都合のいい男
「もしもし、今から来れる?」
夜十一時。
スマホに表示された名前は、美咲だった。
「うん、行く。」
俺は返事をして、財布だけを持って家を出た。
彼女とは付き合っていない。
それでも、呼ばれれば行く。
酔って帰れないと言われれば迎えに行く。
荷物が重いと言われれば運ぶ。
落ち込んだと言われれば夜中でも話を聞く。
「優しいね。」
その一言が欲しくて。
その笑顔を見たくて。
気づけば一年が過ぎていた。
「ありがとう! やっぱり健太が一番頼りになる!」
そう言って笑う彼女の隣には、別の男がいた。
「紹介するね。彼氏。」
頭が真っ白になった。
「え……。」
「ずっと言ってなかったっけ?」
言っていない。
一度も。
彼女は悪気なく笑っていた。
「でも健太は親友だから。これからもよろしくね!」
親友。
便利な言葉だった。
恋人には頼めないことも、親友なら頼める。
深夜の迎えも。
引っ越しの手伝いも。
泣きたい夜の電話も。
全部。
俺は「親友」の名札をつけた、都合のいい男だった。
その日からも連絡は続いた。
『迎えに来て。』
『相談ある。』
『暇?』
以前なら、すぐに返信していた。
でも、その日は違った。
スマホを見つめながら、俺は初めて返事を書き直した。
『ごめん。今日は無理。』
送信。
数秒後、既読がつく。
『え?』
『なんで?』
『冷たくない?』
画面を見て、小さく笑った。
今まで何度も無理をしてきた。
断れなかった。
嫌われるのが怖かった。
でも、本当に怖かったのは、自分を大切にできない自分だった。
『これからは、自分の時間を大事にしたい。』
送信すると、返信はしばらく来なかった。
やがて一言だけ届く。
『そっか。』
それだけだった。
一年間の関係は、たった三文字で終わった。
数か月後。
駅前のカフェで偶然、美咲と再会した。
「元気だった?」
「うん。」
短い会話。
もう胸は痛まなかった。
別れ際、彼女は少し寂しそうに笑った。
「健太って、本当に優しかったよね。」
俺は首を横に振る。
「違うよ。」
「え?」
「あれは優しさじゃない。嫌われる勇気がなかっただけ。」
そう言って笑うと、不思議なくらい心が軽かった。
都合のいい男をやめた日。
ようやく俺は、自分自身の人生を歩き始めた。
ここまではただの妄想です。
そうやって歩めればどんだけ生きやすいんだろ。
そう考えながらタバコに甘え、寂しさを埋める。




