」と店員さんが実物を置いた。
果たしてタイミングが良いのか悪いのか。
会長は「おぉ、確かに美味しそうだ」と感嘆している。これといって気にしている様子はないが、俺の方はちょっとだけ気まずいです。
隣の人が気にしていなければいいな……と願いを込めて、チラッと表情を窺がう。
「――え? 如月さん?」
「……っ!?」
今年から同僚となった如月藍さんが文字通り目を丸くしていた。
斜向かいに座っていたのに、店の内装に気を取られて見過ごしていたみたいだ。
「なんと、如月書記ではないか! これは奇遇だな」
鳳会長がハイテンションで声を掛けていた。偶然にも顔見知りと遭遇して、気分が高揚するのも分からなくない。
しかし、俺の方は焦燥感に駆られていた。
この状況はまずい。仮にも会長とのデート中である。知り合いどころか、生徒会役員に目撃されるのは非常によろしくない。
我々の関係を示唆する露骨な言動はしてないが、会長が口を滑らせないか心配だ。
「……神原先輩と、鳳会長」
しかも、如月さんはややムッとした表情をしている。
鳳会長と俺(お邪魔虫)が一緒にいることが気に入らないのだろう。
「えーと、その、俺と会長は仕事の相談でね?」
如月さんは会長シンパの一人である。
俺と会長が付き合っている――などとは思わないだろうが、きちんと言い訳だけはしておきたい。
「……べつに、聞いてないです」
ぷいっと顔を逸らされる。やはりどこか不機嫌そうだ。
視線の置き場がなく、如月さんの出で立ちをまじまじと観察してしまう。
いつも通り、艶のあるロングヘアーは絹のように美しい。髪や肌の色素が薄く、透明感と独特な雰囲気がある。
真っ白なロング丈のワンピース。腕や脚など素肌を一切露出していない。
初めて見る私服姿もイメージと違わなかった、
さすが、あの黒花とも並ぶ一年生トップクラスの美少女だ。
「……なんですか、神原先輩」
「あ、いや、ごめん!」
ジロジロ見過ぎた。気が付いた如月さんに睥睨されてしまう。
ただでさえ好感度が低いというのに、さらに心象を悪くしてどうする。
とにかく平謝りするしかなかった。
「しかし、まさか如月書記とこのような場所で出会うとはな。決して悪い意味ではなく、少々意外だったよ」
鳳会長の意見には俺も同意である。
如月さんはクールで常に淡々としている印象だ。
カフェ巡りなど、いかにも女子っぽい趣味には興味がなさそうだった。
「……東京のオシャレなお店を巡るのが夢だったんです。私、中学を卒業するまで山梨に住んでいたので」
「ほう、そうだったのか。私は一七年近く東京に在住しているが、この手の瀟洒な喫茶店には疎くてな」
会長は「今度、如月書記と一緒に開拓をしてみたいものだな」と続ける。
「……機会があれば是非ともお願いします」
そんな会長の誘いに如月さんは社交辞令で応じている。
俺は二人のやり取りをうわの空で聞いていた。
というのも、如月さんの発言でスルーできない箇所があったからだ。
「如月さん、山梨出身だったんだ? 俺もそうなんだよ」
両親が離婚する前までは、実母の生家がある山梨県で暮らしていた。
住んでいた地域がだいぶ田舎だったので、幼少期は野山を駆けずり回るわんぱく少年でしたね。
そんで中二の時に……まぁ、色々ありまして……父と暮らすことを選んだ。
離婚後は東京に引っ越すことになり、父が義母の由美さんと再婚して、黒花って義理の兄妹になって――――今に至るわけです。
「知っていますよ」
「え? あ、もしかして黒花から聞いた?」
この事は誰にも話したことがない。現に会長も「そうだったのか」と驚いている。
知っているのは、身内となった黒花くらいなものだろう。
「さぁ、自分の胸に手を当てて考えてみては?」
「それってどういう……」
意味深なことだけ口にして、後は取り合ってくれない。
山梨に居た頃に知り合っていたとか……?
いや、『如月』という苗字には聞き覚えもないし、こんな美少女が田舎のコミュニティにいれば嫌でも目立つ。
鳳会長の近くにいる俺が気に食わず、ただただ煙に巻いているだけかもしれないな。
「ふむ、まさか二人が同郷とはな――――ぐぬぬ、羨ましいぞ」
「う、羨ましい……?」
「私も神原との共通点がほしいぞ!」
会長がムッとしている。まさか如月さんと張り合っているのか?
ちょっと待て。大丈夫なのか、これ。
このままだとピンク色方面に話が進みそうだぞ。会長の見境がない嫉妬心が今にも暴走しそうだった。
「えっと、ほら、同じ生徒会役員じゃないですか」
「それは如月書記も同じだろうっ!」
「……はむはむ」
如月さんはオムライスをパクパク食べながら静観している。
小さな口で咀嚼を繰り返す様子は微笑ましいが、「じーっ」と感情の読めない瞳でこちらを凝視していた。
まずい、これは良くない状況だぞ。
「か、会長? 一旦、落ち着きましょう……?」
「落ち着いていられるか! 私と神原の仲だというのに!」
決定的な事はまだ言っていないが、この調子だったら時間の問題である。
これはもう、会長との共通点を考えるしかない。
このまま拗ね続けられると、如月さんに色々と勘繰られてしまいそうだ。
……でも、俺と会長だけに共通するものってあるのか?
同じ人間であること以外に、カリスマ・鳳朱音と凡人代表・神原悠馬に符合する項目がまったくもって思い付かなかった。
「俺と会長は、ほら、その! 読書家じゃないですか! 会長も結構本読みますよね?」
「あぁ、それは確かにそうだな!」
「……私もです。かなりの活字好きだと自負しています」
「うへぇ!?」
なんで如月さんも張り合ってくるんだよ! せっかく会長が納得しそうだったのに! それを聞いて会長は「ぐぬぬぬ」と歯軋りをしていた。
「これでは神原と如月書記の共通項が増えていくばかりじゃないか!」
「いや、えーと、あの、その……」
どうする、焦れば焦るほど思考が鈍る。
こうして振り返ってみると、俺は鳳朱音の『外側』ばかりに注視していて、その『内側』を全然知らなかった。
「……お二人とも責任感が強いです」
テンパる俺に対して、救いの手が差し伸べられる。
如月さんは軽く微笑みながら、彼女から見える共通点を教えてくれた。俺を毛嫌いしていると思っていたので、かなり意外というか……。
「そうか? 神原には責任感があると思うが、私には責任感など皆無だぞ?」
「いやいや、ここまで『有言実行』を具現化した存在は会長以外にいないですよ。むしろ俺は振り回されているだけというか」
自分に責任感があるとは思ったことがない。やるしかないからやる。
長期休みの課題を終わらせている感覚に近かった。
「……ふふふ、お二人ともそういうところなんだと思いますよ」
なにが可笑しいのか、如月さんはクスクス笑っていた。
思わず会長と目を見合わせてしまう。
「……私も生徒会の一員として、お二人の助けになりたいです」
「今でも十分戦力になっているぞ?」
「俺もそう思います。一年生なのに慣れているというか」
生徒会に入って一ヶ月とは到底思えない。
この調子なら夏以降には任せられることも多そうだ。
「はぁ、お二人は悪いところも似ていますよ。ちゃんと周囲を頼ってください」
「うっ……それは…………」
会長には心当たりが無さそうだったが、俺にはクリティカルな指摘だった。
つい先日、林田先輩からも釘を刺されたばかりである。
「特に林田先輩は頑張りすぎだと思います」
鳳会長と比較したら、俺なんて頑張っているの内に入らないけど……いや、だからこそ不甲斐なく映っているのかもしれないな。
「ごめん、余計な心配をかけちゃって……ただ、俺は大丈夫だからさ。好きでやっている事だからね」
これでも納得感を持って働いている。
だから、日々の残業もあまり苦痛には感じていなかった。
ただ純粋に会長の企画を成功させたい。
その一心である。目的やビジョンが明確ならば、人は想像以上に頑張れるのだ。
「…………先輩はそうやって」
「如月さん?」
仄暗い顔をして、如月さんは小さく何かを呟いた。
しかし、それも一瞬のことだった。
「神原先輩。私、もう逃がしませんから」
「え? 逃がさないってのは……どういう意味?」
「先輩、知っていますか。実は私――こう見えてもかなり執念深いんですよ?」
蠱惑的な笑みを浮かべて、艶めかしい視線を向けてきた。
――ゾクリ。
身体中の血液が沸騰し、神経が鋭敏になって、熱や欲望を暴発しそうになる。
艶美で艶麗な気配にいわゆる酩酊に近い感覚を覚えた。
「む、私だけ蚊帳の外な気がするぞ」
会長の一言で正気に戻る。
危なかった。ふわふわと宙に浮いているような状態から解放される。
「あ、いや、そんなことないですって」
如月さんを一瞥するが、数刻前の妖艶さは霧散していた。
きっと悪い夢でも見ていたに違いない。そう思うことにした。
「……お二人は注文しなくていいのですか?」
「あぁ、そうだったな! 完全に失念していたぞ!」
ふと周囲に視線を向けると、店員さんと思いっきり目が合った。
あそこの卓はいつになったら注文をするのか、と注視されていたようである。
そのまま頭を下げて、店員さんにオーダーをお願いすることにした。
「神原、オムライスでいいな?」
「激しく同意します」
隣の如月さんが食しているオムライスがやはり美味しそうだったので、俺と会長も同じオムライスを注文させてもらう。
無表情な如月さんだが、あのオムライスを口にする度に頬を緩めていた。
その姿があまりにも飯テロすぎたのである。きっと会長も同様だったのだろう。
「……お二人もオムライスが好きなんですか?」
当の本人には自覚がなかったようだ。
揃ってオムライスを頼む我々を不思議そうな顔で見ていた。




