3-3
「ん……え、あれ……神原?」
窓から夕陽が差し込む中、鳳会長が目を覚ました。
部屋の掃除はすでに完了している。引っ越して一ヶ月程度なのが幸いした。
散らかった衣類を整理整頓さえすれば床が見える状態には戻る。
肉体的な負荷はほとんどなかった。
どちらかと言うと、精神的な負担の方がデカかったですね。
その、下着類の取り扱いが……はい。全て洗濯カゴにまとめていますが、かなりの葛藤がありました。
自分の名誉のためにも、その様子は割愛させてください。
「よかった、起きなかったらどうしようと」
この状態の会長を放置して帰るわけにもいかない。
かと言って会長が目を覚まさなければ何も出来ないので、先程からずっと手持ち無沙汰になっていた。
「す、すまない……客人をもてなしもせず――って、なぜだ身体が動かないぞ……」
会長はベッドから起き上がろうと身を捩る。
しかし、掛け布団を取り払うことすらも叶わない。
「きっと疲労が蓄積しているんですよ。たぶん熱もあると思います」
顔の赤みがますます強くなっている。
声もぐったりとしており、明らかに熱っぽい様子だった。
「まさか、風邪など引いた事がないのに……」
「それだけ無理をしていたってことです」
こんなになるまで働いて――言いたいことはあるが、病人を糾弾するのも憚られる。
「とりあえず、親御さんに連絡を入れてください」
「いや、それは……」
親元を離れて暮らしてみたい。自分の我儘で一人暮らしを始めた。
なのに一ヶ月程度で音を上げるなんて――そんなところか。
「他人かつ男の俺では看病に限界があります。食事の準備、学校を休む連絡、病院に行くこと、今の会長が一つ一つ処理できるとは思えません」
我を通している場合じゃないことは、会長にだって分かっているはずだ。
「……君の言う通りだな」
会長らしからぬ弱々しい声だった。病気で気力がないのか、自分の不甲斐なさに歯噛みしているのか。
少し語気が強かったと反省する。
そのお詫びとは言っては何ではあるが――――
「会長。今、お腹は減っていますか?」
「え、あぁ……言われてみれば」
「少し待っていてください。卵がゆを作ります」
実を言うと、数十分前にも作ろうとしたが断念したのだ。
せっかく食事を用意しても、会長が起きなければ無駄になってしまう。
特にお粥は時間の経過で水分量が変化して、味わいが損なわれてしまうのだ。作り置きには向いていないのである。
「なんと、この家にあるもので作れるのか?」
「最低限の調理器具と調味料が置いてありましたから。あとは米、卵、水さえあれば普通に作れますよ」
勝手に物色をしてしまって申し訳ない。
調査の結果、自炊を頑張ろうと努力した残骸を発見するに至った。この遺物たちを活用すれば、卵がゆくらいなら問題なく用意できる。
「君は天才か」
「大したことじゃないですよ」
「いいや、私が認める。誇っていいぞ」
「わ、わーい?」
王女様のお褒めに預かり光栄です。
このまま味の方も頑張りたいところですが、胃腸が弱っていると思われるので味付けは極力シンプルにさせてもらいます。
「神原、ありがとう」
米を煮詰めていると、背後のベッドから声が掛かる。
やや潤んだ声音。当たり前だけど、会長も泣いたりするんだよな。
「どういたしまして」
振り返らず、静かに応じた。顔を見合わせないから話せることもある。
手を動かしながら彼女の言葉を待つ。
「……私って我儘だよな」
「知ってます」
重々承知していますとも。
一年と一ヶ月もの間、ずっと振り回されてきましたので。
「はは、手厳しいな……」
「でも、いいじゃないですか」
「え?」
「会長の我儘に救われている人間もいます――少なくとも俺はそうです」
無茶ぶり、無理難題、寝耳に水。
会長と仕事をしていると休む間もなく仕事が舞い込んでくる。
もちろん大変だし、疲れるし、超キツいし、家でゴロゴロしている方が楽なんだけど、無我夢中でプロジェクトを進めている時に生き甲斐のようなものを感じる。
深夜に書類仕事を進めながら飲むコーヒーの味。
生徒の笑顔に貢献できる充足感。
同僚たちと一つの企画を形にしていく楽しさ。
会長が居るから、会長が妥協しないから、会長が満足しないから、こんなスリリングで愉快な日々を送れているのだ。
鳳朱音のいる生徒会に入ってよかった。心からそう思っている。
「……救われている?」
「そうです。日常って退屈じゃないですか」
背後から「そうか?」と間の抜けた声が聞こえてくる。
そりゃまぁ、鳳朱音の人生だったら刺激に満ち溢れているだろうけどさ。
「暇だと人間は余計なことを考えるんですよ。だから、目の前のことに集中するしかない状況ってかなり貴重と言いますか」
会長の返事はない。やはりピンとはきていないようだ。
俺のような人間は思考の余白が生まれると延々と考え込んでしまう。
漠然とした未来への不安とか、今一緒に住んでいる新しい家族の事とか、生まれ故郷に置いてきた過去に対する後悔と苛立ちとか――色々と。
目を背けている、逃げている。そう言われると立つ瀬がない。
「話が逸れましたね。俺が言いたいのは、会長に振り回されているおかげで、毎日が充実しているってことです。ありがとうございます!」
それでも、俺が会長に救われている事実に変わりはなかった。
「こちらが謝辞を述べたのに、いつの間にか逆の立場になっているな」
会長の小さな笑い声が聞こえてくる。
あぁ、よかった。この人に涙は似合わない。ただ悠然と不敵な笑みを浮かべている方が鳳朱音らしい。
「つまり、お互い様ってことです」
「釈然とはしないが、今はそういう事にしておくよ」
「えぇ、今後も俺が過労死しない程度に振り回してください」
「それは保証できない」
「そこは保証してくれません!?」
殊勝な態度を見せてくれてもいいだろうに――いや、鳳朱音はこうでなくてはな。
「さてと、お待たせしました。卵がゆの完成です」
「おぉ!」
煮立った米に溶き卵、出汁と醤油を加えたシンプルな一品だ。
鰹節や刻みネギを散らせば味も引き締まるのだが、会長宅にそこまでの備えはなかったので断念する。
「会長の口に合えばいいんですが」
シンプルな料理ほど表面の味で誤魔化せないから難しいんだよな。
味見をした感じ大丈夫そうではあるが、どうしてもドキドキしてしまう。
「君の作った料理なら泥団子でも嬉しいさ」
「いやいや、それは侮り過ぎですよ!? そこまで酷くないですから!」
泥団子レベルの食事を出すと思われているのは不服である。
これでも神原家の台所担当だ。舐めないでほしい。
「どうでもいいが、今度一緒にピカピカな泥団子を作らないか?」
「本当にどうでもいいですね!?」
鳳会長の自由人っぷりが戻ってきた。
嬉しいような嬉しくないような。複雑だ。心がふたつある~~。
「バカ言ってないで、冷めないうちに食べてくださいよ」
「神原、相談があるのだが」
「嫌ですよ!」
何を言い出すかは想像が付く。
「体が鉛のように重いなー。とてもじゃないが、一人では食事ができないなー」
「都合よく体調不良アピールしないでくださいよ!」
さっきまでは「元気だから明日は学校に行くぞ」ってノリだったのに。
「神原に食べさてほしいなー。あぁ、しっかり食べないと病気も治らないだろうなー」
「はぁ……あぁ、もう……っ!」
病人じゃなかったら、チョップの一つでも食らわせたいところだ。しかし、満足に体を動かせないのは嘘ではないのだろう。
手を出すなら仕舞までやれ。毒を食らわば皿までだ。
「起こしますよ」
「すまない」
上半身を起き上がらせようと肩に手を置く。
「…………っ!」
必然的に顔と顔が近くなる。
会長は熱っぽい表情をしており、息遣いも荒くなっていた。
扇情的な光景。平凡な男子高校生の代表として、無感動を貫くことは不可能だった。
内側からむくむくと邪な感情が湧き上がってくる。
「――――神原、いいぞ」
そんな男の葛藤を見越したのか、会長が静かに目を瞑った。
心臓の鼓動が早くなり、もはや痛みすら感じる。視線は一点に集約されていた。今なら鳳朱音の唇を奪うことができる。
「……キスは駄目ですよ。するのは――本当に付き合ってからです」
正直、我慢の限界ではある。
だけど、このままなし崩し的に付き合うわけにはいかない。
それは生徒会の秩序を守るためでもあり、俺自身の気持ちの整理のためにも。
異性として会長が気になり始めている。
それは認めざるを得ない。
だからこそ、これが『恋愛感情』なのか自分の中で答えを出すべきなのだ。
その答えが出ない限り、行き過ぎたスキンシップは差し控えたい。
「……あぁ、そうだね、神原の言う通りだ」
「分かってもらえたなら何よりです」
あまり顔を意識しないようにして上半身を起こす。
「思いの外、体が自由にならないな……」
「働き過ぎです」
見るからに気怠そうだ。重力に抗えていない。
「一日でも早く快復したいんだ。申し訳ないが、神原の手料理を食べさせてくれるか?」
「きょ、今日だけですからね……っ!」
所謂あーんは『される側』も恥ずかしいが、『する側』もそれなりに照れくさい。
「あと、そうだ。ふーふーもしてほしい」
「ね、猫舌なんですか?」
「いいや、違うな。これは趣味みたいなものだ」
「では遠慮させてもらいますっ!」
自分が息を吹きかけたものを会長が食す――そんなの背徳感で死んでしまう。
「よし、今日から猫舌になる」
「無茶苦茶な!?」
そんな気軽にプロフィールを更新しないでほしい。
「観念するんだ、神原」
「はいはい、分かりましたよ……」
これでも病人だ。平行線の議論を続ける体力もないだろう。恥ずかしさは飲み込んで、卵がゆに息を吹きかける。
「ど、どうぞ」
卵がゆを掬ったスプーンを恐る恐る口元まで運ぶ。
「はむ」
会長がスプーンを咥えた。もぐもぐと口を動かし、そのまま嚥下する。
「……味はどうです?」
「あぁ、とても美味しいよ。空っぽの胃腸が歓喜している」
「よかったです」
口に合ったなら何よりだ。
自分の作った料理を喜んでもらえるのは素直に嬉しかった。
「手料理は久しぶりだ――とても温かい」
「も、もう少し冷ましましょうか?」
「ふふ、そういう事じゃないのは君だって分かるだろ?」
「……ですね」
余計な一言だった。気恥ずかしさを誤魔化したかったのである。
会長の顔が、何と言うか――とても幸福そうで。
その表情の理由を自分なりに想像して、居た堪れない気持ちになったのだ。
「もっと食べさせてほしいな」
「りょ、了解ですっ!」
息を吹きかけ、スプーンで掬い、会長の口元まで運ぶ。
一連の動作を何度も何度も繰り返す。不思議な感覚だった。会長に卵がゆを食べさせる度に心が充足していく。
他者に尽くすことで自分自身も満たされた気分になっている。
「――――ありがとうございます」
器が空になったタイミングで自然と感謝の言葉を口にしていた。
「またか、今は私が礼を言うべき立場だろう?」
「なんでか不意に言いたくなって」
「神原は変わっているな」
「会長には言われたくないですけどね」
一六年の人生において、この人以上に型破りな人間に出会ったことがない。
きっとこの先も出会うこともないだろう。
「私のような変人と一年以上も働いているのだから、やはり変わっているよ」
「自分が変人って自覚は一応あるんですね……」
「まぁな。幼少期から今日まで特別扱いを受けてきた。自分自身の特異性は理解しているつもりだよ」
勉強も運動も仕事も出来て、常に人の上に君臨している。
おまけにとびきりの美少女となったら、一目置かれる存在にならざるを得ない。
「昔からそんな感じなんですね」
「あぁ、そうだね。『カリスマ・鳳朱音』と言われ続けてきたよ」
会長は小さな声で「そんなことはないのにな」と呟く。
「いやいや、会長は名実ともにカリスマだと思いますけどね?」
名実相伴う。誰もが彼女の功績を認めている。
見掛け倒しなんてことは決してない。
「まさか。一人で突っ走って体調を崩し、同僚に迷惑を掛けている女だぞ」
「カリスマでも失敗くらいしますよ。これくらいで会長が築き上げてきたイメージは揺るぎませんって」
人間である以上、過ちの一つや二つは起こり得る。
そんな失敗が霞むほどの実績があるからこそ彼女はカリスマなのだ。
「――実は、そのイメージが足枷になっているんだ」
会長はいつになく弱気な顔をしている。
どうも体調不良だけが原因ではなさそうだった。
「今日みたいに私だってミスをする。しかし『カリスマ・鳳朱音』のイメージのせいで、皆が私に意見を言わない。反論もしない。忖度をされる」
「……確かに、それはそうかもしれませんね」
会長は「贅沢な悩みなんだけどな」と自嘲気味に笑っていた。
良くも悪くも神格化されてしまっている。鳳朱音が間違うハズがない。
もしそう感じたのであれば、自分の方がおかしいのではないか――と考えてしまう人間は少なくないだろう。
「イメージの鳳朱音が先行して、等身大の鳳朱音が取り残されているんだ」
「……等身大の会長」
誰もが羨む存在である鳳朱音。
その羨望の眼差しの先にいるのは『鳳朱音』個人ではなくて、ある種の幻想や集合意識によって生み出された虚像ということか。
属性、仮面、アイコンだけが愛されているのは虚しい感じがする。
「――だからこそ、私は君を好ましく思っているんだ」
「へ?」
思ってもいなかった方向に話が展開していく。
「神原は私を特別扱いしないだろう?」
「え、いや、そうですかね……?」
正直な話をすると意識したことすらなかった。
実際どうなんだろうか。俺も会長を特別扱いしている気もするが……。
他の役員たちのように会長を崇めてこそいないけど、色眼鏡なくフラットに接しているかと言えば自信はなかった。
「そうだとも。私に容赦なくNOを突きつけてくるじゃないか」
「あーまぁ、そうですね」
会長は不服そうに口を尖らせていた。
この間の告白に対する返事を未だに根に持っているみたいだ。
だいぶ恨み節が入っている。気まずい。
「それだけじゃない。君は企画をより良いものにしようと自発的に動いてくれるし、私と常に対等な目線で働いてくれている」
「……ですかね、あまり自覚はありませんけど」
きまりが悪くて頬を掻く。ここまでベタ褒めだとむず痒い。
「神原はもっと自分を誇っていい。わ、私が好きになった男なのだからな……っ!」
「~~~~っ!」
好きという言葉の魔力は凄まじい。
脳みそが一気に沸騰して、会長のこと以外を考えられなくなる。
「な、な、何か言ったらどうなんだ!?」
「えっと、その、恐縮です?」
「なんだそれは!」
会長はプンスカしているが、この場に相応しい言葉が思い付かなかった。
恋愛ビギナーに高度な駆け引きを求めないでほしい。
「その、是非は別として……会長が俺に好意を抱いた背景は……理解しました」
鳳朱音が神原悠馬を好いている理由。
先日の屋上でははぐらかされてしまったが、あらためて会長の口から聞くことが出来たのはよかった。
その事だけは今日まで心残りだったのだ。
何故、神原悠馬なのか。
この俺が会長に何を差し出せるのか。それが分からず不安だった。
「いや、えーと、その事なのだけどな……」
「会長?」
いつになく歯切れが悪い。
「頼む、神原……っ! わ、笑わないで聞いてくれないか……っ!」
「な、何ですか……あらたまって……」
そんな風に前置きをされると身構えてしまう。
ここに来て驚愕な事実が明かされる――そのフリにしか思えない。
「今言ったことは全部が後付けなんだよ……」
「後付け?」
「あ、あぁ……明確なキッカケはないんだ……一緒に生徒会での時間を共にしていたら、いつの間にか好きになっていた……」
会長は手のひらで顔を覆って、赤くなった顔を必死に隠していた。
「え? それって恥ずかしがることですか?」
その仕草は大変可愛らしいのだが、会長がなぜ照れているのか不思議だった。
同じコミュニティの人間を好きになるのは王道パターンではなかろうか。
「だ、だって、絶望的なまでに浪漫がないじゃないか……」
会長は『運命の出会い』のようなものを想定していたのかもしれない。
意外と乙女と言うか。少女趣味と言いますか。
「――俺はいいと思いますけどね。あの『鳳朱音』がありふれた恋をしたってのも、結構面白いんじゃないですか」
最後に「まぁ、相手の趣味は悪いですが」と付け加える。
誰かを好きになることに貴賤などない。
恋や愛に正解があるのなら、父も義母も離婚を経験していないだろう。
むしろ、正解がないからこそ難しいのだと思う。
「神原は幻滅しないのか……?」
「しませんよ。誰をどんな風に好きになっても自由だと思います」
「そ、そうだろうか……」
会長は腑に落ちない顔をしている――うん、やはり違和感があるな。
これまでのやり取りで、俺は矛盾したものを感じていた。
「なんだか、会長自身がイメージの『鳳朱音』に縛られていませんか?」
彼女は特別扱いを忌避していた。
それなのに特別な自分であろうとしている。
会長も無自覚に『鳳朱音』を演じているのではないだろうか。
「…………そうなのかもしれないな。周囲の期待に応えたい――いつしかその想いが楔となって、私を捕えて離さなくなっていた」
ポツリポツリと言葉を紡ぎ始める。そこには悲痛の色が滲んでいた。
「だから、怖いんだよ。等身大の私なんか誰も求めていないんじゃないかって。ははは、笑ってくれ。自らハードルを上げて、後に引けなくなっているんだ……」
会長の言葉は切実で痛みを伴っていた。
シャボン玉のように膨らんだ空想の自分に手を焼いている。
神原悠馬に求められているのは、ここで鳳朱音を慰めることだろう。
仮初の恋人として彼女の弱さを補うために。
「大丈夫ですよ。等身大の『鳳朱音』もちゃんと見ていますから。俺は欲望に正直すぎて、子供っぽくて、ガサツで、意外と不器用な鳳朱音が嫌いじゃないです」
決して嘘ではない。ここ数週間、彼女の知らない一面を見てきた。
そのすべてを受け入れるなどと不遜な事は言わないが、そんな誰よりも人間らしい彼女を魅力的だと感じたのは事実だ。
「ほ、本当か……?」
「えぇ、だから心配しないでください。等身大の鳳朱音にも居場所はあります」
そこにいるのは俺だけじゃない。
生徒会の皆だって、天和大付属の生徒だって、会長のこの愛らしい姿を知れば、きっと好感を持つはずだ。
結局、鳳朱音はいつだって面白い。どんな鳳朱音も『鳳朱音』なのだ。
「――やはり君は優しいな」
澄み切った笑み。爽やかで、清らかで、麗しい。
この表情は反則だろう。こんなの誰だって魅入られてしまう。
「あ、あくまで事実を言っただけなので……っ!」
非常にくすぐったい。
目線を逸らして、首筋のあたりを掻いた。
「そして、素直じゃないな」
「……はいそうですね、自覚はあります」
会長はカラカラと笑っている。浅はかな照れ隠しは完全に見破られていた。
「神原、一ついいだろうか?」
「なんですか?」
「私と結婚してくれ」
「……………………………………………………はい?」
サラッと言うべきではない台詞が、サラッと聞こえたような気がした。
聞き間違いでしょうか。
うん、たぶんそうなんでしょうね。
「び、びっくりしたぁ~、なんか結婚とか聞こえて焦りましたよぉ~」
「言ったぞ?」
「……あ、やっぱり?」
あはっ、プロポーズされちゃいました♪
とりあえずゼ◯シィ? 今月号の付録はなんですかね?(言うとる場合か)
「鳳悠馬になってくれ」
「婿養子!? いやいや!? ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!?」
「大丈夫だ。君の懸念も分かるぞ。我々の年齢ではまだ結婚が出来ないということを心配しているのだろう?」
「いえ、その段階にすらたどり着いてないです! もちろんそれもですけど!」
婚姻適齢なんて言われて思い出したレベルだ。
そんな冷静に考えられるほど、この求婚の言葉を飲み込めていない。
「なんだ、私では不満か……? 等身大の鳳朱音でいいと言ってくれたのにか……?」
やめて、そんなシュンとした顔しないでください!
いや、たしかに等身大の会長の事は嫌いじゃないですけども! それとこれではワケが違うじゃないですかぁ!
「俺たち、そもそも付き合ってないですよね!?」
「交際0日婚だな」
「ストップ! ストーーーップです、会長! ステイステイ!」
駄目だこの人。早く何とかしないと。
全然話を聞いてくれない。あぁ、もう、前言撤回したいです!
これはいくらなんでも欲望に正直すぎませんかねぇ!?
「神原は何を気にしているんだ?」
「全部です!」
今この段階で納得していることなど一つもない。
「か、会長、落ち着きましょう? 熱があるせいで頭が変になっているんですよ!」
「いいや、私はいつも頭が変だぞ?」
「自分で言わないでくれますかね!? 現状そうとしか言えませんけども!」
何をトチ狂ってプロポーズしてきたのか。
とんと分かりません。
あまりのゴーイングマイウェイっぷりに俺の頭もおかしくなりそうだ。
「分かった、私も折れる。神原朱音を名乗らせてもらうよ」
「違う、違う! そうじゃ、そうじゃない!」
誰か助けてください。まったく会話が成立しません。
そんな祈りが神様に通じたのかもしれない。会長のスマホが通知音を鳴らした。
「ん、母からのメールだ――今、父の車でこちらに向かっているらしい」
チャンス! 逃げるなら今しかない!
「親御さんもいらっしゃるようですし、俺もぼちぼち帰りますね!」
このまま会長と話をしていたら気が狂ってしまう。
「待つんだ、神原! 君が帰ってしまったら、四男の名前はどうするんだ!」
「いつの間にか子供が四人いる!?」
結婚すら通り越して、未来予想図が広がりまくっていた。
知らぬ間に長男、次男、三男がいるらしい。しかも名前まで決まっているようだ。
「四人ではないぞ。娘も四人いるから全部で八人だ」
「POW!」
さすがに俺の頭もおかしくなってきました。
駄目だ。なんかもう結婚をすることが前提になっているぞ。このまま鳳会長のペースに乗っていたら既成事実化されてしまう。
俺の覚悟が決まっていないのに、このまま流されるわけにはいかない。
冗談もここまでにして今日のところは会長に引いてもらおう。
「――すまんな、神原。私としたことが浮かれていたよ」
会長の声音が低く落ち着いたものになる。
俺から切り出そうと思っていたので肩透かしを食らった気分だ。
「い、いえ、会長の軽口には慣れていますので……」
「ふふ、私は本気だけどな?」
蠱惑的な笑み。この笑顔に魅入れたら後戻りはできない。
底なし沼のような危うさがあった。
「君が好きだ。結婚したいと思えるくらいに」
「それは、その……ありがとうございます……光栄です」
会長の気持ちは嬉しい。
だけど、それを受け入れたら失ってしまうかもしれない。
俺は生徒会という居場所が、そこに根付く人間関係が、意外と気に入っているんだ。
色恋沙汰であの空間が無くなってしまうのが怖いのである。
林田先輩の失恋――そして両親の離婚。
愛や恋は人を狂わせる。今の俺に、踏み出す勇気はなかった。
「ちゃんと答えは出しますから」
「あぁ、待っているよ」
今時点はこれ以外の事を口に出来ない。この話はここで打ち止めだ。
「とにかく、会長はしっかりと療養してください」
「相分かった」
「それではお邪魔しました」
会長の両親と鉢合わせになるのは気まずい。
そそくさと退散させてもらう。
「――――ありがとう、神原……生徒会のことは任せたぞ」
「はい、任されました」
会長の離脱は痛い。けど、これ以上は無理をさせられない。
結論、俺が死ぬ気で働くしかない。
途中でエナジードリンクを買うことを決意して、鳳会長のアパートを後にした。




