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12.やり手秘書 谷本

依頼人である浜崎組の社長令嬢、涼香を怒らせてしまい、日高孝男探しを打ち切られてしまった翼だったが、今度は、日高孝男のほうの父に、殺人現場に落ちていた日高孝男のライターを買い取ってもらうことと、日高孝男のボディーガードとして後輩鬼塚を雇ってもらうことを申し出る。それに対しひとつの動きが出る。

 日高邸に『営業』に行った翌日の土曜日の午前中、(つばさ)は事務所で、ひとり無為に過ごしていた。客もなかった。

『オリエンタル・ティー』で昼食をとって、事務所にもどる。

 ホワイトボードの書置きを消してデスクに座ると、いきなりドアが開き、クラシックなダークグレーのスリーピースを決めた若い男が、颯爽と入ってきた。

「いい事務所ですね」

 男は笑みを浮かべて、部屋の中を見渡した。

「雨漏りでも探してらっしゃるの? 建物の修繕屋さんですか?」

 男は苦笑するとこう返した。

「勤め先は建設会社だから、当たらずとも遠からずだ」

 男は翼の真正面で仁王立ちになり、左手をズボンのポケットにつっこむと、首を心もち斜め下に向けて、右手で頭のうしろをかいた。

「やっぱり楽しい人ですね、あなたは。ようやくゆっくり話ができそうで、うれしいですよ。会うのはこれで3度目ですが、あらためて自己紹介します。僕、日高建設、社長秘書の、谷本正則(たにもとまさのり)です」

 谷本は、デスクに歩み寄ると、手品のように名刺を取り出し、翼の前に置いた。

 翼は明るい顔になった。

「それでは昨晩ご提案させていたいだ件、ご了承いただけたのですね?」

「いや、その件で来たんじゃありません」

 青年が両手のひらを翼に向けてそういったので、探偵の喜色はたちまち引いた。

「じゃあ、どうして、その話をご存知なんです?」

「そりゃ、僕も昨夜、話を聞いていましたからね」

「あの金魚ちゃんの一匹があなただったのね」

「ええ、あの水槽の横の鏡がマジックミラーです。とくとあなたという人を観察させていただきましたよ」

 谷本はやにわに歩み寄ってくると、翼のデスクの上に腰をかけた。

「あなたが不意に訪ねてきて、社長は面食らってましたよ。まんざらでもない感じもありましたがね。多分本音は気に入ってるんでしょう。モデルガンで大社長を手玉にとる君のことが」

 青年は女探偵のほうに顔を突き出すと、さらに言った。

「そしてそれは僕もなんですよ」

 探偵は社長秘書を上目遣いで見た。谷本は少し真面目な顔になると続けた。

「昨日、あなたが社長に推薦していた男は、あなたとどういう関係なんです?」

「話、聞いてらしたんでしょう? 同業仲間です」

「それだけ?」

「妬いてる?」

「残念ながら、認めざるを得ない」

「残念ながら、妬く必要のない関係」

「残念なんですか? あなたにとって」

「あなたをここから追い出す理由にならないのがね」

「ひどいな」谷本は笑った。「君は、僕がいつもこんな風に、いろんな女性のところに、姿を見せると思っているんでしょう?」

「ええ、思ってます」

「ところが、そんなことは一度もない。こんな失礼な振る舞いをしたのは、今日が初めてです」

「失礼って自覚はあったのね」

「男嫌いなんですか? 上条さんは」

「今日はそうかも」

「悪い日に来たみたいだな」

「あなたが来る日が、悪い日なのかもよ」

「そういうことは、言われたことがないですね。30年生きてて」

「30年も誰も忠告してあげなかったのね。日高建設の方って皆、そんな人ばかり?」

「そんな人? それはどんな人のこと?」

「女漁りが好きって意味よ」

 社長秘書は、立てた人差し指を頬にあてた。

「今も言ったように、僕は、女漁りなんてする人間じゃないんだけど。ま、とりあえず、その誤解を解くのはあとにするとして、うちの社のほかの誰が、女漁りが好きだっていうのです?」

「次期社長さんよ。行方不明になっている」

 谷本はしばらく翼の顔を見ていたが、やがてまた、うなじを掻く仕草を見せた。

「一緒にされちゃ、困るな。あいつと」

「あいつなんて言い方していいんですか」

「日高孝男と僕は、清応大学の同期生ですから」

「へえ」

 翼は顔を頬杖から浮かせた。

「俺、お前の仲でした。おっと。でも、そういう伝手で、僕が日高建設に入り、社長秘書になれたんだなんて思わないでくださいよ。秘書抜擢は、あくまで僕自身の能力によるものですから」

「コーヒー飲みます?」

「いいですね」

 翼はミニキッチンに入ってコーヒーメーカーをセットして出てくると、壁にもたれかかり腕を組んだ。

「ところで、そのあなたのご親友は今、どこにいらっしゃるのか、あなたはご存じない?」

「知りませんね」谷本は冷たく即答した。「それに、僕とあいつは、親友じゃない」

「俺、お前のあいだがらなんでしょう?」

「訂正します。それは学生時代の話。ま、どちらにせよ僕は、彼の親友だったこともありませんし、今もそうじゃない。あいつの親友は、君が死体を発見した奥井猛ですよ」

「谷本さんは、奥井さんもご存知なの?」 

「ええ、奥井は別の大学でしたけど、大学時代、何度か一緒に遊んだことがあります。しかし、あいつと日高も親友なんて言葉は適当じゃないな。あいつらは友というより、仲間なんです。分かりますか、友だちと仲間の違い。好き合っているんじゃなくて、あいつらは、結託しているにすぎないんです。結託して何をしていたかは、君も昨日の話しぶりでは、分かっているようでしたね。現場の女子事務員が自殺したという話まで」

 コーヒーメーカーが出来上がりを告げた。コーヒーを一口飲むと、青年がやや怒った顔で続けた。

「僕をあいつらと一緒にするなと言ったのはそこですよ。あいつらがそういう奴らだから、僕は距離を置くことにしたんだから。最低ですよ。あの3人は」

「3人?」

「ええ、3人です。あいつらは、女を物扱いし、最後は金でどうにでもなると思っているんです」

 男は、女探偵の鋭い目が突き刺さっているのに気がついた。

「信じてもらえないんですか?」

「昨日、いわゆる怖い人がここに来たわ。それと私をつけまわす探偵がいた。あれはやっぱり、社長さんの差し金ね」

「君は昨日もそんなことを言ってたが、それは本当?」

 秘書はおだやかに言ったが、翼のほうは相手の顔につばでも引っかけそうな顔になっていた。

「日高社長も、その息子さんも、とんでもない人たちね。その下で働いているあなたもそうなのかしら」

「ちょっと待ってください」

 青年はふたたび怒りをあらわにしたが、翼は続けていた。

「日高孝男たちはね。遊んで捨てた女たちの亡霊に狙われているのよ。おそらく日高孝男が、奥井猛の死体の第一発見者じゃないかしらね。日高孝男は、その場所で次には自分が狙われることを知った。どうして知ったかは分からない。もしかして、次は自分だという証拠がそこにあったのかもしれない。そして、それを残していたら、自分の過去の悪行を警察に追及されかねないから、それを持って逃げた。そのときにライターを落としたけど、もう現場には戻りたくなかった。だから、そのまま行方をくらました」

「ありえますね」秘書は平然と言った。

「何か心当たりがあるんですか?」

「上条さん、君はやっぱり日高孝男を探していたのですね?」

「本当はそう。私の依頼人は、日高孝男さんにいなくなられたら困る方です。もっとも私には、その方自身が、本当に日高孝男を必要としているとは思えない。いや、むしろ私は、日高孝男の正体を見せて、その方に目を覚ましてもらいたいがために、日高孝男を探していたんです」

「話を聞いてると、その依頼人は、あなたのとても大切な人という印象を受けるが」

「また妬いてる?」

「かもしれない」

「女の友だちよ」

「そうでしたか」

 谷本は素直に安堵の顔を見せた。

 しばらくふたりは黙ってコーヒーを飲んだ。窓の外で数人の女子中学生のはしゃぐ声が聞こえた。谷本がコーヒーカップを置いて、にわかにあらたまった口調でこう言った。

「僕はあなたに、日高孝男を見つけるための鍵になるかもしれない情報を提供させてもらいますよ」

「ただで、じゃなさそうね」翼はにんまりした。

「ええ、ひとつだけ条件があります。日高孝男や奥井猛と、僕が同類でないことを信じてください。ならば、話します」

「もう、信じていますよ」

 谷本も笑みを見せると、ややためらいを含んだ語り口で語りだした。

次回、秘書谷本は、事件の鍵となる衝撃の古い事件を語る。

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