4-2
「あ、如月さん。今帰りだよね? お疲れさま」
「…………(じー)」
生徒会室に向かう道すがら、書記の如月藍さんとエンカウントした。
それはいいのだが、何故かジト目で睨まれております。
「え、えと、なにかな?」
「……神原先輩、今から生徒会室ですよね?」
「うん、まぁそうだね」
先日のカフェで遭遇した一件以来、無視をされることは少なくなった。
今みたいにきちんと会話が成立する場面も増えている。
「……真咲先輩と今日も残業ですか」
「その予定かな。イベントまで時間もないからね。如月さんと黒花が通常業務を片付けてくれるから助かってるよ、ほんと」
新人相手に申し訳ないのだが、通常業務はほとんど二人に任せっきりだった。
今はそこまで手が回らないので二人の尽力には感謝しかない。
「……………………えい」
「ちょ、なに!?」
いきなり如月さんからポカンと殴られた。
力は全然入っていないので痛くないが、突発的な行動に驚いてしまう。
「ムカついたので」
「ごめん、俺なにかした!?」
相変わらず表情は読みづらいのだけど、如月さん本人が申告をしている通り、心なしかムッとした顔ではある。
「……分かってないのも、余計に苛立ちます」
「えーと、その……ごめん」
「神原先輩、それ逆効果ですよ。分かってないのに謝られると――ウザいです」
「ご、ごめん! あ、いや違くて……っ!」
言っている傍から謝罪の言葉を口にしてしまう。
慌てて訂正しようとするが、咎めるような視線がビシバシ刺さっている。
「…………いつになったら、私たちは『お客様』じゃなくなるんですか」
「え、それって――」
「……いえ、一方的にすみません。お疲れ様でした、先輩」
如月さんはそのまま遠ざかっていく。
その背中に掛けるべき言葉は見つからなかった。
――――お客様か。
如月さん、もしかしたら黒花もそのように感じているのか。
確かに如月さんも黒花も優秀だと思う。しかし、鳳会長の無理難題にいきなり巻き込むのは心苦しいのだ。
そういう親心(もちろん親ではないけど)と言いますか。
期待をしていないとかでもなくて……適材適所だと思うんですよ。
はぁ、後輩との関わり方って難しいな。
***
「すまんすまん、今戻った」
「おつかれ、神原」
生徒会室の扉を開けると、書類と向き合う真咲に出迎えられる。
言うまでもなく真咲が抱えている仕事量は膨大だ。会長の分こそ引き継いだが、それで彼女の持っているタスクが減るわけではない。
真咲が真咲の仕事を片付けてくれるだけで大助かりである(でなきゃ破綻する)。
「軽音楽部はどうだった……?」
「部長の高柳先輩は結構お怒りだったな……一旦保留になった」
なんの成果も得られなかったことを報告した。
あらためて言葉にすると、状況が緊迫していることを自覚する。
「ねぇ、神原。次は私も同席しようか……?」
真咲も心配している。いかん、真咲にこれ以上の負担を掛けたくない。
不安にさせないように取り繕わせてもらう。
「いいや、大丈夫だ。真咲にも大量にタスクがあるだろ? 実はさっき仲川と会ってさ。アイツが手伝ってくれることになった」
「え、仲川が……?」
真咲が想像以上に驚いた表情をしていた。
「そんな驚いたら仲川が可哀想だろ? あいつだって去年の生徒会を一緒になって支えた仲間じゃないか」
最後に「仲川も意外と頼りになるよな」と付け加える。
意外なんて言ったら悪いか。
すごく助かる。この状況なので一人増えるだけでも有難い。
「……神原、それっておかしくない?」
「お、おかしい?」
真咲の表情が暗い。
怒っているというか――どちらかと言えば悲しそうだった。ここは喜ぶべきシーンだと思っていたので面食らってしまう。
「うまく言えないけど……仲川はあくまで前生徒会のメンバーでしょ……? 今期の業務は現生徒会メンバーで対応していくべきじゃないの……?」
「い、いや、だって……会長が離脱したんだぞ? そんなことを言っている場合じゃないというかさ……俺たちの目的は部活動発表会を成功させることだろ……?」
真咲の言おうとしていることは分からなくもない。
でも、手段を選んでいる場合じゃないのは事実で――――
「……その目的って全員にちゃんと共有されているのかな? 神原が身勝手に言っているだけじゃない?」
「ま、待ってくれよ! 真咲はこの企画を成功させたくないのか……っ!?」
真咲が口にしたことに驚きを隠せない。
俺たちはずっと同じ目標を共有しているもんだと思っていた。
じゃあ、なんだよ。俺だけが独り相撲をしていたというのか。そんな虚しいことはないじゃないか。
違うと否定したくて声を荒げてしまう。
「成功させたいよ……っ! でも、さぁ! そのために最初に取るべき手段が……外部の人間に頼るってのは絶対おかしくないかな!?」
「…………っ!?」
真咲は目を真っ赤にして切実に訴えてきた。
他者の激情。相手があの真咲でも、それを受け止めるコミュニケーション力や対人経験が俺にはなかった。
卑怯にも押し黙ることしかできない。
「ご、ごめんね……神原も一生懸命なのに…………」
「いや、俺の方こそ…………」
俺の狼狽えようを見て、真咲が一歩引いた。
真咲は俺の悪癖を知っているから気遣ってくれたのだろう。こんな状況でも配慮をしてくれる彼女に対して、ますます申し訳ない気持ちになってくる。
生徒会室にはどんよりとした静寂が訪れた。
「私、図書室で作業してくるね――じゃあ、また明日」
「あぁ、了解……また明日」
沈黙に堪え兼ねて真咲は生徒会室を後にした。
ただ見送ることしか出来ない。止める資格を俺は持ち合わせていなかった。
「……くそ、俺はどうすればよかったんだよ」
誰もいなくなった生徒会室で、虚空に向けて言葉を吐いた。
***
「ただいまー」
最終下校時間のギリギリまで校舎にいた。
見回りの先生に追い出される形で家路につく。当然、自宅に戻る頃には辺りもすっかりと暗くなっていた。
「危ない危ない。親父も由美さんもまだ仕事から帰って来てないな」
いくら生徒会の仕事が忙しいからと言っても、神原家の料理担当としての役割をサボる訳にはいかない。
黒花は既に帰宅しているはずだ。
急ごう。食事が遅くなって不機嫌になるのが目に見えている。
それに今は料理に没頭したい気分だ。
今日あった様々なことを忘れて、ただ無心で料理に集中していたかった。
「おかえり」
「え、黒花……? 何してんの……?」
リビングに入ると珍しいことが二つもあった。
まさかのまさか黒花から「おかえり」と声を掛けられる。最後に聞いたのがいつだったのか思い出せないレベルだ。
そして二つ目。黒花が台所で料理をしている。こんな光景は見たことない。
あまりに非日常的な光景についポカンとしてしまう。
「見て分からない? 料理をしているの」
「え、いや、それは分かるけど……料理とか出来るのか、黒花?」
「舐めないで頂戴。鍋くらい作れるわ」
楽とは言わないが、確かに鍋は作りやすい。
味付けさえ決めてしまえば、あとは具材を切って入れるだけだ。
「今、五月だよな」
ただまぁ、季節感は皆無ではあります。
「別にいいでしょ。美味しいし」
「それもそうだな――ありがとう、助かったよ」
「ふん、悠馬のためじゃないし!」
黒花はぴしゃりと言い放って、食材をカットする作業に戻った。
まったく素直じゃないのは相変わらずである。
「ここからは俺が代わるよ」
黒花の包丁使いはだいぶ危なっかしかった。手を切りそうで見ていてヒヤヒヤする。
家事を手伝おうとしてくれた――その気持ちだけで十分だ。
今日はむしろ料理をしたい気分だからな。このままバトンタッチしてもらおう。
「いい、あたしがやるから」
「大丈夫、大丈夫。黒花も自分の勉強があるだろ?」
黒花の貴重な勉強時間を奪うのも忍びない。
学年首位の座をキープするためにも勉学に勤しんでもらいたい所存だ。
「――悠馬ってさ、そういうところあるよね」
キッと物凄い形相で睨まれた。先程までの良い雰囲気が台無しになる。
何が引き金になったのかは不明だが、黒花の逆鱗に触れてしまったのは確実だった。
「悠馬、根本的に人のことを信頼してないよね?」
「い、いや……それは――――」
そんなことはない、とは言えなかった。
あまりにクリティカルで反論することも叶わない。黒花にここまで看破されているとは思っていなかった。
「生徒会でも、この家でもさ。あえて役割を背負い込むことで、相手と向き合うことから逃げてる……だから、あたしも悠馬を信頼できない」
本当はあたしだって――そう聞こえた様な気がした。
いつもの生意気な黒花はそこにいない。今にも泣き出しそうな顔で俯いている。
「もっと信じてよ。皆のこと、あたしのこと……」
「ごめん」
「ねぇ、謝らないでよっ! そんな言葉が聞きたいんじゃないのっ!」
信じている。皆を信じたい。
それを言葉に出来たらどれだけ楽だったか。
「……ごめん」
相手を安心させるための嘘。
そんなものは欺瞞でしかないだろう。自分自身が納得できていないのに、仮初の言葉を紡ぐ方が不誠実じゃないのか。
「悠馬にとって、生徒会の皆ってなに!? あたしってどういう存在!?」
「そ、それは――――」
言えない。口にしたら、形にしてしまったら、いつか終わりが来てしまう。
永遠なんてない。俺は身を持って実感しているんだ。
損失の痛みに比べたら、孤独の寂しさなど大したことはなかった。手を伸ばして、また失ったら、俺はもう――立ち直れない。
「――もういい」
「ま、待ってくれ、黒花……っ!」
俺の言葉を待たず、黒花はリビングを飛び出してしまった。
台所には黒花の努力の結晶が残されている。
俺は直視ができなかった。
そこにあった温度に想いを馳せると絶望してしまうから。
***
生徒会室で待っていてくれ。
昼休みになったタイミングで仲川からそのように声を掛けられた。どうも野暮用があるらしい。それが済み次第、こちらに向かうとのことだ。
「はぁ……」
コンビニで買ったサンドイッチを無感動に咀嚼する。
手弁当を作っている余裕はなかった。黒花とは昨日から冷戦状態。いつものように弁当を用意できる空気じゃなかった。
今朝からずっと空回りをしている。
偶然会った如月さんに挨拶をスルーされ、真咲とは教室で会ってもよそよそしい。
業務も山積みなのに人間関係のトラブルまで抱えてしまった。
肉体的にも精神的にもキツイものがある。
「神原、待たせたな!」
堂々巡りの思考に振り回されていた最中だった。
快活な声が聞こえたのと同時に、生徒会室の扉が勢いよく開け放たれる。
「ノックくらいはしてくれよ、仲川」
「すまんすまん!」
臨時ヘルプの仲川が生徒会室に顔を見せる。
ナイスタイミングだ。このまま考え事をしていたら気が滅入りそうだった。
「いつも以上にテンションが高いな?」
「ハハハ、聞いて驚け! 助っ人を連れてきたぞ!」
「助っ人……?」
仲川が「どうぞどうぞ」と後ろにいた人物を生徒会室へ引き入れる。
「廊下で話した以来だな、神原」
「林田先輩!?」
仲川の背後から眼鏡のクールイケメンが顔を出した。
昨年の生徒会を共にした同僚の一人。
俺にとって唯一の頼れる先輩。その登場に驚きを隠せない。
「レジェンドOBの誠人さんがいれば百人力だろ!?」
「おだてても何も出ないぞ、仲川」
なんだか懐かしい。
林田先輩と仲川が絡んでいるのも久しぶりに見る。当時、二人の兄弟みたいな気さくな関係が少しだけ羨ましかったんだよな。
「林田先輩、受験勉強で忙しいんじゃないですか……?」
「後輩が困っているみたいだからな。駆け付けさせてもらったよ」
そう言ってニヒルに笑う。
やっぱり、この人はいちいちカッコいいな。
「本当に助かります! まさか林田先輩に手伝ってもらえるなんて!」
仲川と同じく生徒会の経験者。文句なしに最強の助っ人だった。
この二人が手伝ってくれるならどうにかなるぞ。
さっそく仲川の機転に助けられている。この状況を作ってくれた仲川には「助かった、ありがとう」と目配せしておく。
「ん、俺は手伝うとは言ってないぞ?」
「……え?」
天国から地獄。
有頂天になっていた分、反動が凄まじかった。
仲川の方も「え? え? 誠人さん?」と困惑をしているので、想定外の事態と考えてよさそうだ。
「俺は珍しく怒っているんだよ、神原」
「せ、先輩……?」
顔に笑顔を張り付けているが――――言われてみれば目が全然笑っていない。
こんな先輩を目にするのは初めてだった。
体中から冷や汗が噴き出てくる。
あの温厚な林田先輩を怒らせてしまった。何よりも恐ろしいのは、その原因を俺自身が理解していないことだ。
「神原には確かに『周囲を頼れ』とは言ったぞ? だけど、いきなり仲川や俺を頼るのは順番として違うとは思わないか?」
「そ、それは――」
真咲からも言われたことだった。
しかし、それに関しては俺にだって言い分はある。
「独断で決めたのは悪いと思っています……それでも自分には! この企画を成功させる義務があるんです……っ!」
鳳朱音を振り回して無茶をさせてしまった。そして、半強制的に仕事を奪った。
――――全部が、全部、俺の責任じゃないか。
あの鳳朱音から後を任された。その意味は誰よりも俺が分かっているんだ。
「傲慢だな」
俺の主張を林田先輩は短く切り捨てた。
「真咲は、新人の二人は――神原にとって『足手纏い』だと言いたいのか?」
「そんなことは言ってないですよ……っ!」
あの三人が足手纏いだなんて考えた事すらなかった。
真咲、黒花、如月さん。彼女たちがいなければ業務過多でとっくに詰んでいる。
皆には心から感謝している。嘘なんかじゃない。
「いいや、言っているようなものだよ。今が正念場なんだぞ? どうして全員の力を借りようとしないんだ」
「俺の力不足でこんな状況になっているんです。俺はただ、自分の責任を果たそうとしているだけで……」
「それが傲慢だって言うんだよ」
語尾が小さくなっていく俺に対して、林田先輩は語気を強めていく。
「自分一人で解決できると思っているのか? そう考えているなら、どうして仲川や俺を頼ろうとしたんだ?」
「…………」
まさにその通りだ。俺の行動は矛盾していた。
自分でも分かっている――だって、隠したい本音がそこにあったから。
怖いんだよ。生徒会の皆に見限られてしまうことが。副会長の役割を果たさなければ、俺はあの場所に居られなくなる。
役割を演じることでしか、人と関わることが出来ない。
そのツケがここで回ってきたのだ。
「もっと今の仲間たちを信じてやれよ。背負わせてやれよ。一緒に地獄を見ようってさ、言ってやればいいんだよ」
林田先輩は「仲間に対してカッコつけんなよ」と最後に付け加えた。
真咲、黒花、如月さん。三人から咎められたことを先輩が総括して伝えてくれる。
ここまで言われて、ようやく自分の問題点に気が付くことができた。
「あの、俺……どうしたらいいんでしょうか…………」
「それは俺に聞くことじゃないだろ?」
「そう、ですね……」
皆と話をする必要があるんだろうな――たぶん本音ってやつで。
「まずは『今期の生徒会』として答えを出すんだな。その後であれば、どんな無理難題も聞いてやる――仲川もそれでいいな?」
「う、うっす! そのーなんだ……ファイト、悠馬!」
俺一人の独断ではなく、生徒会の仲間たちと結論を出せということだ。
「分かりました……ほんと、色々とすみません」
俺の弱さのせいで林田先輩、仲川には迷惑を掛けてしまった。
気まずいどころの騒ぎではない。ただ頭を下げることしか出来なかった。
「言ったろ? 困っている後輩のことは放っておけないんだ。俺たちだって、前期生徒会を共にした仲間だろ?」
危ない、思わず泣きそうになってしまった。必死に堪える。
これはもう男の意地ではないけど、情けないところは見せたくない。
二人がいない生徒会でも楽しくやっている。
そういう姿を見せたいんだ。
「誠人さん、ちょっとカッコつけすぎじゃないですか? 『俺たちだって、前期生徒会を共にした仲間だろ?(イケボ)』いやいや、あまりに気障すぎますって!」
「う、うるさいな! 別にいいだろ!」
「『困っている後輩のことは放っておけないんだ(イケボ)』」
「よーし決めた! 歯を食いしばれ、仲川!」
林田先輩が拳を握り、仲川は「やべ!」と逃げ出す。そのコミカルな一幕を見ていたら、おかしくて笑えてきた。
「……ありがとうございます」
その場で小さく呟く。
俺のために助っ人を呼んでくれた仲川。今期生徒会のために怒ってくれた林田先輩。
二人にはひたすら感謝しかない。
その恩に報いるためにも、俺は覚悟を決める必要がありそうだった。




