143 憧れ ②
いよいよ元ブランカのメンバーがそれぞれ動き出した。
結局、自らのバンドを立ち上げたJun以外は全員がプロの道へと目を向ける。
そして優奈が立ち上げる事務所もあとは専用携帯電話の用意と事業登録を残すだけとなった。
勝也のプロとしての扉を開けるのは優奈である。
その決心は揺らぐことは無いものの、自分が立ち上げたその日から勝也にプロの肩書を持たせることになるという緊張感は徐々に膨らんでいた。
ある日、優奈がランチルームのテーブルにみんなで座っていると勝也がヒョコッとやってきて
「優奈ぁ、俺の財布は?」
「え?今日ATMでお金足してくるからあたしが持っとくって言ったでしょ」
「そうだっけ」
「ホンットに何にも聞いてない…」
「あ、じゃあ電車代は?俺今日バイトなんだけど」
「だからさっきその分のお金だけ渡したじゃん!」
「え…あれそうだったの?……使っちゃった」
「はあぁっ?!何にっ?」
「耕平とジュース飲んだ」
「もぉぉ…何してくれてんのよぉ」
眉間にしわを寄せながら自分の財布を開けると今日2回目の電車代を渡す。
「今度これ使っちゃったら歩いて帰ってきなさいよっ!」
「…はぁい……」
周りにいた人間は全員肩を震わせ笑いを堪えるのに必死だった。
まるで子供のように怒られシュンとなって去っていく勝也。
その姿が見えなくなると
「ぎゃあっはっはっはっはっは!!!!」
「相変わらず大変だねぇ」
「もぉホンットにハラ立つ…何にも考えてないんだもん」
「あいつ優奈がいなかったら生きてけないんじゃない?」
そんな会話も日常茶飯事なのだが、そんなやり取りさえも周りから見れば羨ましいのだ。
その光景をいつも遠くから見てはため息をついている生徒がいた。
「…いいなぁ……」
1年生で真面目キャラの石崎 晋平。
いじめられてはいないが友達もいない。
つまり存在感が無いのだ。
ヒョロッとした細身でメガネ。
色も白くて髪も手ぐしのみ。
身長は普通にあるものの特徴という特徴は全く無い男だ。
ある日の帰り道、校内から門を出ようかというところで晋平の前を勝也と優奈が並んで歩いていた。
全員が一気に下校するタイミングだったため結構な人混みの中、気づけば2人の会話が聞こえるほど近くに押し寄せられる晋平。
2人がお揃いでつけているBurberryさえも香る距離でドキドキしていると
「お前今日バイト休みだっけ」
「休みは明日だってば。でも今日は早上がりだから先に帰ってご飯作っとくよ」
「カレーがいい」
「今日はもう決まってんの。カレーは今度の休みに作ったげる」
「…ちっ…」
「あー!舌打ちしたぁ…」
そんな会話がハッキリと聞こえてきた。
校内一の美人・優奈を彼女に持つ校内一の有名人・勝也。
その2人の会話は普通に話していても別世界のように聞こえる。
(『優奈ぁ、今日カレー作ってよ』『またぁ?ホントに晋平ってカレー好きだよね。いいよ、作ったげる』…なんてね…)
頭の中では優奈が晋平の横で嬉しそうに笑いながらギュッとくっついて歩いている妄想シーンが描かれ、気づかぬ間にニヤニヤと笑顔になっている。
周りからは少し気持ち悪そうな目で見られてしまっているが、本当に優奈に惚れているというよりは憧れの人という感じで本命は別にいるのだった。
「安東先輩の手料理かぁ…松下先輩はいつも当たり前に食べてんだろなぁ」
自分にとってはもちろん妄想の中だけの世界だが、それを毎日現実として過ごしている勝也が羨ましくて仕方なかった。
そんなある日の休み時間。
次の授業に必要なプリントを運ばされていた晋平がトイレ前を通った時出会い頭に人とぶつかった。
「わああっっっ!!」
「わっ!!…いってえぇぇぇぇ……」
その衝撃と共に持っていたプリントは見事に廊下にバラ撒かれてしまう。
「…おっと…悪い悪い」
自分がよそ見をしていたせいもあってすぐにプリントを拾い始める勝也。
「わっ!ま、松下先輩…あの!いいですから!自分で拾いますからっ!」
「そういう訳にはいかねぇって、俺のせいだし」
二人がかりで全てのプリントを拾うとそれを晋平に渡す…が、その時ふと晋平の手が勝也の視界に入った。
「よぉ…お前ギターかベースやってる?」
「…えっ…ど…どうして……」
「左手見りゃわかるよ、そんなに指先だけ皮が分厚いのは弦楽器やってる証拠だ。…ベースだな?」
「え…そこまで…」
「ギターならもっと幅が狭いはずだよ、弦が細いんだから。その指はあの太い弦を押さえてる指だ。どこの?」
「あ…Sadowskyです、父のお古なんですけど」
「へー、JB系か。…いい音する?」
(…スゴい…僕、今あのKATSUYAさんとベースの話してる…)
そんな中優奈が通りかかる。
「どしたの?」
「おぉ、こいつ…えっと…お前名前なんていうんだ?」
「あ、えっと…石崎 晋平って言います…」
(う…うわ…安東先輩まで…ヤバ……)
「晋平か。こいつSadowsky弾いてんだって」
勝也がグイッと晋平の手を掴んで優奈に見せる。
すると優奈がその晋平の指先に触れた。
(わっ!!触られた!!)
「へー、弾いてる手だね。Sadowskyって確か今はwarwickが作ってんだっけ?」
「え…あ、安東先輩も詳しいんですか」
「優奈も俺とおんなじkiller使いだからな」
「ええぇぇ??2人揃ってkillerって…カッコいい…」
校内一の有名カップルと晋平。
どう見ても接点の無さそうな組合わせのはずが、勝也のテンションの上がりようから楽しそうな会話に見える。
廊下での出会い頭の衝突で勝也と優奈に顔と名前を憶えられたのだった。
本当ならば勝也や優奈と話せるようになったという事は存在自体が目立ってくるという事に直結してしまうのだが、限りなく存在感が薄い晋平はそれさえも気づいてもらえない。
だが校内ですれ違う事があると勝也や優奈から目で挨拶してもらえる関係へとなっていった。
それからしばらく経ったある日の昼休み
校舎と校舎の間の中庭で、ド緊張の表情をした晋平が女子にプレゼントを差し出している。
「…あの…これ…貰ってくれませんか」
「え?」
「…いきなりで申し訳ないんだけど、その…誕生日だって聞いたんで…」
晋平が以前から好意を持っていた美咲の誕生日に勇気を振り絞ってプレゼントを渡したのだが…美咲はそのプレゼントのラッピングを荒っぽく破るように開けて中身を出すと
「何コレ…香水?」
「あ…うん…」
すると美咲はその香水を嗅ぐこともせずに目の前でいきなり手から離し、わざと地面に落とした。
パリィン!
当然ビンは割れてしまう。
「…あっ…」
呆然とする晋平に
「ちょっとヤメてよぉ、アンタなんかにプレゼント貰ったってだけであたしが笑われちゃうじゃん!」
「…え……」
「誰にも言わないでね、恥ずかしいから!」
そう言って逃げるように立ち去ろうとする美咲だったが、通りすがりの男友達・三島と森川に見つかってしまう。
「あれ…美咲じゃん。なになに、石崎なんかに呼び出されちゃって…ひょっとして告られたとか?」
「ちょっ…そ、そんなわけないじゃん!!」
「え~?あっやしいなぁ」
「…ホントに迷惑なんだけどっ!!」
「なんだよ石崎ぃ。お前が美咲呼び出すなんて警察に捕まっちまうぞぉ?」
「はは、お前は人並みの事するだけで迷惑なんだからよ」
「…そ…そんな…」
「だから言ったでしょ!ホントに気持ち悪い…」
今までイジメを受けていた訳ではなかったものの扱いはそれ以上にヒドいものだったようだ。
俯き、何も言い返せずに唇をかみしめる晋平だったが
「おっ、しんぺー発見!」
「ん?ホントだ」
「えっ?!」
そこを通りかかったのは美咲が崇拝し憧れ続けている優奈。
しかも隣には勝也までいる。
だがその2人はたった今3人で暴言を浴びせ続けていたこの男を知っているようで
「…な…なんで…」
美咲の足元で割れている香水のビンに気付く優奈。
それを見て目つきが変わりスッとそこにしゃがみこんでビンの欠片を集め始めた。
「あ~気に入ってもらえなかったかぁ。やっぱ香水って好みあるもんね。ごめんね晋平、あたしの調合がヘタクソだったから」
「いや!あの…そんな…」
慌てて晋平もしゃがみ一緒に欠片を拾い始める。
「優奈先輩の調合って…ひょっとして沙耶先輩とか春ちゃんだけがつけてるあのオリジナルの…」
Alesisの取引業者との関係で涼子と共にオリジナル香水の開発にも携わっていた優奈。
森川や三島も完全に固まっている中で美咲の顔が蒼白になっていく。
「なぁんだ今日だったのか、お前がプレゼント渡すんだって張り切ってたの」
「…え?…え?…ど、どうして…」
存在感も無いような無名な男のはずの晋平がなぜこの2人と…
しかも女子なら誰もが喉から手が出るほど欲しがる優奈オリジナルの香水まで…
頭の中がパニックになる美咲。
「ま、仕方ないね。何事も経験だ」
優奈が晋平の髪をクシャッとする。
どうみても親しそうな関係だ。
「…あ…あの…い、石崎…クン?…えっと…」
急に態度を変える美咲だがそれまでの雰囲気は完全に優奈達にはバレてしまっていた。
少しギラッとした目つきを美咲に向けると
「ごめんね、『ウチの晋平』が声なんかかけちゃって。迷惑だったよね」
「…ウチのって…いや、あの…そんな…」
そこへ勇太と洋司と蘭が通りかかる。
「おっ、晋平じゃん」
「なに、まぁたなんか怒られてんのぉ?」
「…えっ?…えっ?」
もう何が何だか分からなくなってきた。
勝也と優奈だけでなくあのJUNCTIONのメンバーまでもが晋平を知っているようだ。
「な…なんで石崎クンが…」
「なんでって晋平は俺達の仲間だからだけど?」
「…仲間っ?!」
「まぁ知らないだろうけどね。なかなかの音出すんだよ、この『ベーシスト』」
「まだ耕平のバンドに入ってあげる気にはならないみたいだけど」
「…耕平先輩のバンドに…入…る?」
最近校内で噂になっていた。
あのJUNCTIONの耕平がついにバンドを組もうとしているという。
文化祭でのあのユニットとは別に校内でバンドをやろうと決意したという噂だった。
そして耕平に誘われる光栄なメンバーは誰なのか…そこが学校中の注目だったのだが
「あんだけしつこく誘われてんのになんで入ってやんねぇんだよ」
「ベースは絶対晋平じゃないとダメなんだ!ってゴネてたじゃん」
「だって僕なんかじゃ…」
「だからお前は充分通用するベーシストだって何回も言ってんだろーが」
ついさっき自分がヒドい言葉で傷つけた存在感のない男は実はこの学校で一番有名なグループに『仲間』と呼ばれる人だったのだとたった今知った美咲。
「ま、今日の晋平はちょっと傷心だからあんま責めちゃダメだよ(笑)」
「…はは…」
「しょーがねぇからまたみんなでなんか食わせてやるか」
「やった!宴会だ!」
「良かったじゃん晋平、何食べたい?」
「…あ…じゃあ…優奈先輩のカレー…」
「あ!てっめぇ思い出した…こないだ俺の分まで食いやがって!」
美咲や森川たちはもう完全に蚊帳の外。
「またぁ?ホントにベーシストってカレー好きだよね(笑)いいよ、作ったげる♪」
結局、少し理想とは違いながらも晋平の妄想の世界が現実になってしまっていた。
「こらぁ晋平!なんであたしの麻婆豆腐じゃないのよっ!!」
「いたた!だって蘭先輩のは辛すぎて…」
蘭にガシッとヘッドロックされワイワイ騒ぎながら去っていく集団の中にいる晋平の背中を見て、逃した魚のあまりの大きさに泣き崩れる美咲だった。




