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13.8年前ある島で

依頼人である浜崎組の社長令嬢、涼香を怒らせてしまい、日高孝男探しを打ち切られてしまった翼だったが、今度は、日高孝男のほうの父に、殺人現場に落ちていた日高孝男のライターを買い取ってもらうことと、日高孝男のボディーガードとして後輩鬼塚を雇ってもらうことを申し出る。するとその話を聞いていた翼に好意を抱く社長秘書谷本が翼のところにやってきて、ある有力な情報を提供する。

 社長秘書、谷本の言うところによればこうであった。

 谷本は、学生時代、日高孝男をリーダーとする、奥井、本屋敷の三人組と、少しばかり付き合っていた。奥井だけが清応大学ではなく別の大学で、谷本は麻雀の足りないメンツとして呼ばれたのが最初だった。

「僕もしばらくはそういった害のない遊びをする範囲では彼らにつきあっていたんですけど、ある事件をしおに、距離を置くようになったんです」

 谷本によれば、それは8年前、大学三年生の夏のことであった。四人は日高の四駆で九州に遊びに行った。そこで、長崎市内で、同じ旅行者の女の子の二人組をナンパし、車で、長崎半島の海岸沿いへとドライブに赴いた。そのときに有名な軍艦島、かつて炭鉱で栄えたが今は閉山、無人島となっている「端島(はしま)」へ行ってみようじゃないかという話になった。ところが、軍艦島の見えるところまで来たものの、海を渡るすべがない。すると通りがかりに何艘かのエンジンつきの漁船が繋がれている小さな漁港があった。そこで一人の若い漁師を捕まえてこっそり交渉した。漁師は、あの島は立ち入り禁止だからと言って渋っていたが、日高が強引にうんと言わせ、夕方にもう一度、漁師の船が彼らを迎えに行くということで、話がまとまった。しかし、そこで何をするかを察した谷本は仮病を使って、帰ることにしたのだった。

「ところが、長崎市内で一泊した翌日、長崎駅で列車を待っていると、そこで例のナンパした女の子のひとりにばったり出会ったんですよ。ふたりいた女性のうち、リーダー格でない、おとなしそうな子のほうでした。その子が、いきなり、僕の胸倉をつかんでこう言うんです。『どうして、あんた、止めなかったの?』って。彼女は明言こそしませんでしたが、どうやら、ひどいことがあったらしい。女の子はあの男たちの名前を教えろってすごい剣幕だった。僕は何も答えず、なんとか振り切って、その場を逃れるしかありませんでした」

「その女性の身元が分かること覚えてらっしゃいます?」翼が尋ねた。

「確か、リーダー格の女の子はマキ……なんとかって苗字でしたね。相志館大学の学生とか言ってたかな。正直、そんないい大学に行っているように見えなかったので驚きましたけどね。もう一人の僕につっかかってきた子は『ノン』って呼ばれてました。苗字は分かりません」

 そのようなことがあったものの、のちに谷本は当時、実家の事情で金が必要だったところに、日高孝男がプロスポーツ選手の如くの契約金を提示して日高建設にぜひ来てくれと懇願してきたために入社。翌年、留年した本屋敷も入社してきたのだという。しかし本屋敷はろくに仕事もせず、女子社員にセクハラばかりしていたので、外遊を終え、次期社長として入社してきた日高孝男により、一年前リストラの憂き目にあったとのことであった。

 語り終えた、谷本は冷めたコーヒーを一気に飲みほした。

「本屋敷さんと連絡はとれますか」

「引っ越してない限り、昔の社員名簿を見たら分かりますが」谷本はそう言うと、にやりとした。「でも、やっぱり、ただというわけにはいきませんよ」

「このコーヒーもね」

「文字通り一杯食わされたってわけか」

 谷本はすぐに電話をかけて、「本屋敷秀志」と記したメモに、その電話番号と住所を書き加えて、探偵に手渡した。翼は礼を言った。

「もしかして、本屋敷がやったんかなあ。奥井を」

 谷本は、腕を組むと、天井を見上げてこうつぶやいた。

「ありうることなんですか?」

「本屋敷は、日高には尻尾を振ってましたが、奥井のことは嫌ってましたからね。本屋敷自身が一度、僕にそう言ったのだから間違いない。いや、本屋敷のやつ、今となったら、日高のことも憎んでいるでしょう」

 谷本はそこで、やおら組んでいた腕を解くと、ふたたび身を乗り出した。

「で、僕が、あいつらと同類ではない、ということは完全に信じてもらえたのかな?」

「もちろん」

「それはよかった」

 青年が満足げな笑みを浮かべたとき、扉が開いた。遠慮がちな顔がのぞいた。

「あら、ごめんなさい」

 秋吉香織は、見てはいけないものを見たように、そそくさと顔を引っ込めようとした。

「これ以上、君を独り占めするわけにはいかないようだ」

 谷本は身を起こした。

「今度、一緒に食事でもどうですか」

「結構ね」

「電話しますよ」

 谷本は満足そうな笑みを浮かべると、颯爽と背を向けた。

 開いたドアのレバーハンドルに手をやったまま、入ったものか出ていったものか決めかねていた秋吉香織が、扉を押さえながら道をゆずった。

「どうも」と、ご機嫌に言いながら、青年秘書は去って行った。


「ご趣味のいい事務所ですね」

 ソファーにおずおずと腰をおろした秋吉香織は、白で統一された室内を見回しながら言った。

「お世辞を言いにいらしたの?」

 デスクから出てきた女探偵が気さくにそう返すと、秋吉は「とんでもない」とあわてて手をふった。

「わかってますよ。日高の野郎は見つかったかあって、おっしゃりに来たんでしょう?」

 秋吉が赤くなって「いえ、そんな」とまたあわてた。

「警察があなたのところにも来たでしょう?」

 翼がそう訊くと、秋吉はにわかに泣き出しそうな顔にになった。

「どうしたの?」

「刑事さんは……」

「刑事が?」

「私を疑っているようなんです」

「え?」

「私、実は……それで怖くなってしまったんです。もしかして私、冤罪を着せられるんじゃないかって……それで、私、怖くなってあなたのところに……」

「大丈夫、大丈夫」翼は笑った。「警察はとりあえず疑うのが商売なだけだから。それより日高孝男についての新しい情報を聞きたくありません?」。

「新しい情報?」

「ちょっとショッキングな内容かもしれませんが」

 翼が、もうひとり同業の仲間に説明したいので、ここに呼んでもかまわないかと訊いた。秋吉は了承した。

 鬼塚はいつもの騒々しい調子ですぐに来た。簡単に秋吉と挨拶をかわし、翼のデスクの前にあった革張りの回転椅子を転がしてきて、輪に加わった。

 秋吉の了解のもと、翼は、秋吉の妹が日高孝男とつきあっていたこと、そして遺書を残して自殺してしまったことを鬼塚に話した。鬼塚は、開けた口元を震わせた。

「それだけじゃないのよ」

 さらに、8年前の軍艦島の話が語られた。これには、鬼塚も秋吉も真っ青になった。

「そして、その第3のスケベ男の名が本屋敷」

 その名を聞くと、秋吉はさらに驚きの表情を見せた。翼は、先ほど谷本が書いた、本屋敷の住所と電話番号を書いた紙をふたりの前に示しながら言った。

「秋吉さん、知ってました? 日高と、この本屋敷という人が個人的に仲間だったってことは?」

「初耳です」

「しかし、そんな昔の話が……」

「かえって昔の話がぶり返すときだってあるわ」

 秋吉香織は、気分が悪くなったらしく、突然の訪問を詫びると帰っていった。

 翼と二人だけになると、鬼塚は、今の軍艦島の話の仕入先を問うた。翼はありのままを答えた。

「ど、ど、どうして、そいつ、翼さんのところに来たんです。どうして、そんなおせっかいを!」

「さあ、でも、悪そうな人ではなかったわよ。いい情報もらえたんだし、取引としては悪くなかった」

「取引って、こっちからは何を?」

「食事」

 鬼塚は、どう言っていいか分からないように口だけを動かしたあと、ため息をつくと、あごを引いた上目遣いでこういった。

「いったい何をたくらんでいるんです? 翼さん」

「200万ゲットに決まってるでしょ。今回みたいにお金持ちと関係持った時に、たんまり稼ぐのよ……って何よ。その顔?」

 鬼塚の顔にはいつの間にか穏やかな笑みが広がっていた。

「翼さんって本当にいい人ですね」

「どこが? 私はお金がほしいと言ったのよ」

「嘘だ」鬼塚は静かに言った。「日高孝男の悪事をあばくのは結局、涼香さんのためなんでしょ。彼女に、いやな人との結婚っていう自己犠牲をあきらめさせるための。やっぱり僕の勘は当たっていたな」

「何が当たってたって?」翼は顔をしかめた。

「翼さんと涼香さんは、気が合うはずだって言ったじゃないですか」

「合っていたら、喧嘩になったりしないわよ」翼は目を伏せ、大きく両手を広げた。それに対し、鬼塚は首を軽く振りながら続けた。

「あの人は、本気で、お父さんや、会社の社員さんのことを考えているんです。最初は僕も、わがままお嬢さんだと思ってたんですけど、あの人はそんな人じゃないです。いざとなったときの覚悟は決めている人です。翼さんだって、涼香さんのそういうところが好きなんでしょう?」

「そんな趣味ないわよ」

 翼は仏頂面になると、デスクに回り込んで座り、そそくさとノートパソコンをあけた。

「それより、私はまた調べなきゃいけないことができた」

「素直じゃないな……」

 鬼塚は慈悲じみたやさしい目で、キーボードを叩く先輩を見つめていた。


次回、翼は8年間軍艦島で起こったことの謎を探りに、ある地方のバーを訪れる。しかし、そこで得た情報は意外にも……。

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