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17/21

17.日常に戻ったはずが……。

翌日の朝。

私はヴァレリオ様の専属執事のモーリス様、メイド長様に続いて、ティーセットが乗ったワゴンを押して廊下を歩いていた。


「……っ」


左肩の痛みは未だに引かず、じくじくと増すばかりだ。

おまけに何だか熱っぽい。

長引かないといいけど。


「……モーリス様。この物々しい雰囲気、もう少し何とかなりませんの? これではメイド達が怯えて、仕事になりませんわ」

「無茶を言うな。あんなことがあった翌日だぞ」


暗殺未遂事件の翌日ということもあって、お屋敷内は物々しい雰囲気に包まれていた。


銀の鎧を装備した親衛隊の方々が各所に配置され、廊下を行き交う人々を鋭く監視している。


執事様の『仕方がない』との言い分も当然と思いつつも、メイド長様の『メイド達が怯えて仕事にならない』という言い分も理解出来た。


ルクレツィアを通して得た経験がなければ、きっと私も――。


「げっ……」

「? どうしました? フィオーラ?」

「いえ。失礼致しました。何でもございません」


目的地であるヴァレリオ様の寝室へと続く扉の横には、あのセクハラ金髪剣士のエンツォの姿があった。

緊迫した状況下であるのにもかかわらず、壁にもたれ掛かって大きなあくびをしている。


「おっ! 君、可愛いね~。彼氏いる??」

「っ!!?」


目が合うなり口説いてきた。

女と見ればこの男は……。


私は「お戯れを」と一言添えて礼をして、こめかみに浮かんだ青筋をさらりと隠した。


「あちゃ~、秒でフラれちゃったよ」

「まったく……。しっかり頼むぞ、エンツォ。平時ならともかく、坊ちゃんは今、足を負傷なされているのだからな」

「ははっ、それ俺に言う?」


エンツォは口角を上げて、挑発するように笑ってみせた。

そう。この人、実力は確かなのよね。

だから今ここにいて、ヴァレリオ様の護衛の要を任せられている。


「バイバ~イ♡」と投げキッスをしてくるエンツォに苦笑しつつ、執事様達と共に入室していく。

重たいカーテンに覆われた室内はとても薄暗かった。


ヴァレリオ様はまだお眠りになっているようだ。

四柱式のベッドの中心で、「ん~」と低く唸りながら寝返りを打っている。


「おはようございます、坊ちゃん」


モーリス様はヴァレリオ様の枕元へ。

私は入り口付近にワゴンを止めて、カーテンを開けていく。


「っ!!」


ドア越しに男性と目が合った。

あれは……剣士様だ。中年と青年の男性のペアで警護にあたっている。


驚かせてしまった。

そう思われたようで、二人の剣士様は申し訳なさそうに会釈をしてくださる。

いえ、こちらこそ……と、私も複数回会釈しつつ、片側のタッセルを結んだ。


「くぁ~……ほはよう……」


どうやら、ヴァレリオ様がお目覚めになられたようだ。

あくび混じりなご挨拶に、メイド長様と共に礼で応える。


その中で私は――顔が熱くなるのを感じていた。

昨日は本当に……本当に()()()()()があり過ぎた。


『目を上ぐるは不敬、伏せるは忠義』


この礼法にこれほどまでに救われる日が来ようとは、夢にも思わなかったな。


「ねえ、モーリス。僕は本当に()()()に参加しなくていいのかな?」

「ええ。ゆっくり休むようにとのことでした」

「まったく、兄さん達は……。肝心な時にはいつもそうだ」

「坊ちゃん」

「はいはい。分かってるよ」


ヴァレリオ様も、兄上様達も互いに思い合っている。

けれど、どうにも噛み合わない。

そんなもどかしい思いが伝わってくるようで、私はぎゅっと胸が苦しくなった。


「それにしても、昨日は大変な一日でございましたね」

「いや、僕は全然。彼女が守ってくれたから」

「彼女?」

「リッカルドの娘だよ。すこぶる腕の立つ――」

「何を仰っているのですか。リッカルドに剣士の娘などおりませんよ」


室内がしんっと静まり返る。

ヴァレリオ様は瞠目して、額に手を当てた。


「そう……だったね。ヤダな。僕、何言ってんだろ?」

「無理もございません。あのような凄惨な場にいらしたのですから。お医者様には、予定よりも早めにいらしていただくよう、ご依頼をしておきます」

「別に頭は……。予定通りでいいよ。診ていただくのも、足だけでいい」

「……かしこまりました」


ヴァレリオ様はまだ、ルクレツィアのことをぼんやりと記憶しているみたいだ。

おそらく、クロエについても同様だろう。


ヴァレリオ様は二人と最も深く関わってしまっている。

保持している記憶の量も多く、その濃度も高いために、消去にはどうしても時間がかかってしまうのだ。


どうやって時間を稼ぐんだろうと思っていたけど……なるほど。

ああやって封殺するわけね。


あらぬ疑いをかけられてしまって、ヴァレリオ様には申し訳ないけど……どうかお許しください。


私は内心で詫びつつ、タッセルがかかっているフックに左手を伸ばそうとした。だけど――。


「えっ……」


左手が上がらない。

嘘……何で……?

背中に嫌な汗が伝う。


「フィオーラ? どうしたのです――っ! きゃーー!! 血ぃ!!」

「えっ……?」


メイド長様の視線の先を辿ると――磨き抜かれた寄木細工の床に、赤い水滴がぽつぽつと落ちているのが見えた。


「あっ……ああ……っ」


傷口が開いてしまったんだ。

理解した瞬間、私の視界がぐらりと傾いた。

メイド長様が支えてくださって、何とか転倒は免れる。


「っ! なりません! 坊ちゃん!!」

「~~~っ、痛っ!!」


けたたましい足音が近づいてくる。

重たくなった瞼を無理矢理に押し上げると、アイボリーのシャツが見えた。


「坊ちゃん……?」

「ベッドに運ぼう」


ぐいっと体が持ち上がった。

ゆらゆらと左右に揺れながら、ゆっくりとベッドに向かって進んでいく。


「いけま、せん……ヴァレリオ様、まだ……足が……」

「へーき、へーき」


ヴァレリオ様は笑顔であるものの、その頬はぴくぴくと引き攣っていた。

無理をされているのは明白だ。一刻も早く止めないといけないのに。


「……っ」


襟首から覗く赤い二本の傷を見たら、私はもう何も言えなくなってしまった。

あれは私が刻んでしまったもの。ビアンカちゃんへの裏切りだ。


だから、黙り込むんじゃなくて、もっと必死になってヴァレリオ様を止めなくちゃいけないのに……ああ、もう……本当に最低だ。


「さぁ、楽にして」


ヴァレリオ様は私を仰向けに寝かすと、そのまま横にして、ゆっくりとうつ伏せにした。


枕やクッションは、ぽんぽんっとベッドの下に落としていった。

処置をする上で邪魔になるからだろう。


「それじゃ、始めていくね」


ヴァレリオ様は枕元に置いていた護身用のナイフを手に取るなり、私の黒いブラウスと白いシャツを破き始めた。


執事様が代わる気配はない。

今回もまたヴァレリオ様が……。


まずいわ。私の肩には、止血帯が巻かれたままになっている。

体が縮んで少し緩んでしまったから、補強するために上から包帯を巻いているけど……たぶん、完全には覆えていないはず。


ヴァレリオ様が止血帯に気付いてしまったら、きっと……。


「きゃーー!!!! ヴァッ、ヴァヴァヴァヴァヴァレリオ様!!! 何ということを!!!」

「落ち着け、ベアトリーチェ。あれは救術。坊ちゃんは止血をなさろうとされているのだ」

「ああ、……ああ! そうなのですね! 失礼致しました……」

「君は清潔なリネンの端切れ、温かい湯、それと傷の洗浄用に強い酒を持って来てくれ」

「かしこまりました」


メイド長様が足早に部屋を後にする。

あとには、ヴァレリオ様、執事様、そして私だけが残された。


「さて、聞かせてもらおうかフィオーラ。一体何があったのだ」


執事様が静かに。けれど、厳しく問いかけてくる。

当然だ。この怠惰は、ご一族の身を危険に晒す類のものであるのだから。


「おい。こんな状況でする話じゃないだろ」

「こんな状況だからです。どうなのだ、フィオーラ」

「……………………昨日お休みをいただいて……体調が回復し始めた午後に、気分転換に寮の周辺を歩いていたところを、背後から何者かに斬り付けられました」

「顔は見たか?」

「……いえ。突然のことだったので」

「もう十分だろ。君は兄さんにこのことを報告をしてきてくれ。それと至急お医者様の手配を」

「……承知致しました」


下手を打った。本当に下手を打った。

大聖堂での襲撃の陰で、屋敷に潜入されていたとあっては一大事だ。

親衛隊の方々への負担は更に増し、屋敷は一層物々しい雰囲気に包まれることになるだろう。


罪の重さに途方に暮れていると、扉がパタンと閉まった。

それを見届けたらしいヴァレリオ様が、小さく息をつく。




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