第9話:絶望のボス部屋前で、軽トラから降り立つ二人
『Cランク:奥多摩大洞窟ダンジョン』第十五層、最深部のボス部屋前。
湿気と熱気が渦巻く巨大な岩窟内に、男たちの情けない悲鳴が木霊していた。
「ひぃぃぃっ……! た、助けてくれぇっ! 金なら払う! いくらでも払うから助けてくれぇぇっ!」
頭から泥をかぶり、高級ブランドのスーツを無残に破いて地面を這い回っていたのは、島崎の元上司である若手PM――高橋だった。
かつてオフィスで島崎を「頭の硬いロートル」「仕様変更についていけない無能」と見下し、すべてのシワ寄せを押し付けていた男だ。その顔は今や恐怖と絶望で見る影もなく引きつり、鼻水と汗でグチャグチャになっている。
高橋の背後には、彼が強引に立ち上げた新プロジェクトの若手エンジニア数名と、彼らが莫大な予算で雇った自称・Bランクエリート探索者パーティー『銀狼の牙』の面々が、息も絶え絶えに倒れ伏していた。
「くそっ……なんだよこのボスの強さは……! 事前情報と全然違うじゃねえか!」
『銀狼の牙』のリーダーを務める男が、血の引いた顔で自慢の魔導剣を握り締めながら叫ぶ。剣の刃先はズタズタに零れ、自慢の銀色の甲冑は泥と脂汗でドロドロに汚れていた。
「高橋さん! あんた『最新のダンジョン支援AIシステムでボスの行動パターンは完璧に予測できる』って言ってたろ!? 全然予測当たってねえぞ! むしろシステムがフリーズして攻撃タイミングがズレただろ!」
「知るかよ! 俺は仕様書通りに作らせただけだ! 現場のプログラマー(島崎)が途中放棄して辞めたからバグが出たんだよ! 俺のせいじゃない、使えないロートルを雇ってた会社と島崎が悪いんだ!!」
死を目前にした極限状態の中で、醜い責任転嫁をなすりつけ合う高橋とエリート探索者たち。
そんな惨めな人間たちを見下ろすように、岩窟の中央に鎮座していた巨獣が、不快そうに太い喉を鳴らした。
――『アーマーシェル・オーガ』。
Cランクダンジョンの領域ボスであり、全身を重厚で硬質な魔導鉱石の甲殻で覆った、体長四メートルを超える巨漢の魔物だ。
並の魔導兵器やBランク探索者の剣撃など歯が立たない絶対的な防御力を誇り、その丸太のように太い腕から繰り出される一撃は、重装甲車すら平然とペシャンコに叩き潰す。
「グラオオオオオオオンッ!!」
地響きを立てて咆哮するオーガ。
逃げ場のない行き止まりのボス部屋前で、ボスの巨大な拳が高橋の頭上へと振り下ろされようとした――その時だ。
プォォォン――……。
不気味な熱気が満ちる洞窟内に、どこか間抜けた、しかしやけに澄んだクラクションの音が響き渡った。
「「……は?」」
死を覚悟して目を瞑っていた高橋も、血吐きながら構えていた『銀狼の牙』の面々も、さらには拳を振り上げていたボスまでもが、音のした通路の方へと呆然と視線を向けた。
薄暗い洞窟の奥から、ぬるりと滑らかに姿を現したのは――一台の【白い軽トラック】だった。
外は蒸し風呂のような熱気と泥沼の環境であるにもかかわらず、その軽トラのボディには泥汚れひとつなく、新車のようにピカピカとプラチナ色の光を反射させている。
軽トラは荒れ果てた岩場の上を、まるで高級外車のように静かに走り抜け、逃げ惑う高橋たちのすぐ目と鼻の先でスーッと滑らかに停車した。
「な……なんで……なんでダンジョンの中に軽トラが……!?」
高橋が顎が外れそうなほど口をぽかんと開けて固まる中、軽トラの助手席と運転席のドアが、カチャリと静かに開いた。
助手席から最初に降りてきたのは、すらりと伸びた健康的な美脚と、しなやかなボディラインを露わにした美女――桐生葵だった。
泥一つついていないワークウェアを凛々しく着こなし、腰には青い粒子を纏う美刀を差している。
「ふう……車内が快適すぎて、ちょっと寝すぎちゃいましたね、島崎さん」
「ああ、エアコンの温度を下げすぎたかもしれんな」
続いて運転席から降りてきたのは、どこにでもある作業着を羽織った55歳の男――島崎成己だった。
片手には冷えた麦茶の保冷ボトル、もう片手には三万円のサバイバルナイフを無造作にぶら下げている。
二人の皮膚には汗ひとつ浮かんでおらず、まるで今さっき冷房の効いたカフェから出てきたかのような爽やかさだった。
「あ……あ……っ!?」
高橋の目が、こぼれ落ちんばかりに見開かれた。
「し、島崎……!? それに、桐生……!? なんでお前たちがこんなところに……っていうか、その軽トラはなんだ一体!?」
声の限り絶叫する高橋に、島崎はゆっくりと冷ややかな視線を向けた。
泥と涙と鼻水に塗れ、地面に這いつくばるかつての上司。その惨めな姿を見下ろしながら、島崎は呆れたように小さく息を吐いた。
「……やあ、高橋PM。相変わらず現場をデスマーチに陥れるのがお好きなようですね」
「な……なんだと!?」
「島崎さん、見てください。あんなに威張っていた高橋さんが、まるで泥豚みたいになってますよ」
葵がクスッと小さく上品に笑いながら、蔑むような眼差しを高橋に向けた。
「き、桐生! お前、会社を辞めてこんなオッサンとこんなところで何やってるんだ! 早く俺を助けろ! 俺はPMだぞ! お前たちの上司なんだぞ!?」
自分の立場も分からず喚き散らす高橋。
だがその時、二人の存在を無視されたことに怒り狂った『アーマーシェル・オーガ』が、二人まとめて押し潰そうと、巨大な影となって頭上から襲いかかってきた――。




