第20話:赤鉤団の過去
※三人称視点※
その戦場には、血と鉄の臭いが充満していた。
空は曇り、重い鉛のような雲が垂れ込めていた。
湿った風が、腐った血液と肉の匂を運ぶ。
地面には、泥と血が混じり、あちこちに折れた武器や甲冑が散乱していた。
◆
王国北部、隣国との国境線。
ここは数世代にわたって戦火が絶えない地帯だった。
土地は痩せ、作物も育ちにくい荒涼とした環境。それでも、この地を制することは、両国にとって重要な軍事拠点を得ることを意味していた。
この場所には、戦争の火種が常に燻り続けていた。
農民の小競り合いから始まり、些細な領地争いに発展し、次第に駐留軍が増強され、最終的には国家間の大きな戦争に発展していく。
国境沿いに配置された王国軍の駐屯地が襲撃されると、報復として王国軍が敵国の前哨地を殲滅。こうして、前線は泥沼化し、数ヶ月にわたる消耗戦へと突入していく。
そんな、いつ終わるともしれない戦いの連鎖が、百年を超えて続いていた。
◆
今回の戦もまたそれに倣ったもので、両国の兵卒たちは、本心では”またかよ”と思っていたに違いない。
王国軍の指揮を執ったのは、軍部の最高司令官である『アウグスト・アッヘルト・フォン・エルバード公爵』だった。通称”王国の守護神と”と称される彼は、英傑と言って不足はない傑物である。
アウグストは厳格な軍人であり、また冷徹な合理主義者だった。王国のため、勝利のためならば、いかなる犠牲も厭わない苛烈な面を持っていた。
アウグストの采配のもと、王国軍は徹底した殲滅戦を展開していた。
敵を包囲し、補給路を絶ち、戦力を削ぎながらじわじわと追い詰める。その戦術は確実に勝利をもたらしたが、兵の消耗はそれなりにあった。
この戦いに駆り出されたのが、ザガン・ヴォルクが率いる混成軍である。
彼らは王国軍の正規兵と傭兵団で構成された寄せ集めの軍であり、歴戦の兵が多かったが、王国軍の主力ではなく、戦略の駒として扱われる運命にあった。
ザガン軍第一部隊隊長のガルスは言う——その日の戦場は文字通り地獄だったっす
泥まみれの兵士たちが、互いに剣を交え、槍が突き立て合う。悲鳴が響き、血しぶきが宙を舞った。斬り伏せられた者の亡骸が累々と積み重なり、戦場の一角はすでに屍の山となっていた。
「アウグスト閣下より通達! ザガン軍は最前線にて”囮として敵を釣れ”とのことです」
戦場を駆け巡る伝令兵がザガンに叫ぶ。
それを聞いたザガンは、苦渋に満ちた表情で前を見据えた。
「……また、捨て駒か」
堂々たる体躯を持ち、無骨ながら端正な顔立ちで、王都の娘たちから黄色い声を上げられることも多いザガンだが、もはやそれは見る影もない。
血に濡れ、土埃がそれを覆い、連戦の消耗で頬は痩け、仲間の死が彼の眉間に深い皺をきざん刻んでいた。
王国軍の鎧をまとい、手には長剣が握られていたが、その剣が鞘に収められることは、ほとんどなかった。
ザガンの眼前には仲間の兵たちがいる。どの顔も疲れ切り、傷だらけだったが、それでもなお立って戦い続けていた。
「聞いたな? 構わん! 逃げたくば、逃げろ。必ず死んだものとして報告し、罪に問われないようにしよう」
ザガンは低く言った。
戦場の兵士たちは互いに顔を見合わせる。だが、誰一人としてその場を離れようとはしなかった。
「まったく……これだから私も早々に死ねぬだ——征くぞ!!!」
ザガンの咆哮に、兵たちは剣を構え直し、覚悟を決める。
そして——ザガン軍としての最後の戦いが始まった。
◆
戦いの果て、ザガンの部隊は壊滅状態となった。
最前線飛び出した瞬間から、無数の矢が降り注ぎ、次々と兵が倒れていく。
仲間の叫び声、敵の咆哮、鋼が交わる金属音——それらすべてが、混沌とした戦場に響き渡る。泥と血が絡み合い、仲間と敵の亡骸が地を覆った。
ザガンは、血の滴る剣を握りしめながら膝をついていた。
彼の鎧は赤く染まっていたが、全身に無数の傷を負っているので、最早、自分の血なのか、敵の返り血なのか区別がつかない。
疲労と痛みに耐えながら呼吸を整える。
目の前には、わずかに生き残った仲間たちがいた。だが、彼らの目には絶望の色が浮かび、戦う力はもう残っていなかった。
「……終わった、か」
ザガンは唇を噛み締めながら、戦場を見渡した。
彼の部隊は持ちこたえ、王国軍の勝利を導いた。だが、その代償はあまりにも大きかった。
「千人いて、残った仲間は百人程度……か」
◆
アウグストの戦略は間違ってはいなかった。
彼の冷徹な判断によって、王国軍は敵を圧倒し、その勝利は確実なものとなっている。大勢は決したと言って良い。
「よくぞ囮の任を全うしたザガンよ……望む報奨を言うがいい」
戦後、アウグストはザガンにそう告げた。
「軍を抜ける許可をください。さらには我が軍の生き残りを頂戴できれば……と。騎士爵の身分は返上いたします」
ザガンは拳を握りしめ、叫びたくなる声を押し殺してはいたが、その目はしっかりとアウグストを睨みつけていた。
「……アウグスト閣下」
ザガンは絞り出すように言葉を発した。その声には激しい怒りと、深い悲しみが入り混じっていた。
「今回の戦いで犠牲になった仲間の多くは平民でした。王国軍の中でも、最前線に出される部隊の大半はそういう者たちです。その理由も理解しているつもりです。ですが——」
ザガンの鋭い目がアウグストを貫く。
「だからといって、彼らを捨て駒にしていいわけではない! 最前線に立つべきは、本来、練度の高い王国の精鋭であるべきなのではないですか!?」
アウグストはザガンの叫ぶような声を聞きながらも、身体は微動だにしない。それは、冷徹な軍神そのものだった。
「ザガンよ。お前が自ら”理解している”といったように、我々は精鋭部隊を失うわけにはいかぬ。平民の兵など、いくらでも補充が効く」
アウグストの声には、後悔の感情も懺悔の感情も含まれていない。彼にとって、それは当たり前のことでしかないからだ。
「精鋭部隊を育てるには、時間と金がかかる。だが、平民の兵士ならばそれほどの手間もかからぬ。その犠牲によって我々は確実な勝利を得、王国軍の戦力はさしたる損傷もなく維持された。何ら問題はない。むしろ称賛されるべき成果といえる」
その言葉に、ザガンの表情はますます険しくなる。
「……つまり、平民の命は使い捨てだ、と?」
「そう捉えたければ、そう捉えればいい。”王国軍としては痛手の少ない勝利だった”ということだけが肝要なのだ。わかるな?」
ザガンは、アウグストの表情を見つめ、その言葉を聞きながら確信していた。
——この男と議論をしても無駄だ
そもそも、命に対する価値観が違うのだ。
アウグストにとって、庶民の命は戦争の経費に過ぎない。しかし、ザガンにとって命とは、等しく尊きものであるのだ。
ザガンはゆっくりと視線を落とし、握りしめた拳を緩める。そして、静かに言った。
「ならば、閣下の勝利に私は必要ありません。やはり、軍を抜ける許可をいただきたい」
アウグストは一瞬だけ目を細めたが、やはり感情の感じられない言葉で告げた。
「——好きにしろ。貴様らが去ったところで、王国の大局には何の影響もない」
それがアウグストの、つまりは王国の答えだった。
こうしてザガンは王国軍を去り、生き残った仲間たちとともに赤鉤団を結成した。
その数は、百に満たなかったという。
◆
※直哉の一人称視点に戻ります※
ガルスの話が終わると、村の広場には沈黙が落ちていた。
「いや、重いって……。想定外に話が重いんですけど!?」
そんな感想しか言えなかった俺を許してほしい。
いや、作風がちがうというか、話が重すぎなんですけどぉ!?
「ですよね~。赤鉤団の結成の話って、ひたすらに重いっすよね!」
「で、あんたは軽すぎるんだよガルスさんっ! あんたもその重々《おもおも》物語の登場人物、且つ、貴重な生き残りじゃんか!」
「性分っす!」
キリっ! と表情を作るガルスが、本音ではどんな思いでここにいるのかは分からない。
ただ、この話が作り話でないことは、その語り口からして間違いないと判断できた。
「……それで? あんたらは王国に復讐するために、この村を手に入れたいってことか?」
俺の問いに、ガルスは苦笑する。
「正直、王国に勝てるわけがないってのは分かってるんすよね。でも、ザガン様は……オレたちの希望なんす」
ガルスはゆっくりと村を見渡し、破顔した。
「だから、オレを人質にしてほしいんすよ」
「……はぁ?」
「あ、でも絶対殺しちゃダメっすよ? あの人、怒り狂って襲いかかってくるんで。血濡れのザガンが再登場しちゃうっすからね!」
ガルスは冗談めかして笑うが、その瞳は真剣だった




