第19話:門前に現れた男
遠くに見える森の入り口から、男がったった一人。のんびりとした足取りで歩いてくる。
その男がまとっている雰囲気は異様だった。
身長は175センチほど。一見すると細身の好青年に見えるが、筋肉質な体つきは見る者が見れば鋭利な刃物のような危うさを感じさせる。長く伸ばされた髪は丁寧に整えられ、髭はきれいに剃られており、全体的に清潔感がある。しかし、その人好きする笑顔の裏にはどこか胡散臭さが漂い、ただの旅人ではないことを如実に物語っていた。
村人たちは、その異様な佇まいに圧倒され、言葉を失う。
「誰だ、あれ……?」
「旅人——じゃねぇなぁ。赤鉤団のやつか? だが、たった一人で来るわけがねぇ」
見張り台の上で弓を構えていた村人が、仲間と顔を見合わせる。
その男は、黒い外套を羽織り、腰には剣を下げているが、それを抜く気配はない。手ぶらで、余裕すら感じられるほどの歩調でこちらへと向かってくる。
「——どうも、こんにちはっす」
村の門の前で、彼は軽く手を振りながら微笑むと、村の守りに就いていた者たちの手が反射的に槍や弓に伸びた。
過去の襲撃の記憶が、彼らの警戒心を研ぎ澄ませている。何度も死線をくぐり抜けてきた者たちにとって、敵の動向を見誤ることは命取りなのだ。
相手は一人。
しかし、それが逆に不気味だった。
武器も構えず、堂々と歩いてくるのは、ただの無謀か、あるいは何か裏がある証拠。これまでの赤鉤団の行動とは明らかに異なる。
弓を構えた村人の一人が、低く唸るように呟く。
「……こいつ、何を企んでいる?」
周囲の緊張感がさらに高まり、槍を構える村人たちの指先がわずかに震える。
緊張が村の空気を一層張り詰めさせる。誰もが男の次の一手を警戒しながら、武器を構えた。
「なんすかー? 笑顔で挨拶しちゃいけない決まりでもあるんすか? だったら申し訳なかったっす」
飄々とした態度のまま、男は周囲の殺気をまるで意に介していない。むしろ、面白がるように口角を上げてみせた。
セシリアが男の異様な雰囲気を察し、静かに前へと進み出る。彼女の手はすでに剣の柄にかかり、目は鋭く相手を射抜いている。その姿は、村を守る者としての強い意志を感じさせた。
「貴様。何のつもりだ」
門の前に立ちはだかるようにして、セシリアが男を鋭く睨みつけると、男は軽く肩をすくめながら、どこか楽しそうに微笑む。
「ちょっと待ってくださいよ~。そんな怖い顔しなくてもいいじゃないっすか」
「ふざけるな! 貴様は何者だ!? まさか旅人などとのたまうつもりではないだろうな?」
村人たちも”旅人の雰囲気ではない”と警戒を強め、広場の空気が緊張に包まれる。ある者は剣を握る手に力を込め、またある者は仲間と目配せしながら身構えた。
「まさか……本当に赤鉤団なのか?」
「……こいつ、戦闘時に見たことがあるような気がするな」
「ああ、ワシもじゃ。こやつは間違いなく赤鉤団の団員じゃ!」
声が次々と飛び交い、村人たちは混乱しながらもそれぞれ武器を握りしめ、いつでも戦えるように身構えた。赤鉤団と知れた以上、敵であることに疑いの余地はないが、たった一人で来た理由がわからない。
「何のつもりだ? 本当に一人で攻めに来たとか?」
「まさか降伏に来たとか?」
村人たちは、敵意と警戒の間で揺れ動きながらも、ひとまず門前に立つセシリアの動きを見守っている。
「そうっすねぇ……まあ、せっかくなんで名乗っておきますか」
男は一拍置いて、ゆっくりと名を告げる。
「オレはガルス・バラード。赤鉤団の副団長っす!」
その瞬間、村人たちの間に驚愕の声が上がる。
セシリアは剣を抜くと、剣先を男に向けた。
「まさか、副団長お一人で、村を攻め落とすつもりか?」
セシリアが剣を握る手に力を込めながら睨みつける。
村人たちも息を呑み、周囲の緊張がさらに高まった。
しかし、ガルスはまるで気にも留めないように、肩をすくめながらゆったりとした仕草で笑った。
「いやいや、そんな怖いこと考えてないっすよ。オレは話をしに来ただけなんで」
そう言うと、彼は気楽そうに辺りを見回しながら口笛を吹く素振りを見せる。
「ほら。戦うつもりなら、もっと大勢連れ立ってくるっすよ? それに、オレが一人で来た時点で、ちょっとは“なんか変だな”って思ってたりしません?」
そう言いながら、ガルスはわずかに首を傾け、口元に薄く笑みを浮かべた。その目がゆっくりと村人たちを舐めるように見回し、まるで彼らの思考を一つずつ読んでいるかのような鋭さを宿す。
言葉に詰まる村人たちを見て、ガルスはさらに微笑を深め、ゆっくりと足を踏み出す。軽やかな動作にもかかわらず、そこには揺るぎない自信があるように思えた。
「オレがこうやって歩いてくるのを見て、“何かの罠かもしれない”って考えたヤツ、いますよね——安心してください。罠じゃないっすよ」
村人たちの間に冷たい空気が広がる。まるで心を覗き込まれているような感覚に、彼らの背筋が凍りついた。
ガルスの目は、まるで獲物の逃げ道をすべて把握した狩人のように鋭く、ゆっくりと村人たちを見渡していた。その視線にさらされるたびに、まるで自身の思考すら手のひらの上で転がされているかのような錯覚を覚える。
「な、なんなんだこの男……」
誰かが息を呑む音が聞こえた。
ガルスの言葉に乗せられていることに気付きながらも、抗えない。
目の前の男は軽薄な笑みを浮かべながらも、確信に満ちた態度を崩さなかった。
——それが、たまらなく恐ろしい
ガルスは不意に視線をセシリアへと向ける。そして、静かに目を細めながら、まるで確信しているかのように呟いた。
「ね? みんな、もうオレの手のひらの上っすよ——なーんて冗談っす! オレは本当に話をしにきただけですってば。でも、ちゃんと副団長っぽかったでしょ?」
その瞬間、セシリアは剣を握る手にさらに力を込めた。村人たちも固唾を飲み、今にも戦闘が始まりそうな張り詰めた空気が広場を満たす。
だが、その緊張を吹き飛ばすように、ガルスは突然朗らかに笑った。
「いやいや、ちょっと怖がらせすぎましたね! 本当に申し訳ないっす」
彼はゆっくりと両手を挙げ、村人たちに敵意がないことを示すように、親しげな口調に切り替える。
「オレの腰の剣。なんだったら預けますんで持って行っちゃってください。それで少しは信用してもら得ませんかね?」
村人たちは戸惑いの表情を浮かべた。
ガルスの先ほどまでの鋭利な雰囲気が消え、まるで顔見知りに語りかけるかのような言葉に、嘘があるようにも思えないのだ。
「オレはね、本当にただ話をしに来ただけなんすよ。本当っす。あ、なんだったら縛ってもらってもいいっすよ?」
そう言って、ガルスはゆっくりと地面に膝をつき、両手を差し出した。その仕草はまるで、降伏を示しているかのようだった。
「さ、流石に豹変がすぎるというか……わけがわからねぇ」
村人の一人が戸惑いながら呟く。
ガルスはにっこりと笑いながら、柔らかい声で答えた。
「脅かしすぎちゃいましたよね? いやー、ほんと悪い癖っす。オレ、人を試すのが好きでして……でも、悪意はなかったっす。本当に」
彼のあまりにも自然な態度に、村人たちは互いに顔を見合わせる。完全には信用できないが、少なくとも先ほどまでの恐ろしい印象とは違う。剣も預けるというし、本当に縛ってもよいのか? と村人たちは互いに視線を交わした。
やがて、一人の村人が縄を持ち出し、ゆっくりとガルスに向かって歩み寄っていく。
「……ならば、お言葉に甘えさせてもらうぞ」
ガルスは肩をすくめると、ゆっくりと手を差し出し、気楽そうに笑った。
「どうぞどうぞ、しっかり縛っちゃってくださいっす。オレ、逃げませんから」
縄がガルスの両手に絡まり、村人がきつく結び始める。周囲の警戒は解けないものの、確かに彼は抵抗する素振りすら見せない。
ガルスは、安心させるようにさらに言葉を続けた。
「ね? こうやって縛られたら、もう何もできないっすよね? それでも疑うなら、どうぞご自由に。でも、お願いですから少なくとも話くらいは聞いてもらえません?」
その場に沈黙が広がる。セシリアも剣を握る手をゆっくりと緩め、村人たちも警戒心を少しずつ解き始めた。
「……話だけなら、聞いてやる。」
セシリアが静かに呟いた。
俺はセシリアの隣で、じっとガルスの表情を観察する。
——本当に、そのつもりなのかそれだけか?
ガルスの仕草や声色に、嘘や隠し事の気配を探るが、どうにも本気で”交渉しに来た”という顔をしているように見える。
「で? 何の話をしに来たんだ」
セシリアはガルスの腕を軽く押し、村の広場へ向かうよう促した。村人たちもそれに続き、縄で拘束されたガルスを取り囲みながら広場へと進む。
俺もまた、その場の流れに従いながら、ガルスの背後を警戒するようについていく。
広場に到着すると、村人たちは円を描くように集まり、ガルスをその中心に立たせた。
ガルスは相変わらず飄々とした態度を崩さず、口元に軽い笑みを浮かべたまま周囲を見渡した。
「いや~、皆さん強くて参っちゃいましたよ。こんな村見たことねぇっす。防衛力が“どこかの砦でかよ”ってレベルっすよね~」
「いや~、皆さんほんと強いっすよね、正直参ってるっす! こんな村見たことねっすよ。防衛力が“どこかの砦でかよ”って次元っすよね~」
ガルスは腕を組みながら、興味深そうに村の防御設備を眺めているが、心から称賛しているようにしか見えない。
「へぇ……すげ。外だけじゃなく、内部にも色々仕掛けてるみたいっすね~」
まるで職人が芸術品を鑑賞するような眼差し。ガルスの目は、ただ驚いているだけではなく、その構造を理解し、頭の中で戦略的に分析しているようにも見えた。
俺はそんなガルスの様子をじっと見つめながら、胸の奥に引っかかりを覚えた。
ただの賊なら、ここまでじっくりと敵の防御を観察しないはずだし、おそらく直ぐにはすぐには理解もできないだろう。それに、あの言葉……
——”どこかの砦でかよ”
俺はガルスの言葉を反芻しながら、その言葉、口調、態度、雰囲気を思い返す。あの発言はただの冗談にも聞こえたが、妙に確信めいていたように思える。砦での戦いを知る者だけが持つ、実感のこもった言い回し。どこか過去の経験を彷彿とさせる語り口。
直感的に、俺の背筋を冷たいものが走った。
「なぁ……まるで。実際に砦で戦ったことがあるみたいな言い方だな?」
その言葉を口に出した瞬間、ガルスは目を細め、嬉しそうに笑いながら肩をすくめた。その仕草は、図星を突かれたわけではなく、むしろ”よく気付いた”とでも言いたげだった。
「そりゃあ、オレ。元王国軍の部隊長っすからね~」
村人たちの間に衝撃が走った。
「な、なんだと……!? 王国軍の……?」
「そんな馬鹿な! 赤鉤団の副団長が、元王国軍の兵士だったっていうのか……?」
ざわめきは瞬く間に広がり、村人たちは互いに顔を見合わせながら言葉を失っていく。彼らにとって王国軍は、自分たちの暮らしを守る盾であり、絶対的な存在だったはずだ。その一員が、今目の前に立つ盗賊団の幹部であるという事実は、にわかには信じがたい。
セシリアもまた驚きを隠せず、眉をひそめる。
「戯言を……。貴様が本当に王国軍の出身だったというのか?」
彼女の声には疑念とともに、僅かな動揺のような、怒りのような感情が滲んでいた。
ガルスの言うことがもし本当だったとしたら? これは単なる盗賊団との戦いでは済まされなくなるかもしれない。王国の内情に絡む、より深い闇があるのかもしれない——そんな疑念が俺の胸をよぎった。
考えてみると、ガルスの振る舞い、口調、戦略眼——どれもただの賊のものとは思えなかった。
それがガルスの元々の素養なのか、それとも組織の中で磨かれたものなのかは分からいが、少なくとも俺には、コイツがただの賊には思えなかった。
「……それで?」
俺はゆっくりと息を整え、ガルスを見据える。
「元王国軍の兵士さんが、なぜ盗賊団の副団長なんぞをやっている?」
「そうっすねぇ……まぁ、せっかくなんで全部話しちゃいましょうか!」
ガルスはにやりと笑いながら、広場に集まった村人たちを見渡した。
「この赤鉤団がどうしてできたのか——その話をする前に、ちょっと座らせてもらっていいっすか?」
そう言うと、彼は自分が拘束されていることも気にせず、ゆっくりと腰を下ろした。まるでこれから始まる話を楽しんでいるかのように。
村人たちは依然として警戒を緩めないものの、興味を引かれたのか、次第に静かになっていく。
セシリアは剣を腰に収め、じっとガルスを睨みながら頷いた。
「……話してもらおうか。お前たちが、何者なのかを」




