3-2
「着きましたよ」
「あぁ……」
中井、落合南長崎、新江古田。
たった三駅ではあったが、会長はスイッチが切れたみたいに眠っていた。
いや、どちらかと言うと気絶に近かったと思う。結果、肩に会長の頭が乗っている状態で数分間を過ごすことになる。
髪からシャンプーの香りがして、倒錯的な感情を抑えるのに精一杯だった。
目を覚ました会長はふらふらと立ち上がって電車を降りる。
「大丈夫ですか? そこのベンチで休憩します?」
「いや、大丈夫だ……」
大丈夫なわけがないが、一刻も早く自宅で休んだ方がいいだろう。
もうひと踏ん張りだけ頑張ってもらいたい。
「分かりました。あとちょっとだけの辛抱ですから」
「うむ、余裕綽々だ……」
そう見えないから心配しているんです。それに心なしか会長の顔が赤い。もしかしたら発熱している可能性もある。
連日におよぶ徹夜、慢性的な栄養不足、免疫力が低下するのも無理はない。
「明日には仕事を再開しなくちゃいけないからな……」
「寝言は寝てから言ってください。二日三日は稼働できないと思いますよ」
「生まれてこの方、学校を休んだことがないのだがな……せっかく皆勤賞だというのに、勿体ないじゃないか…………」
「無茶をした会長の責任です。その罰を甘んじて受け入れてください」
「あはは、殺生な……」
声に活力がない。今日まで気力で保っていたのだろうけど、数分間のシャットダウンによって完全に弛緩してしまったようだった。
「神原、本当にすまないな……」
「そういうのは治ってから聞きます」
メンタル強者の会長も体調不良の状態では気弱になるようだ。
うわ言のように「すまない」「すまない」と弱々しく繰り返している。
「向日葵にも悪い事をしてしまった……」
「疲れているんです。真咲だって分かってくれますよ」
「君と向日葵が親しげにしているのが無性に妬ましくてな……普段なら苛立ったりなどはしないのだが……ましてや怒鳴り声を上げるなんて…………」
「今度、真咲にS定食でも奢ってあげてください」
会長シンパの真咲のことだ。
二人で仲睦まじく食事ができたら大喜びだろう。
あとはS定食を食べて満足してくれれば、俺がS定食を奢る件も有耶無耶に出来るかもしれないし(セコイ)。
「恋とは難しいものだな。きれいで美しい感情だけではない……」
「…………」
返す言葉がなかった。
一番の当事者である自分には答えづらい。当事者でなかったとしても、恋愛というものに懐疑的な俺である。この場において前向きな事を言える自信がなかった。
弱っている会長相手にネガティブな発言はしたくない。
それから会長の独り言のような言葉に反応したり、反応しなかったりしながら、会長が住むアパートを目指して歩いた。
「会長、オートロックを解除してもらえますか」
「あ、あぁ、暗証番号は――――」
建物入口の操作パネルに会長が開錠用の番号を打ち込む。鍵の回る音が聞こえたので、扉を開けて建物の敷地に足を踏み入れる。
二階の角部屋が会長の住んでいる一室らしい。会長がよろよろと廊下を移動する。
「神原、ひとつ要望があるのだが……」
「なんですか?」
「今、部屋がとんでもないことになっているんだ……掃除をする時間をくれないか?」
「却下です」
会長には今すぐにでも睡眠を取ってもらいたい。
俺に余計な気を回さなくていいのだ。
「いや、その……自分で言うのはあれなんだが……今、私の家は魔界だぞ? 意中の相手にこんな惨状を晒すのには抵抗があるぞ……」
「これも会長の自己責任です」
「そこをなんとか……」
思いの外、会長が食い下がってきた。
気持ちは分からなくもないのだが、この押し問答をしている時間すらも惜しい。
「安心してください。こんなことで幻滅したりしませんから」
「ぐぬぬ、分かったよ……ただ、本当に汚いからな……覚悟してくれよ?」
「だから大丈夫ですって。今は自分のことを考えてください」
義理とは言っても、俺には妹がいる。
男性=ガサツ、女性=キレイ好き、そんな固定観念はとうの昔に消滅していた。
黒花なんかはその辺に物を散らかしているし、廊下からチラリと見えた私室に関しては、お世辞にも片付いた部屋とは言い難い。
部屋の美醜に男女は関係ない。当人の性格次第である。
「で、では開けるぞ――ここが私の棲家だ」
会長が部屋の扉をゆっくりと開ける。
ごくりと唾を飲み込む。よくよく考えると女性の部屋に上がるのは初めてだ。背徳感と言いますか、悪いことをしている気分がする。
脳内にピンク色なイメージが広がるが、ぶんぶんと首を振ってかき消す。
よし、覚悟を決めて部屋の中を覗かせてもらう。
「うわ、汚っ!?」
「だから言ったじゃないか!?」
そこには『汚』の概念そのものがあった。
放送コードに引っかかりそうなので、具体的な描写は避けますが、こんな場所に人間が暮らしているとは到底思えない。
黒花、すまん。会長の部屋と比べたら可愛いものだったわ。
もはや引き合いに出すことすら申し訳ないです。
「むぅ、神原は意地悪だな」
弱り目に祟り目。追い打ちをかけるようなことをしてしまった。
会長はしょんぼりとしぼんだ顔をする。
「す、すみません! 体調不良じゃ掃除だったままならないですよね」
「一人暮らしを始めて二日でこうなった……」
「……な、なるほど」
あ、これがデフォルトなんですね。
「昔から忘れ物は多いし、靴下は左右違いで、整理整頓は不得意だ。今までが上手く行き過ぎていただけで、私にとってはこれが普通なんだよ……」
ここ数日で鳳朱音の多様な一面を見てきた。
そうして分かったのは、彼女にだって『弱さ』はあるということだ。
「俺が助けますよ」
「え?」
「生徒会の仕事だって巻き取りますし、この部屋だって今から片付けます。だから、会長は安心して休んでください」
会長の弱さを知って、俺は自分の役割を見出すことが出来た。
今なら彼女と向き合う資格があるような気がする。
「神原――私は――――」
会長が何かを言いかけたが言葉になることはなかった。
張り詰めていた糸が切れるように、廊下の壁に凭れながら膝をつく。
慌てて駆け寄るが、鳳会長は「すまない、限界だ。このまま眠らせてほしい」と呟いて意識を手放してしまった。
ものの数秒で「すーすー」と寝息が聞こえてくる。
「ここで寝たら身体痛くしますよ……」
声は届かない。となると、状況的にやることは一つしかなかった。
嘆息して、ガシガシと頭を掻く。
「すみません、触れます」
聞こえていないだろうけど、自分の納得感のために断りを入れる。
想像以上に小さい肩、スカート越しでも分かる柔らかい太もも。なるべく意識をしないように、変な部分に触れないようにと最大限の注意を払う。
腰に力を入れて彼女の身体を地面から離す。
「……軽すぎですよ、会長」
あまりの軽さに驚いてしまう。寝ている人間の重さじゃない。彼女の健康状態が不安になる重量に邪な感情など吹き飛んでしまった。
物が散乱する住居を恐る恐る進んで、衣服が散乱しているベッドを発見する。
上に乗った衣類を床に落としてスペースを確保。
制服がシワになってしまうのが心苦しいが、脱がせるという選択肢は存在しないので、掛け布団をそのまま被せる。
「ふぅー」
一段落と言いたいが、部屋の惨状に目を向ける。
「やりがいがありそうだな……」
真咲、申し訳ない。たぶん今日中にそっち戻るのは無理だわ。




