第18話:赤鉤団の苦慮と選択
奈落の森のごく浅部に位置する赤鉤団の拠点。
そこでは、焚火を囲む数人の団員が、疲れた様子で酒を回し飲んでいた。
「最近、様子がおかしいよな……」
誰もが口を閉ざし、焚火の揺らめく光をじっと見つめていた。団員たちの顔には疲れが滲み、表情には焦りや苛立ちが浮かんでいる。酒を煽る者もいれば、無言で膝を抱える者もいた。いつものように士気を高めるような冗談もなく、どこか沈んだ空気が漂っている。
今までなら、強奪した食糧を囲んで豪快に笑い合っていた。だが、ここ五日間で状況は一変した。村を攻めようとすれば迎撃され、森で狩りをしても獣に襲われる。まるで、自分たちの行動がことごとく読まれているかのようだった。
誰かがぽつりと漏らす。
「前はもっと楽に攻略できてたはずだ。なのに、今回はどうだ? 村を攻めれば迎撃され、森で狩りをしても獣に襲われる。まるで、何か見えない手が俺たちを締め付けているみたいだ……」
「……だな。村を殲滅するってんなら楽な話なんだけどな」
焚火を見つめたまま、別の団員が低く唸るように応じた。
「狩りに出た奴らが次々とバウルベアに襲われてるって話だ。アイツら元王国軍の弓兵だったんだぜ? 腕は立つし、装備だってそこらの狩人とは比較にならねぇ。それが無残な死に様で見つかったってよ……」
「バウルベアが大量発生でもしてんのか!? 今までこんなこと無かっただろ?」
誰もが焚火を見つめながら黙り込む。五日前までは、こんな不安に駆られることはなかった。俺たちは赤鉤団だ。村のひとつやふたつ、簡単に支配できると信じていた。それがどうだ? 今では戦うどころか、生き延びることすら難しくなっている気がする。
団員の一人が拳を握りしめる。
「こんなんじゃ、俺たちの理想なんて……」
その言葉が、焚火の中に消えていった。
誰もが口を噤む。
赤鉤団はこの村を落とすために動いていたが、この五日間で完全に流れが変わっていた。
焚火のはぜる音だけが、静かな夜に響いていた。
◆
ザガン・ヴォルクは拠点の中心にある帳幕の中で、じっと地図を睨んでいた。
その表情には落ち着きがあるものの、どこか慎重さが増していた。
眉間にわずかな皺を寄せ、目の前の地図を指でなぞりながら、次の一手を考えているようだった。焦りというほどではないが、手を打たねばならないという圧力が、静かに彼を追い込んでいた。
「団長、報告です」
幕の外から、斥候部隊を任せているミラ・ハーヴェイの声が聞こえた。
「入れ」
ザガンが言うと、ミラが帳幕に入り、フードを脱ぐ。
「密偵が戻りました。重要な情報が入っています」
ザガンは微かに眉を動かし、視線を上げた。
「……聞こう」
ミラが頷くと、幕の外から黒装束の男が進み出てきた。密偵だった。
「報告します」
密偵はひざまずき、低い声で語り始める。
「村の防衛を指揮しているのは、ナオヤ・タチバナ——奴は渡界者”でした」
「なに!? 渡界者、だと?」
ザガンの表情がわずかに険しくなる。
「さらに、ナオヤを連れてきたのはギルドの依頼を受けたセシリア・ローレンツ、金髪の女剣士といえといえばお分かりになるでしょうか? Fランクの冒険者ですが、剣の腕は確かです」
「あぁ、あの女か。F冒険者だったとは……それにしてはよく戦えているな」
「はい。ただし、実践経験が少なく、そこまで脅威にはなりません」
「確かにどこかチグハグな印象があったが……なるほど実践不足とは、得心がいった」
ザガンは再び地図に目を落とし、思考を巡らせる。
「つまり結局のところ、俺たちがこの五日間で見事にしてやられているのは、その渡界者——ナオヤ・タチバナの策か」
「その通りです」
ザガンの拳が、地図の上を軽く叩く。
「渡界者か。実際に存在していたとは聞いているし、その痕跡も確かに残っているが、伝説の存在みたいなものだろうに——まったく俺たちは何と戦っているのだ」
静かに漏れたその言葉に、幕の中が一瞬、沈黙に包まれた。
◆
その後、各隊からの戦況報告を受けたザガンは、厳しい現実を目の当たりにしていた。
「補給が厳しくなってきたな」
「はい。もともと奈落の森の恵みと備蓄でやりくりしていましたが、狩猟がままならなくなっています。補給路を確保しようとすると、戦力をさらに分散せねばなりません」
「それでは村の攻略はますます困難になるか……」
ザガンは深く息を吐く。
「……長期戦か、短期決戦か」
彼の脳裏には、二つの選択肢が浮かび上がる。
長期戦を選べば補給が必要になる。しかし、王国に救援を呼ぶ時間を与えてしまう上に、こちらの戦力は分散する。
短期決戦なら勝利は確実だが、村人の命を奪うことになるだろう。
「さて、どうしたものか」
そう呟いた矢先、帳幕の外から乱暴に布がめくられた。
「そんなの、決まってるだろ!」
乱暴に帳幕を開けて入ってきたのは、戦闘隊長のベルク・ドラズだった。
「村をぶっ潰しゃあいいんだよ! 短期決戦で全部終わらせりゃいい!」
ザガンは無言で彼を見据えた。
「俺たちの戦力なら、やつらを蹂躙するのは簡単だぜ? 手加減する必要なんかねぇ」
「……簡単に言うな。相手を殺さずに村を落とすのは難しい」
ザガンは呟くが、その声にはほんのわずかな迷いが滲んでいた。確かに、戦わずして村を支配できるなら、それが最善だ。無益な殺生は避けたい——その思いは彼の中に確かにあった。
しかし、それが甘さだとしたらどうだ? 目的を達するためには、時には犠牲を厭わない決断が必要なのかもしれない——いや、それでは王国のクソ野郎どもと何も変わらなくなってしまう……。
ベルク・ドラズはそんなザガンの葛藤を見逃さなかった。
「団長……俺はあんたのことを誰よりも尊敬してるし、信じてもいる。だがな、今ここで迷ってることで、逆に俺たちの命を削ってるんじゃねえのか?」
焚火の明かりが揺れ、ベルクの鋭い目が浮かび上がる。
「あんたは王国に裏切られた。俺たちは無情に……家畜みてぇに捨てられた! だからこそ、こうしてここにいるんだろ? 目的は王国への復讐のはずだぜ!?」
ザガンは黙ったままベルクの言葉に反論することなく耳を傾けた。
だが、その瞳に宿る迷いは、消えてはいない。
そこへ、副団長のガルス・バラードが静かに口を開いた。
「オレもベルグの旦那の言う通り短期決戦には賛成っすね。、その前に一つ試したいことがあるんすけど」
「何だ?」
「オレが村に交渉に行ってみるってのはどうすかね?」
ザガンが目を細める。
「……理由を聞こう」
「戦いの前に降伏の可能性を探るんすよ。オレたちの目的を説明すれば、戦わずに済む可能性もあるっすね。無理なら……その時は、ベルクの旦那に任せましょうや」
ザガンはしばし考えた後、ゆっくりと頷いた。
「いいだろう。だが、お前が危険に陥っても、俺は助けにはいけないぞ」
「分かってるっすよ。俺は元王国軍の部隊長っすよ? ザガン様の部下として戦場を駆け回って来たじゃないっすか。逃げるだけならわけねぇっす」
ザガンは彼の目を見つめ、深く息を吐いた。
「……お前に任せるぞ、ガルス。だが絶対に死ぬことは許さんぞ! その時は俺自ら村を殲滅することになる」
「心配しないでくださいっす。血濡れのザガン様なんて見たかないっすからね~」
こうして、赤鉤団の交渉役として、ガルスが単身で村へ向かうこととなった。
ザガンは、虚空を睨みながら、渡界者・ナオヤの存在を思い浮かべる。
「ほんと厄介なことになったっすねぇ~」




