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14.ある地方のバーのママ

事件の謎を解くカギを求めて、翼はある地方のバーを訪れた。

 午後5時。新幹線と在来線が並びあった浜松駅の北西、遠州鉄道の始発駅のすぐ西にある歓楽街は、青とオレンジの混ざり合った空の下、人工照明のドレスを着用しはじめていた。

 その中にある雑居ビルの4階、エレベータのドアが開き、グレイのコートを羽織った女が降りた。黒い鰐皮のハンドバッグを左肩から下げ、右手にはコンビニの袋をつかんでいる。そして、「BARドレミ」と書かれたサインを飾った扉の鍵穴に、ハンドバッグから出した鍵をねじこんだ。

 かわいらしい鐘の音を響かせて扉をあけ、暗闇の中にあるスイッチを押す。天井に埋め込まれたピンライトが、赤と黒を基調としたインテリアのバーを現出させた。

 女はカウンターにもぐりこむと一番奥にある細い扉をあけて中に入った。二畳の広さもない空間に、化粧台と布張りのストールが置かれていた。女はコートを脱いでロッカーに入れると、ストールに腰をおろし、化粧を直し始めた。

 そのとき、入り口のドアがまた鐘の音を響かせた。ママは鏡に向かったまま言った。

「レナちゃん? 早いじゃない。お寿司あるわよ」

「いいえ、まだ開店前ですか?」

 女の声で、そう返事があった。化粧を直していた女は口紅を化粧台に立てると、店のほうに出た。カウンターの向こう、入り口のドアの前に、黒服の背の高い女が立っていた。

「もうあけますけど……それとも、何か御用?」

 ママはそう言って、化粧の薄いその女の顔と体に、いぶかしげな視線を上下させた。

牧村亜美(まきむらあみ)さんですね?」と来客者は言った。

 バーのママは、数秒の間を置いてから、「ええ」と言った。

 女は名刺を出した。ママはそれを片手で受け取ると、声に出して読んだ。

「上条探偵事務所……上条翼(かみじょうつばさ)……」

 ママはゆっくりと視線を探偵のほうに移した。その表情は警戒の色で満たされていた。

矢持伸子(やもちのぶこ)というかたの消息をご存知ではないかと思ってお邪魔しました。学生時代、お友達だったとうかがったもので」

「誰から?」

日高孝男(ひだかたかお)という方」

「日高?」ママはしかめていた顔をさらにしかめた。

「ご存知……」

「……ない。何者、その人?」

「とある建設会社の社員さんです。少しあなたと矢持さんとおつきあいしたことがあったとおっしゃってましたよ」

「この商売、お客さんの顔は皆、覚えてるわ。それで私のメモリーはいっぱいなの。だから、つきあった男のほうはみんな忘れることにしてる」

 ママは引き出しからメンソールの煙草を出すと、口にくわえ、ピンクのライターで火をつけた。

「まあ、お掛けなさいな」

 翼は、高いストールに腰掛けた。

「ビール、いただけます?」

 ママは何も言わず、火のついた煙草を灰皿に置くと、けだるげに身をひるがえし、背の低い冷蔵庫の扉をあけて瓶のビールを出した。そして、露をぬぐい、栓を抜くと、音符の描かれたコースターの上に長いタンブラーを立て、片手でビールを注いで、客に押し出した

「ノンのことで調査というけど、ここまでどうやって、たどりついたの。もうあの子とは7,8年会ってないんだけど」

 探偵はママの出た大学の事務局に電話して、ママの住所を確認させてもらったと言った。

「大学に確認しただけでよく分かったわね。この店が」

「事務局で教わった番号に電話をかけたら未使用になっていたので、今朝、そのご住所のほうにじかに伺ったんです。そこで、ご近所の人に教えてもらって、このバーまでたどりつきました」

「西隣りの松浦さんでしょ。しゃべったの」

「忘れました」

「ま、どうでもいいけど」

 ママは、背中を向けると、タンブラーをもう一本背後の棚から取り出した。

「私もいただいていい?」

「仕事の前によければ」

「大丈夫よ」

 ママも、ビールを自分のタンブラーになみなみと注いだ。ふたりは同時にグラスに口をつけた。

「で、ノンの何を調べてるの?」

「今のお住まいを」

「ちょっと前までアメリカにいた。今はもっと遠いところ」

「南米とかですか?」

 ママは首をふって、真上を指さした。

「あの子、アメリカ人と結婚したの。ロサンジェルスに住んでいたらしいんだけどね。うまくいかずに1年持たずに別れて……そのあと、向こうで死んだ。自殺よ。リストカット。もう一年たつかな」

「そうだったんですか」翼は、目の前のタンブラーをつかむと一気に飲み干した。「しかし、今どちらにおられるか、それが分かっただけでよかったです」

「もう一本いく?」

「ええ」

 ママは2本目のビールを出して、探偵のタンブラーについだ。

「ところで、矢持さんの自殺された理由はご存じですか?」

「もう一杯もらえる?」

 今度は翼がビール瓶を差し出した。ママは煙草を置いて、酌を受けると、勢いよくビールをのどに流しこんだ。

「男遍歴が激しかったからね。そのことが向こうの旦那にばれちゃった。最初はノンもアメリカ人はそういうこと気にしないと思ってたみたいだけど、当てが外れたんだ。それで絶望して死んだ」

「ご本人からそう聞かれたんですか」

 ママは赤い唇から上向きに鋭く煙を吹き出すと、首をふった。

「自殺した理由は私の推測。でもノンの性格や、情報の断片からして間違いないと思う。そういう私も2回離婚してる。もうすぐ3回目」

「ところで矢持さんが長崎の軍艦島で妙な体験をなさったと聞いたことがあるのですけど、ご存じないですか?」

「軍艦島?」

 ママの表情がまた警戒したものに変わった。ママは新しいタバコを箱から抜き取りながら言った。

「さあ、知らないね」

「タバコ、火ついてますよ」

 ママは無表情なまま、抜いたタバコを箱に戻して、灰皿にある紅のついたタバコをもみ消し、タンブラーを手にした。

「ノンがそこで何かあったとでもいうの?」

「いえ大したことではないのです」

 探偵はタンブラーに口をつけて大きく傾けた。

「もう一本いく?」

「いえ、結構です。これ以上飲むと、必要経費に入れにくいですから。そろそろおいとまします」

 探偵はストールを降りながら言った。ママはぎこちなく笑った。

 探偵は勘定を訊いた。

「情報提供料として高くいただきたいところだけど、千円でいいわ。その代わりひとつお願い聞いてよ」

「何でしょう?」

 ママは真剣な顔で言った。

「ノンの今の居場所がわかればいいんでしょ。だったら、それ以外、私のしゃべったことも、ここに来たことも全部忘れて」

「忘れます」探偵は微笑んだ。「他のことでメモリーがいっぱいなので」 

「……ありがと」

 ママはやはり無表情なまま礼を言った。

 ごちそうさまを言い合って、扉をあけたところで、翼は、赤茶色に髪を染めた派手な格好の女の子と鉢合わせた。女の子は「どうぞ」といいながら、上目遣いで道をあけた。

「ありがとう、レナさん」

 黒ずくめの女は、そう言って夜の街に消えた。

「今の人、どうして私の名前を? ……誰なんですか?」 

 女の子は、開店前にビールをタンブラーについでいるママをも不思議そうに見ながら訊いた。

「今のが有名なシャーロック・ホームズ先生よ」

 ママは残ったビールを勢いよくあおった。

次回、ついに第二の殺人事件が起こる。

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