第8話:猛暑と泥沼のダンジョンで、快適冷房と優雅なドライブ
都心から車を走らせること約一時間。
二人がやってきたのは、青梅の山奥に突如出現した『Cランク:奥多摩大洞窟ダンジョン』の地上拠点だった。
広大な駐車場には、泥と傷にまみれた中型・大型の探索者用装甲車がズラリと並んでいる。
このダンジョンは中層以降、蒸し風呂のような高温多湿な環境と、足元を奪う底なしの泥沼、そして粘液を撒き散らす危険なモンスターが多数生息することで知られていた。
「ハァ……ハァ……マジで地獄だぜ、今日のダンジョン内気温は三十八度越えだってよ……」
「マジかよ……水足りるかな。泥で足は取れるし、装備は重いし、帰りたい……」
駐車場のあちこちで、重厚なプロテクターを着込んだ本格派の探索者たちが、滝のような汗を流しながら愚痴をこぼしている。
そんな荒くれ者たちの視線が、一台の車両へと集中した。
駐車場にスーッと滑り込んできたのは、どこからどう見ても、年式の古い【白い軽トラック】だ。
泥汚れひとつなく、新車のようにピカピカに磨き上げられた車体。荷台には市販の保護シートが被せられているだけ。
「……おい、なんだありゃ? 軽トラ?」
「見間違いだろ。こんなところで農作業でも始める気かよ」
「バカ言え、ダンジョンの入場ゲートに向かってるぞ! 本気かあいつら!?」
ざわつく探索者たちの嘲笑を背に受けながら、島崎が運転する軽トラは、何事もないかのようにダンジョンの巨大な洞窟口へと進入していった。
◆
ダンジョン内部に入ると、そこは言葉通りの灼熱地獄だった。
天井の魔導結晶が擬似的な太陽のようにギラギラと照りつけ、地面はドロドロとした黒い泥沼と化している。
ドゴォォォンッ!
「うおあぁぁぁっ!? 『マッド・バイソン』だ! 全員身構えろ!」
「ダメだ、足が泥に取られて動けねえ! 誰か助け――」
前方では、五人組のベテラン探索者パーティーが、泥の中から現れた巨大な角を持つ暴走牛モンスターに追い詰められていた。
四駆の大型装甲車すら泥にハマり、タイヤを空回りさせて煙を上げている。
そこへ――
プォォォン。
間抜けたクラクションの音とともに、白い軽トラがぬかるみを軽快に滑走してきた。
「な……ッ!? 軽トラだとぉ!?」
スタックした大型装甲車の横を、軽トラは何の抵抗もないかのようにスイスイと追い抜いていく。
島崎が組んだ『全地形対応(All_Terrain_Drive)』のコードにより、タイヤと泥の間の摩擦係数が完璧に最適化されているため、泥沼など舗装されたサーキットも同然だった。
ブモオオオオッ!
進行を邪魔されたマッド・バイソンが怒り狂い、軽トラの側面から巨大な角を突き立てて猛タックルを仕掛ける。
「あいつら終わりだ! ペシャンコに潰されるぞ!」
誰もが悲鳴を上げた、その瞬間。
ガツゥンッ――!
軽トラの周囲三メートルに透明な半透明の障壁――『自動絶対バリア』が一瞬だけ展開された。
大型トラックすら吹き飛ばすボスの体当たりは、まるで生卵がコンクリートにぶつかったかのように呆気なく弾き返され、バイソンは目を回して泥の中に沈んでいった。
「「「…………は?」」」
口をぽかんと開けて固まる探索者たちを置き去りにして、軽トラは排気ガスすら残さず、滑らかに深層へと消えていった。
◆
その頃、驚愕に包まれる外の世界とは完全に遮断された軽トラの車内――。
「ふぅ……外はすごく湿気が強くて暑そうですね。島崎さん、お水いりますか?」
「ああ、いただくよ」
そこは、24度設定の冷房が心地よく効いた、静かで快適なスイートルームだった。
あまりの快適さに、葵は上着のワークジャケットを脱ぎ捨て、薄手のキャミソールとショートパンツという極めて無防備な格好でリラックスしていた。
風呂上がりかと思わせるほど白く滑らかな肩、キャミソールの胸元から覗く豊かなカーブ、そしてショートパンツからすらりと伸びた健康的な太もも。
冷えたアイスコーヒーを一口飲み、「んふぅ~……」と幸せそうに吐息を漏らす葵の姿は、とてもダンジョンの最前線にいる人間のそれではない。
「でも凄いです、島崎さん。自動運転(Auto_Pilot)をセットしておくだけで、障害物も敵も勝手に避けて進んでくれるなんて……」
「フッ、画像認識と空間把握のアルゴリズムは得意分野だからな。敵の出現パターンを予測して最短ルートを通るようにコードを書いておいた」
島崎はソファーのローテーブルに置かれたノートPC風の魔導端末を操作しながら、満足そうに頷く。
「安全で快適な環境があってこそ、エンジニアとしてのパフォーマンスが最大限に発揮できる。デスマーチで精神をすり減らしていた頃とは大違いだな」
「本当に……私、島崎さんの部下になれて……ううん、バディになれて本当に良かったです」
葵は嬉しそうに微笑むと、冷たいグラスを置いた。
そして、ソファーに座る島崎のすぐ隣へすーっと移動してくると、躊躇なく島崎の膝の上に自分の頭を預けてきた。
「……葵?」
「ふふ、島崎さんの足、すごく安定感があって落ち着くんです。……ちょっとだけ、お昼寝させてくださいね?」
膝の上に伝わる葵の頭の程よい重みと、ふわりと漂うシャンプーの甘い香り。
キャミソール越しに触れ合う彼女の柔らかい体温と、すぐ目の前に迫る豊かな胸の膨らみに、55歳のベテランSEの心臓が不意にドクンと跳ね上がる。
「お前な……警戒心が無さすぎるだろ。俺は男だぞ」
「島崎さんだからいいんですよ」
葵は上目遣いで悪戯っぽく見つめてくると、幸せそうにパチリと目を閉じた。
すー、すー、と規則正しい寝息が聞こえ始める。
ガラス窓の外では、泥まみれになりながらモンスターの群れと死闘を繰り広げる探索者たちの姿が通り過ぎていく。
だが、この『移動要塞軽トラ』の中だけは、世界で一番甘く、穏やかで快適な時間が流れていた。
「……やれやれ、大物なんだか無防備なんだか」
島崎は苦笑しながら、葵の濡れた髪を優しく撫でてやった。
『――目的地(第15層ボス部屋前)まで、あと五分です』
車内に静かなナビゲーション音声が流れる。
快適なドライブの終着点には、かつて島崎を無能扱いして追い出した「元の会社のチーム」と、絶体絶命の窮地に陥った若手PM・高橋の姿が待っていた。




