第七の不思議「クローズド・サークル」
「起きろっ!」
厳つい目が俺を見下ろしていた。
「なに寝てんの?」
そう言って顔の前に灯りを持ってくる。
筒状の物体がぼんやりと持ち主の顔を照らしている。
「……部長?」
提灯という時代錯誤な灯りを手に持つのは我が部のボスだった。
そりゃ部長以外にこんなものを持ってくる奴はいない。
どうやら俺は横になっているようだ。
部長が壁に立っていると思ったが、髪の垂れ方を見るにどうやら違った。
「あれ……ここは?」
上半身を起こして左右を見れば、だだっぴろいグラウンドに、勤勉な二宮金治郎像。
後ろには台風がくれば飛びそうな旧校舎が曖昧な存在感とともに建っている。
「目ぇ覚めた?」
あれは、夢だったのか?
あんな高いところから落ちて無事なわけがない。
もしかしてここは死後の世界だったりするのだろうか?
「目ぇ覚めたかって聞いてんでしょ!」
部長が俺の脇腹をつま先で蹴ってくる。
脇腹に蹴られた衝撃が走る。
確かに痛い。
……てか、ほんと痛い。
「起きてますから! そんな何度も蹴らないでくださいよ!」
慌てて立って、蹴りから逃れる。
どうやら夢ではないようだ。
「さっちんはまだ来てないみたいね」
さっちんとは貞子先輩のことだ。
部室にいたときに部長がそう呼び始めた。
そうだ、一緒に落ちた貞子先輩はどこに行ったんだ。
「貞子先輩は?」
「来てないっつってんでしょうが!」
尻を蹴られた。
「……遅いわね」
待ち合わせの時間になっても貞子先輩は来なかった。
連絡をしようにも俺は先輩の電話番号を知らない。
「私も知らない。なんたって今日知りあったばかりだしね」
そのわりには仲良く話していた気がする。
「行きましょう! 不思議が私たちを待っているわ!」
ちなみに待ち合わせの時間からまだ一分も経っていない。
部長はとにかく気が短い。待つことができない人種だ。
そういえば、貞子先輩も待つのが嫌だと言っていた。
そういう部分で気があったのかもしれない。
それに夢の最後で先輩は言っていた――待ってるから、と。
もちろん夢の中での出来事だから意味なんかない。
それでも俺はあの言葉が引っかかっていた。
ワルキューレの騎行を鼻で歌いながら、旧校舎に猛然と向かっていく部長。
いつか見た戦争映画を思い出す。さながら我が部長は動けない旧校舎を襲撃するヘリのようであった。
俺も後に続く。
旧校舎の入り口の扉を前にして俺の足が止まる。
入れば、またしてもあの不思議に巻き込まれるんじゃないだろうか。
「なにぼけっとしてんのよ」
部長が俺の胸元を掴み旧校舎の中へと引きずり込む。
そのまま足で勢いよく扉を蹴って閉める。
蝶番が悲鳴を上げていた。
ルートは奇しくも夢と同じだった。
正面の階段をずかずかと上がって三階へ。
途中で先輩と合流することも階段が増えることもない。
もちろん月光の調べも流れてこない。
音楽室を開けても窓はきっちり閉まっていた。
ピアノは相変わらず埃を被り、弾かれている様子はない。
ベートーベンの肖像画にライトを当ててみても俺のスマホに運命は流れない。
音楽室を出た後は、二階に下りて廊下を歩く。
廊下の先は、電灯が余裕で届いている。
背後から蠢く音が聞こえ慌てて振り返ったがゴキブリが一匹、カサカサ移動していた。
このあたりから俺はもう安堵しきっていた。
やはり夢は夢で、現実は現実。
怪談なんて幽霊の正体見たり枯れ尾花だってことだ。
すっかり気の抜けた俺は上を見る。
「4―4」
油断していた俺の心臓が一気にフルアクセルを踏み込んでいた。
まばたきしてみても、教室のプレートは「4−4」である。
横を見ると先輩のニタニタした顔があった。
これはたいへん喜んでいる顔だ。
どういう喜びかと言えば、俺をからかって遊んでいる喜びである。
「よく見てみなさいよ」
笑いをこらえた部長がプレートを指さす。
俺はもう一度プレートを見直す。
そこにはやっぱり「4−4」と、ん……。
あれ、なんか微妙におかしい。
よく見れば、字の一部が歪んでいるし、黒の質が違う。
あっ、これは……。
「わかった? 『1−1』でしょ。よーく見なさいよ、あ・ず・まくぅーん」
よく見れば「1-1」にマジックで書き足されているだけだ。
恥ずかしいのと、イラッとするのと、安堵するので俺は忙しい。
部長はそんな俺をからかいつつ1−1の教室に入る。
教室の中は閑散としていた。
部室として使われていないのか、机と椅子は後ろにまとめてられている。
もちろん血で書かれた名簿なんてないし、そもそも教壇が見当たらなかった。
五つ目の不思議を検証した部長は一回に降りて旧校舎を出る。
「帰るんですか?」
「まさか」
部長は俺の疑問をあっけらかんと否定する。
旧校舎の脇を歩いて行く。
あるところまで行くと、地面に置いてあったそれを手に取った。
「行くわよ」
ハシゴであった。
銀色のフレームがきらきらと輝く。
部長はやたら長いそのアルミフレームを旧校舎に壁ドンさせた。
「支えといて」
部長は言い終わるのが早いか、すでにハシゴを登って行っている。
見上げてもスリムなデニムパンツなのでなんにもおもしろくない。
部長はするする登っていき、屋上に消えてしまった。
だが、すぐに戻ってきてあっという間に地面に降り立つ。
「カラスが死んでた」
それだけだったらしい。
とうとう現実が夢に追いついた。
七不思議のうち六つが検証されてしまった。
さて七不思議と言えば、ここから諸説ある。
七つ全てを知って不幸が起きる。
実は八つ目の不思議が存在し、八つ目で死ぬ。
そもそも不思議が七つ以上あるから、あまり七つ知っても意味がない。
他にもいろいろあるだろう。
最後の一つは他の六つ全て知った後に明らかになるとは聞いている。
「じゃあ、最後の一つに行きましょう!」
部長は元気よく宣言した。
この部長の宣言はいつも元気が良い。
……そんなことよりも今この部長はなんと言った?
「ちょっと待ってくださいよ。部長は最後の一つを知ってるんですか?」
部長は「は?」と口を開き、信じられないといった顔を作る。
「ちょっと、ちょっとちょっと! 嘘でしょ! 最後の一つなんて最初からわかりきってたでしょ!」
からかっている様子はない。
本当に俺がわかっていないことに驚いている様子だ。
俺に心当たりはまるでない。もしかして地域研究部のことだろうか。
「仕方ないわね……。ついてきなさい!」
部長は踵を返し、ズカズカ進んでいく。
再び旧校舎の中に入り、俺もよく知っている道を辿る。
やはり地域研究部のことだったか。それなら納得だ。
しかし、部長は俺たちの部室を素通りし、階段も横切りその先へ。
「ここよ」
俺たちの部室の階段を挟んで隣。
一階廊下の突き当たりの部屋だった。
「旧校舎の七不思議。七つ目――開かずの扉」
教室ではなくただの部屋。入り口は一カ所だけ。
そして、その入り口は数多くの板で堅く塞がれている。
しかも板には何かお札のようなものが何枚も重ねて貼られていた。
お札も生徒が悪戯で貼ったとは思えないほど、精巧な文字が書かれている。
開かずの扉というよりも、開けることを禁じられた扉だった。
「部長……ここって」
「うん。ここが七つ目――というよりは一つ目よね」
部長が話すには、ずっとずっと昔からこの状態のままらしい。
遠い昔にこの部屋で何か悪いことが起きて、塞がれてしまったと話す。
「昔は私たちのと同じように、部室に使われてたって話ね」
閉じられた部室ということで「クローズド・サークル」らしい。
いや。でも。まさか。しかし。もしかして。
……そうなのか?
「でも、これだけ板で塞がれてたら入れませんね」
開けたくない。
中にあるものが出てきてしまう。
ここは板とお札で封印されておくべきなのだ。
「大丈夫! 心配しないで! 邪魔な板は終業式で誰もいないうちにバールで外しておいたわ!」
先輩が入り口についていた板を手で持つと、ベリッと音がして簡単に外れた。
どうやらガムテープで付けていただけのようだ。
なにも大丈夫なんかじゃない。
「安心して。中はまだ見てないの。やっぱり一緒に楽しまないとね」
安心できないよ。
「さっちんも一緒じゃなくて残念ね。彼女も終業式をさぼってたみたいで、気づいたら後ろに立ってたのよ。いやぁ、あんときは焦ったわぁ〜。教師に見つかったかと思ったわよ」
部長はしみじみと語っていたが、俺の顔を見て察した。
「あれ、もしかして本気で怖がってる? 大丈夫。さっちんは教師にチクったりしないわよ」
怖いのはそこじゃない。
これはいけない。
きっとあれは夢じゃなかったんだ。
俺の見た旧校舎の七不思議は夢オチなんて笑い話じゃない。
そうだとしたなら、この部屋はミステリ研究会の部室で中にいるのは――。
「……入るの、やめよっか?」
普段なら俺の意見なんてお構いなしなのだが……。
今回は珍しく俺の意見も聞いてくれそうな雰囲気だ。
「やっぱりさっちんもいないと駄目よね」
俺ではなく、貞子先輩に配慮していたらしい。
この先輩は部活において基本的に抜け駆けはしない。
みんなで一緒に楽しもうというのが彼女のモットーだからだ。
自分で言っておいてあれだが、よく置いて行かれるからそうでもない気がしてきた。
「一緒に行くって約束したんだしね」
――約束。
あの時間の止まった旧校舎の中で俺は確かに貞子先輩と約束した。
俺がミステリ研に入り、先輩が地研部に入る――と。
そして夏休みを一緒に楽しもうとも。
『東君。迎えに来てね――待ってるから』
最後に聞いた言葉を思い出してしまった。
そして、俺は知っている。
彼女が待つことを嫌っていることも。
それなら――、
「部長。行きましょう。きっと貞子先輩は俺たちは待っているはずです」
「……なに言ってんの、あんた? 頭大丈夫?」
素に戻った先輩に聞き返された。
頭を心配そうにぱんぱかぱんぱか叩いてくる。
もっと優しく心配して欲しいものだ。
俺は部長にかまわず扉に手をかける。
扉は、想像していたよりもずっと軽く開いた。
部屋の中は久々に吹き込む外気により埃が舞い散っている。
LED電灯の白く切り裂く範囲は砂嵐のように埃が右往左往していた。
「あれなに?」
埃に目を瞑れば、部屋の中は片付いている。
ただ一つの例外を除き、ものらしきものがほとんど見当たらない。
そのただ一つの例外は、部屋の中心に鎮座していた。
床に描かれたよくわからない魔方陣のようなものの中心にぽつりと立っている。
気のせいか人形に埃はいっさい積もっていないように見える。
「日本人形ね! 綺麗……。へぇ、衣装もよくできてるわ!」
部長は躊躇なく置かれていた人形を手にした。
真っ黒髪のおかっぱ頭で和人形だ。市松人形に近いかもしれない。
色白で細身、口が動くようになっているのか口の端から顎にかけて溝があった。
普通、衣装は浴衣や日本舞踊のものだが、なぜかこの学校の伝統ある制服を纏っている。
「そうだ! うちの部室に持って帰りましょう! 戦利品よ! 今度さっちんにも見せてあげるの!」
果たして貞子先輩がそれを見ることはできるのだろうか。
本人が現れるのかもわからないし、鏡に映るのかも定かではない。
しかし、それは断る理由にはならない。
「はい、わかりました。持ちますよ」
俺は先輩から人形を受け取る。
心の中で小さく謝る。
『待たせてしまってすみません』
――と。
人形の首が小さく横に振れた。そんな気がした。
翌日。
先輩より先に部室に来てしまった俺は違和感に気づいた。
人形の足下に二枚の紙が置いてあったのだ。
その紙の上部には「入部届」と書かれている。
一枚はすでに記入済み。
とても綺麗な字で部名欄に「地域研究部」と書かれていた。
氏名欄には「貞子」とのみ書かれているのみだ。
もう一枚も同じく入部届である。
部名欄には「ミステリ研究会」と書かれている。
氏名欄は空欄だ。
俺は迷うことなくペンを取り、空欄に書き慣れた自分の名前を記入する。
こうして俺は先輩との約束を果たした。
後日談になる。
教師の誰かにより開かずの扉が開いていることが発覚した。
なんだか教師の間では緊急集会もあったようだが、結局その後、専門の業者が来て教室を整備した。
その結果、きれいな部屋が一つ増えたことになる。
それならと、目ざというちの部長は部室をさっさとそちらに移動させてしまった。
教師たちも渋々といった様子で事後承諾する形となった。
部屋には先輩の私物。
机に、ストーブ、扇風機と多くのものが散在する。
その中にひっそりと例の和人形が置かれている。
旧校舎の七不思議の中から開かずの扉が消え、代わりに一つの不思議が増えた。
その名も「非実在サークル」。
旧校舎の中には、実体のない部活動が存在する。
そして、その部活動に入部申請すれば学校から入部を認められる。
所属すると、とても綺麗な部長に会うことができる。
ただし、部長に会ったものは……。
そんな怪談だ。
「東君」
突如、正面からお声がかかった。
背筋がぞくっとしたのは、果たして突然声をかけられたからか。
俺は旧校舎の七不思議、すべてを知ってしまった。
「知ってる? 新校舎にも七不思議があるそうよ」
彼女は綺麗な顔で口だけかたりと動かし微笑む。
知ったどころか全て体験済みだ。
その結果どうなったか――、
「今夜行ってみない。もちろん部長氏も一緒にね」
部室がちょっぴり涼しくなった。
それだけさ。