1話
月愛は、夜空を見上げていた。
大きな満月が、静かな夜を照らしている。
「……まただ」
頬を伝う涙を、指先でそっと拭う。
悲しいわけじゃない。
何か嫌なことがあったわけでもない。
それなのに、満月を見ると、なぜか涙が出る。
いつからなのかも分からない。
ただ、昔からずっとそうだった。
「どうしてなんだろう……」
小さく呟いて、月愛は歩き出した。
そのときだった。
前方から、一人の男性が歩いてくる。
落ち着いた雰囲気の、大人の男性だった。
年齢は、自分よりかなり上に見える。
すれ違おうとした、その瞬間。
なぜか、胸が強く締めつけられた。
「……え?」
思わず足を止める。
男性も同じように立ち止まった。
そして、ゆっくりと振り返る。
視線が重なった。
知らない人。
初めて会ったはずなのに。
――懐かしい。
そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。
どうして?
この人を知っている気がする。
何年も前から知っていたような。
ずっと、会いたかったような。
理由の分からない感情に、月愛は戸惑った。
「……あの」
声をかけると、男性は少し驚いたように瞬きをした。
「……ごめん」
「え?」
「君を見ていたら、昔のことを思い出した」
低く、穏やかな声だった。
その声を聞いた瞬間。
月愛の胸が、また大きく鳴った。
知らない声のはずなのに。
なぜか、安心する。
「私たち……どこかで会ったことありますか?」
自分でも不思議なくらい、自然に言葉が出た。
男性は答えなかった。
ただ、月愛を見つめている。
そして、ほんの少しだけ笑った。
「……そうかもしれない」
「え?」
「いや。なんでもない」
男性はそれ以上何も言わず、歩き出した。
月愛は、その背中をぼんやり見つめる。
名前すら知らない。
なのに――。
なぜか、離れていくことが寂しかった。
「……変なの」
そう呟いたとき。
「月愛」
背中から声がした。
月愛は振り返る。
けれど、男性はもう歩き出していた。
「……どうして、私の名前を?」
聞こえるはずのない距離。
それなのに、確かに呼ばれた。
月愛は立ち尽くしたまま、夜空を見上げる。
満月が、静かに輝いている。
その頃、男性――永時は、一人で歩きながら月を見上げていた。
長い間、探し続けていた。
何度季節が巡っても。
何度月が満ち欠けても。
決して忘れることができなかった。
そして今夜。
ようやく、見つけた。
「……月愛」
その名前を、永時はもう一度呟いた。
けれど月愛はまだ知らない。
目の前に現れたこの男性が、自分の人生を変える存在になることを。
そして二人の出会いが、遠い昔から続く物語の始まりだということを――。




