2話
翌朝になっても、月愛の頭から昨夜の男性が離れなかった。
名前も知らない。
どこに住んでいるのかも知らない。
それなのに、あの声だけが何度も頭の中に蘇る。
――月愛。
どうして私の名前を知っていたんだろう。
考えても答えは出なかった。
「……不思議な人」
そう呟きながら、月愛は支度を終えた。
昨日のことは忘れよう。
きっと、もう会うこともない。
そう思っていた。
ところが、その日の夕方。
用事を終えた月愛が街を歩いていると、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
足が止まる。
まさか。
ゆっくり近づいていく。
男性が振り返った。
目が合う。
「あ……」
昨夜の男性だった。
男性も驚いたように目を見開く。
「……君」
「昨日の……」
月愛が言うと、男性は小さく笑った。
「また会ったね」
「偶然ですね」
「うん。偶然だね」
そう言いながらも、男性の表情はどこか嬉しそうだった。
月愛は少し戸惑う。
昨日よりも、近くで見ると大人っぽい。
落ち着いた話し方も、低い声も、なぜか心地よかった。
「そういえば……」
月愛は勇気を出して尋ねた。
「昨日、どうして私の名前を知っていたんですか?」
男性の表情が、一瞬だけ変わった。
けれど、すぐに穏やかな顔へ戻る。
「……夢で聞いたんだ」
「夢?」
「ああ」
月愛は首を傾げた。
「変な夢ですね」
「そうだね」
男性は月愛を見つめた。
その視線が、少しだけ切ない。
「俺も、ずっと不思議に思っていた」
「何をですか?」
「君のことを、初めて会った気がしないこと」
月愛の胸が、また高鳴った。
自分も同じだった。
初対面なのに、懐かしい。
その理由を知りたいと思った。
「……私もです」
小さな声で答える。
男性は少し驚いたように月愛を見る。
そして、優しく笑った。
「そうか」
短い言葉なのに、なぜか安心した。
「俺、永時」
「え?」
「名前。昨日、名乗ってなかったから」
月愛も微笑む。
「月愛です」
「知ってる」
「……もう」
思わず笑ってしまった。
永時も笑う。
たったそれだけの会話だった。
けれど月愛は、その時間が不思議なくらい心地よかった。
別れ際、永時が振り返る。
「月愛」
「はい?」
「また会ってもいい?」
月愛は一瞬だけ迷った。
そして、小さく頷く。
「……はい」
永時は嬉しそうに笑った。
その夜。
月愛はベッドに横になりながら、今日の出来事を思い返していた。
たった二度会っただけの人。
なのに、もっと知りたいと思っている。
そして、胸の奥で小さな声がした。
――もう一度、会いたい。
その願いが届いたように、窓の外には大きな月が浮かんでいた。




