1-3
「……どっと疲れた」
鳳会長との屋上ランチを抜け出して、廊下をトボトボと歩いていた。
昼休みの時間はまだ十五分近く残っている。教室に戻ると不機嫌な真咲と遭遇することになるだろうし、午後の授業ギリギリまで校舎を徘徊することに決めた。
他の生徒会役員が廊下を歩いていれば、挨拶の一つや二つはされると思うが、俺はその限りではない。
鳳会長のシンパからは目の敵にされているが、神原悠馬はこの学校において空気みたいな存在なのである。
おかげで注目を浴びることもなく校舎を闊歩できる……うん、泣いてないよ?
俺は自由の翼。誰にも縛られず、誰からも認識されない。
人はこの俺を『シークレット・ファントム』と呼ぶ(何言ってんだこいつ)。
「神原じゃないか。こんな所で何をしているんだ?」
つまり、廊下で声を掛かられるのは超絶レアケースなのだ。
この俺を認識できるなんてタダ者ではないな。もしや、能力者か。
「って、その声は林田先輩!?」
顔を上げると見知った人の姿がある。
林田誠人さん。三年生の先輩で前期の一一◯期生徒会では副会長を務めていた。
細いフレームの眼鏡が特徴のクール系イケメン。
抜け目のない丁寧な進行には幾度となく助けられてきた。
「ここは三年のフロアだぞ。誰かに用か?」
「あ、いや、そういうわけではなく……えっと、その、自由の翼と言いますか……」
いつの間にか三年生のテリトリーを徘徊していたみたいだ。
特に言い訳が思いつかずに右往左往してしまう。要領を得ない意味不明な回答に、林田先輩は「なんだよそれ」と苦笑している。
「なんだか久しぶりだな。神原とこうして話をするのも」
「そ、そうですね……っ! 先輩の方はお変わりありませんか?」
「生徒会の活動が無くなって時間にゆとりが出来たな。受験勉強も始めているけど、去年の方が確実に忙しかったよ」
「色々ありましたもんね、前期の生徒会は……」
林田先輩の顔がまともに見られない。ワケあって気まずい。
先輩だってそうじゃないのか。
最後の会話を思い出すと、先輩後輩の無邪気な関係で接するのは難しかった。
「神原、まだ気にしているのか? 俺が鳳からフラれたこと」
「っっっ!? え、えっと、それは……っ!」
心でも読んだみたいに、林田先輩はこちらの懸案事項を指摘する。
あっけからんとしているが、事情を聞かされた身としては簡単に割り切れない。
先月、林田先輩は鳳会長に男女交際を申し込んだ。
しかし、二人が交際することはなかった。
その事実を知らされる同時に、今期は生徒会に所属しないこと、内部進学ではなく外部受験することを告げられる。
経緯を知った時、自分でも想像以上にショックを受けた。
人間関係のトラブルによって組織はいとも容易く瓦解するのだと。
だからこそ、俺は、会長の想いに――――
「あんまり気にしないでくれよ。最初から三年で生徒会をやるつもりはなかったからな。仮に鳳と付き合えたとしても結果は変わらなかったよ」
「でも、もしも会長と付き合えていたら、外部受験はしなかったんですよね……?」
林田先輩は「そういえば言ってなかったな」と前置きして言葉を紡ぐ。
「鳳にフラれて再認識したんだよ。このまま漠然と生きていたら駄目だってさ。今の俺のままじゃ、鳳、真咲――そして神原。お前らの横には並べない。もっと成長して、自分を誇れるようになりたいんだよ」
最後に「さすがに仲川には負けてないけどな」と付け加えて快活に笑った。
とても清々しい顔である。
そんな先輩の言葉を素直に飲み込めない。飲み込めるわけがなかった。
「ちょっと待ってください! 鳳会長は規格外だとしても、林田先輩は真咲と同じくらい生徒会に貢献していたじゃないですか!」
林田先輩という冷静な人間がいたから企画が現実的なものになった。
俺はただ、鳳会長に振り回されていただけだ。それなのに、どうしてこの人が俺なんかに劣等感を抱く必要がある?
昨年からずっと思ってきたことを不器用なりに言葉にさせてもらう。
「違うんだよ、神原。俺は仕事を『こなしていた』だけで、もっと企画を良くしたいとか、周りを楽しませたいとか、そういう情熱がなかった。実現性にだけ終始して、手に負える範囲で小さく丸めようとしていたんだよ」
「そ、それは自分も同じですよ!」
会長の無謀な思い付きにはいつも辟易としている。
昨日だって『部活動発表会』の企画・進行に苦言を呈したばかりだ。
「神原はいつも本気だったじゃないか。最初は文句を言いつつも、企画をより良いものにするため走り回っていただろ。俺は――鳳の企画を矮小化するだけだった」
「偶然にも、そういう役回りだっただけですよ……」
先輩が言ったことは結果論に過ぎない。
俺にも『大義』はなかったし、目の前のタスクに全力で取り組んだだけだ。
ただただ、役割が違っただけである。
「その役目を最後まで全うしたのがすごいんだって。つまり、鳳にとっては自分の全力を受け止めてくれた初めての異性なわけでさ」
なぜかニヤリと口角を上げて、林田先輩は言葉を継ぐ。
「神原、鳳から告白されたんじゃないか?」
「うへぇ!?」
意想外の攻撃(攻撃じゃないけど)に素っ頓狂な声が出てしまう。
あの場には会長と俺しかいなかったのに、なぜ先輩が告白のことを知っている?
「どうしてそれを!?」
「やっぱりなぁ。すまん鎌をかけた。鳳は行動に移すのが早いな、相変わらず」
鳳会長が林田先輩に話したわけではなさそうだ。
そうなると益々分からなくなる。情報源は一体どこなのか。
「安心してくれ、想定できたのは俺くらいなもんだ。神原、俺がなんて言われてフラれたのか分かるか?」
「え、いや、分かりませんけど……」
細かい話は聞いていない。あくまで結果を知らされただけだった。
「なんでも『好きな人がいる』ってさ」
「そ、そうなんですね……」
昨日のアレを勘案すると、その相手が誰なのかは推察できる。
結論、俺の方からは非常にコメントがしづらい。
「だから聞いたんだよ。『神原か?』って。そしたら『そうだ』と返ってきたから『神原は意外とモテるから早めに動いた方がいいぞ』って伝えたんだよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!? つまり、先輩が元凶だったんですか!?」
あの唐突な告白に先輩が一枚嚙んでいることが判明した。
俺がモテるってどこ情報ですか。風説を流して会長を焚き付けないでほしい。
「元凶とはひどい言い草だな。事実を口にしただけだぞ」
「いやいや、そんな事実はありませんから!」
「……知らぬが仏か。とにかく、俺には想定内の話だったわけだよ」
先輩は一呼吸を置いて「で、付き合うのか?」と確信的な問いを投げてくる。
「少なくとも――今は付き合えないです」
「今は、ね」
「正直分からないんです……人を好きになるってどういうことなんでしょうか?」
会長と付き合えない理由。それは今期生徒会の秩序を守るためだ。
決して嘘ではない。
だけど、同じくらいに『人を好きになる』感覚が分からないのである。
相手からメリットを得られるのか否か。冷酷に解釈すれば、『好意』とはそういった損得勘定じゃないのか。
男女交際は互いの得手不得手を補う関係であり、双方に恩恵があるから成立する。
ならば神原悠馬はどのような価値提供ができるのか?
鳳朱音にどのような利益を与えられるのか?
それが思い至らない。なら、会長の恋慕に応える資格が俺にはない。
「おいおい、それを神原が俺に聞くのかぁ?」
「す、すみませんっ!」
口にしてから自分の失態に気が付く。
よりにもよって、林田先輩相手に言うことではないだろう。気を遣うなら最後まで徹底しろよ。中途半端が一番駄目だろ。
「冗談、冗談。そんな深刻そうな顔をしないでくれよ」
「い、いえ……無神経で申し訳ないです……」
やはり、人間関係は難しい。先輩かつ因縁のある相手だと尚更だった。
そんなぎこちない空気をかき消すように、授業開始五分前を知らせる予鈴のチャイムが校舎内に鳴り響く。
「じゃあ、俺はそろそろ教室に戻るぞ」
「……自分も戻ります」
いいタイミングでチャイムが鳴ってくれた。
このまま沈黙が続いていたら、とんでもない空気になっていたと思う。
「――神原の疑問だけどさ。答えは人の数だけあると思うぞ」
「え?」
各々の教室に戻ろうとした矢先、林田先輩がポツリと呟いた。
「俺は……鳳に憧れていたんだと思う。近付きたくて、認められたくて、気が付くと好きになっていた。だけど、憧れだけじゃ駄目だったんだろうな」
「林田先輩……」
「あぁ、もう! あらためて語ると恥ずかしいな!」
先輩は両手をうちわに見立てて、パタパタと顔を扇いでいる。
「あの、ありがとうございます。真剣に答えてもらって」
「あくまで俺の考えだからな。他の人の意見も聞いて、総合的に判断してくれ」
「こんなの先輩にしか相談できませんって」
弱みを見せられる相手は林田先輩くらいなものだ。
俺の人生において、『頼れる先輩』はこの人をおいて他にいない(会長はあまりにも自由奔放すぎるので先輩って感じがしない)。
「神原、悪いな。少し先輩風を吹かせてもらうぞ」
先輩の声のトーンが一段低くなる。
これから真面目な話をするぞ、そういう合図だった。
「神原はもっと周囲を頼った方がいい」
「…………」
一年間を共に過ごしてきた先輩だ。俺の人間性をよく理解している。
人を頼るのは苦手だ。
そこに貸し借りが発生してしまうから。自分一人で進めていれば誰にも借りを作らず、孤独な生き方を咎められることもない。
役割さえ演じていれば、周囲や社会は無関心でいてくれる。
そんな風に考えて今日まで生きてきた。
「一人で成し得ることには限界がある。聞いたぞ、鳳がまた無茶を言っているんだろう? 今のスタンスのままだと、いくら神原でも体力が持たないんじゃないか」
「そう……かもしれませんね」
今現在、仕事面で頼れるのは真咲くらいなものだ。
真咲には俺の悪癖が露見しているので比較的に相談がしやすかった。
しかし、彼女に依存をし続けることは許されない。それでは『相互扶助の関係』が成立しなくなってしまう。
「辞めた人間がうるさくてすまんな」
「いえ、ごもっともと言いますか! 一応、自覚はあったので……」
他人の改善点を指摘する側にも労力が必要だ。
恨みや反感を買ってしまうのを恐れて、口を噤む人間だって少なくない。
それでも、林田先輩はきちんと言葉にしてくれたのだ。俺のことを考えてくれた上での発言だと思うと、感謝の気持ちしかなかった。
「だけどまぁ、神原なら大丈夫だって信じているよ。生徒会と――鳳のことは任せたぞ。ハハハ、だいぶクサいな。すまん」
「そんなことないですよ……っ! 期待に応えられるように頑張ります……っ!」
あぁ、俺はこんなにもカッコいい先輩と仕事をしていたんだな。
部活動発表会のこと。生徒会の同僚たちとのこと。
――そして、鳳会長とのこと。
悩ましい問題は数多くがあるが、この機会に林田先輩と話せてよかった。
一人ですべて抱え込もうとしてしまう。宿痾を克服するのは容易なことではない。
それでも最善を尽くそう。尽くす義務がある。
大事なものを託してくれた先輩を失望させたくはない。




